河東地区は宗像市の主要河川である釣川東岸に位置しており、2000年ほど前までは入江になっていたようです。 小高い丘には古墳が多数築かれ、1980年代後半の住宅地開発に際して発掘調査が行われてきました(ex.相原古墳群, 久戸古墳群...)。

 山田川・横山川の合流地点に接する南部には、地区の中心部 本村集落があり、横山川沿いに開けた中央部には福崎集落、丘陵地帯上には相原集落があります。『筑陽記』巻之十二「宗像郡」によると、「枝村 福崎、野口」と記されており、『筑前国続風土記拾遺』巻之二十一「宗像郡」では、「民居五所ニ在。本村、福崎、山崎、野口、相原、是也。」と記されています。

 明治15(1882)年時点では、同地区内に以下の小字、相原・大浦・漕橋・禰宜ノ給・野口・山崎・問ヶ坊・大谷・原ノ木・戸干・猿ヶ給・橋ノ上・黒鳥・七反田・白石・首長・向手・東ヶ釣・前釣・本村・堂籠・福崎前・笑止ヶ浦・鴨谷・狐坂・平田・馬立・福崎・古賀・上ノ坂・常木・森ノ谷・内牟田・久戸・大西釣・大西・高尾・一本松・墓ノ尾・田島釣・田島釣子崎・田島高原・田島宮ノ後・保蓮・薬師ノ下・菖蒲ヶ池・河原田・向ノ原・井堀・森ノ前・寺田・茶木ヶ浦・菅谷・岩ケ鼻 があったと記録されています。

本村

河東地区の中心部をなす集落で、山田川の畔に位置しています。

狭い道路の両側に日本家屋が密集しており、茅葺屋根にトタンを乗せた民家も数件確認できました。傍にある山(辻山)の頂上には河東天満宮、麓には河東公民館・専光寺があり、集落の東端部には、横山川が山田川に合流する地点もあります。

宗像市河東字本村
▲河東公民館
以上、撮影日:2012年8月

福崎

河東地区の中央部、横山川西岸部にある集落名。公民館・信号機・バス停の名前として残されているだけでなく、地図上にも表記されています。農家が多いようで、農具小屋を兼ねた門を構える民家をよく見かけました。

fukuzaki2.jpg
▲福崎公民館
まるで台湾の伝統的な住宅様式「三合院」のような形をしている。


宗像市河東字福崎
▲福崎集落の内部
趣ある風景で癒される。


fukuzaki3.jpg
▲福崎バス停
以上、撮影日:2013年8月

相原

相原と書いて「そうばる」と発音します。地図上に表記されていることもあれば、されていないこともある集落名です。
宗像の地理に詳しい方がこの地名を聞いたならば、真っ先に「薄牧場」と「ふれあいの森」を思い浮かべるかもしれません。 地区の東西を貫くように大きな牛舎が横たわり養鶏場も2か所あるなど、宗像随一の畜産地帯ともなっています。基本的に民家は散在しており、集落の中心がどこか分かりづらかったです。

丘陵地帯には数多くの古墳が築かれましたが、その多くが牛舎の建設により消滅しています。

sobaru1.jpg
▲相原集落周辺の様子
右側には「薄牧場」、左側には小規模ながらも集落がある。


sobaru2.jpg
▲宗像市コミュニティバス相原停留所

宗像市河東字相原集落センター
▲相原集落センター

sobaru3.jpg
▲相原集落センター敷地内にある小さな祠

sobaru4.jpg
▲城西ヶ丘から相原へと続く道
偶然、本数の少ない宗像市コミュニティバスに遭遇した。奥に見えるライトバンがそれである。


sobaru5.jpg
▲ソーラー発電施設
右側には養鶏場がある。

以上、撮影日:2013年9月

向手

向手と書いて「むくて」と発音します。
山田川と釣川に挟まれた場所にあり、現在では住宅が建っているため、集落のようになっていますが、元々は耕地名だったようです。釣川を挟んで向かい側には、向手前(むくてまえ)という地名(東郷の小字)があります。

現在、西鉄バスの停留所名に「向手」の名前が残されています。

宗像市河東字向手
▲向手バス停周辺の風景
鐘崎へ行くバス路線ということで筆者も何度か利用したが、乗降客は非常に少ないようで、バスが停車したのを見たことがない。
隣の東郷橋停留所との距離が短いためか?

以上、撮影日:2012年8月




(参考文献)

伊東尾四郎編『宗像郡誌』下編、臨川書店、1931年

中村正夫編『宗像郡地誌綜覧』文献出版、1997年




にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ にほんブログ村 海外生活ブログ 台湾情報へ にほんブログ村 地域生活(街) その他ブログ ゆるキャラへ

「ご当地」の魅力をより多くの方にお伝えするため、ブログランキングに参加中です。

バナークリックの方もよろしくお願いいたします。



上のリンクからチャンネル登録できます。台湾旅行に興味のある方、レイルファン・ご当地キャラファンの方、どうぞ気軽にお立ち寄りください。




スポンサードリンク