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【施設紹介】阿里山森林鉄道 北門駅(嘉義市東区)―木造レトロ駅舎がステキ

今回は嘉義市にある、阿里山森林鉄道嘉義線の北門駅の様子をお送りします。

同駅は嘉義市街地の北部にあり、嘉義~竹崎駅間のいわゆる「平坦区間」にある数少ない駅の一つです。とはいえ、平坦区間に現存するのは嘉義・北門・竹崎の計3駅のみ(鹿麻産駅は廃駅)ですが・・・

付近にはかつて、阿里山から運ばれてきたヒノキの加工工場があり、その作業員の宿舎が多数立ち並んでいました。宿舎は現存しており、近年整備が行われて「桧意森活村」として公園化されています。そのため、北門駅周辺は嘉義市きっての観光スポットとして注目を集めつつあります。

今回訪れた北門駅の魅力といえば、何といっても日本統治時代に建造された木造駅舎があることでしょう。この駅舎を見るために訪れる方もいらっしゃるほどです。

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駅前は整備されて広場になっており、駅舎を遮るものがないので、撮影するのに適した環境になっています。ちょうど僕が駅前に来た時にも、複数の観光客が駅舎を背景に記念撮影をされていました。

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▲黒部峡谷鉄道との姉妹提携記念碑

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▲機関車・客車を模した柵

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駅横には廃車になった客車が2両置かれています。ダルマではなくちゃんと台車が付いており、しかもレールに乗せられています。番号はそれぞれ、SP6206・6207と連続しています。同じ系列の客車が近隣の嘉義車庫園区にて、トイレとして使用されている反面、こちらは手つかずで据え置かれている状態です。

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▲北門駅舎内部

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▲北門駅舎の天井部分

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嘉義市内の旧町名一覧

嘉義市内の行政地名は長らく「大字嘉義」でしたが、昭和7年(説明板は6年、『wikipedia』には7年とあるが、拙記事では後者を採用する)になってから地名変更が行われ、大字嘉義地区は17町に分けられました。

嘉義が市制施行されたのは1930(昭和5)年のことで、大字嘉義の中には東門内・東門外・南門内・南門外・北門内・北門外・大街・内教場・総爺、計11の小字がありました(『wikipedia』による)。これら11の小字が17町に改組された際、新高町・山下町・宮前町・東門町・朝日町・桧町・北門町・元町・南門町・栄町・西門町・新富町・末広町・黒金町・堀川町・玉川町・白川町が誕生しました。

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駅舎の横からホームを眺めることができるので、朝の北門駅構内でしばし撮影を楽しむことにしました。同鉄道の本数は通常1往復、休日2往復とたいへん少ないですが、北門駅は嘉義車庫の近くにあるため、列車の入換を頻繁に見ることができます。




▲「阿里山号」3次となる列車



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▲北門駅構内に留置された無蓋車掌車

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▲入換列車がやってきた



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▲中間に閉じ込められた制御車

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▲阿里山森林鉄道SPC53

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▲客車内は快適なリクライニングシートだ

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▲客車を点検中の一コマ

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▲北門駅舎をホーム側から



しばらく撮影を行っていると、やがて嘉義発奮起湖行きの「阿里山号」3次が北門駅に到着しました。到着案内放送は日本語でも行われており、日本人利用者向けのサービスが整っています。

なお、「奮起湖」は日本語アナウンスでは「ふんきこ」と発音されています。


▲手動扉をまじまじと観察する



「阿里山号」3次は奮起湖を目指して北門駅を出発しました。奮起湖~阿里山駅間は2015年3月現在、数年前に発生した災害の影響で不通になっています。復旧される日を待ち遠しく思うものです。


▲今回収録した動画です。
高評価&チャンネル登録お待ちしております!


撮影日:2015年1月18日
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COMMENT

中林20系

姐妹鉄路

自治体による姉妹都市ではなく、鉄道会社同士で姉妹ってところが何だか好いですね。
記念碑も繁体字だから、わたしにも読めますし。
日本の古い文献や、その時代に書かれてそのままの文学作品など日本で言う旧字体と共通しますから、それにかつて親しんだ身にとっては大抵の漢字など普通に読めるのです。文法が英語的になるとはいえ。

※これが簡体字だと「?…???…?」となることもありますが

案内放送に日本語って、何だか嬉しいですね。


それにしても…このような駅舎って日本では、よっぽどの価値が無い場合は今や、取り壊しの対象になってるタイプですよね。
それを機会に地域のコミュニティセンターとなったりなどしてますが、デザインは当然今風だから…趣が無くなって…いや、これも旅人の感傷で、地元民は最新のデザインを望んでるのかも知れませんが。

そこのところの齟齬がちょっと…でもまあ、やっぱり地元の方々の利便性が最優先なんでしょうね。ここのところ台湾では、古いものを残そうとしてる思いがあるのでしょうか。

2015年03月27日(金)20:24

wra

中林20系さん

台湾では公務員宿舎や教員宿舎の類が、たとえ小さな町でも1件は芸術館やらレストランの類として残っています。もちろんこれらの多くは、日本では用済みになったらすぐ壊されるようなものです。

しかし台湾人にとって、日本人として生きてきた時代の遺産を残すことが自らのアイデンティティを支えることになるので、各地で日本家屋の保存運動が行われています。神社構造物の修復や再建も行われていますので、これからの台湾における動向に注目すると、きっと面白い発見が見つかるかもしれませんよ。

もちろん保存するだけではなく、倒壊寸前のジメジメした建物を取り壊して日当たりのよい公園にしたり、きれいなマンションに建て替えたりすることも、しばしば行われています。

2015年03月27日(金)21:37