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台湾の首都にして最大都市・台北市の中心部にやってきました。今回は台湾政府の主要機関が集中する地域、日本語地名でいうならば幸町~樺山町にかけての地域をめぐっていきます。

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▲亭仔脚の中から旧台北州庁を眺めて
台北駅のすぐ東側が今回めぐる地域にあたります。駅から数百メートルほど東には、旧台北州庁をそのまま転用した監察院があります(写真上)

先ほど二つの地名を挙げましたが、幸町・樺山町ともに台北駅のすぐ東側にあった地名です。幸町は忠孝東路以南、樺山町は同以北の地域に付与されていました。うち幸町の名前は「幸安」、樺山町の名前は「華山」といったように、文字の変形を受けつつ細々と生きながらえています。

なお、樺山町の「樺山」は初代台湾総督を務めた樺山資紀に由来します。今回の樺山町や「明石町」「児玉町」のように、日本統治時代の台北には歴代総督に由来する町名がいくつか存在しました。

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旧台北州庁を過ぎてまずは旧幸町の方に入っていきます。忠孝東路は首都の大通りであるため、道沿いの建物は後年に立てられた高層ビルが大半です。しかし、一歩路地に入れば事情は変わってきます。

路地に入ってしばらく進むと、やがて平屋の日本家屋が見えてきました(写真上)。東門付近に比べると数は少ないですが、台北駅の東側にも辛うじて、日本統治時代の住居が残存しています。

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今回、旧幸町では日本家屋を二軒確認することができました。いずれも杭州南路一段6巷における調査結果なので、他の通りを合わせると、さらに多くの日本家屋が残存しているかもしれません。

近年、台北では荒廃した日本家屋の取り壊し(マンション・駐車場化)が急速に進み、過去帳入りした物件が次々に発生しています。古蹟に指定されていない物件は多く、これらを見て記録するのは今のうちでしょう。

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杭州南路から再び忠孝東路に戻ってきました。ここでやや古めかしいビルを見かけましたが建造時期は不明(写真上)。おそらく1950~60年ごろに建造されたものと思われます。

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忠孝東路を台北駅方面に戻ると、右手に行政府が見えてきました。この建物は日本統治時代末期に台北市役所として使用されていたもので、台湾総督府の建築士・井出薫による設計です。台湾総督府と同じように、上空から建物を見下ろすと漢字「日」の形をしています。

さて、ここ行政院といえば「ひまわり学生運動」(2014年春)の舞台の一つとして知られています。馬英九政権(当時)の対中協定に不満を持つ大学生によって起こされた一連の抗議運動の中で、主な舞台になったのは皆様ご存知の立法院(国会)です。立法院が学生によって占拠される一方で、過激化した一部の学生が行政院に侵入しました。

立法院は旧台北州庁の隣にあり、行政院・監察院(旧台北州庁)・立法院はそれぞれ道路を挟んで隣り合っている格好になっています。つまり行政院の周辺地域では、「ひまわり学生運動」の中心地として、当時多くの学生による抗議運動が行われていたのです。

改めて、国の前途を思う学生たちの姿を思い浮かべながら行政院を後にしました。

撮影日:2017年4月4日




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