東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は中央部に位置する中野(なかの)集落をめぐります。南側にあった南岡集落と同じように戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、二村と呼ばれるようになって現在に至ります。

中野集落は林田村の中心地だったようで、集落内には駐在所と尋常高等小学校(→国民学校≒小学校)が置かれていました。なお学校は現在でも学校として機能しており、大栄小学校として使用されています。また、中野という名前から分かるように、同集落は林田村のど真ん中にありました。中野よりも南側には南岡、北側には北林という集落があり、それぞれ村内における位置・方角が地名に反映されていました。うち北林は現在もなお公的な地名として残っています。

今回は旧中野集落をめぐり、日本統治時代に建造された建築物を中心にご紹介します。本項では集落名を日本統治時代の旧名「中野」に統一して用いることにします。

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まずは鳥居・石灯籠が復元された旧林田神社から中野集落を目指して進んでいきます。ここ旧神社の横には台湾様式の民家があります(写真上)。

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中野でも南岡と同じようにタバコ栽培がおこなわれていました。その影響で集落内にはベーハ小屋がいくつか現存しています。状態の良い建物がある一方で、写真上のように荒廃して軒先が崩れ落ちたベーハ小屋もあります。

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状態の良いベーハ小屋は写真上のように、きわめて美しい姿で現存しています。

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先述のように林田国民学校は大栄小学校に転用されています。校庭に戦前まであった校内神社の跡地には戦後、孔子廟が建てられました。なお、校庭には孫文の胸像も・・・

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旧林田国民学校の前にはかつて教員宿舎がありました。そのうち校長宿舎だけは保存されており、宿舎街だったであろう広い緑地帯の中にポツリと建っています。残念ながら状態は悪く、所々で荒廃が進行しています。

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南岡と同じように、中野にも日本家屋が残存しています。ただし残存数は非常に少なく、これまで調査した限りだとここ1棟しか残っていません。先ほどの宿舎を加えると、中野地内に残存する和風木造建築は2棟だけということになります。

日本家屋が今もなお多数現存する南岡・北林両地区とは対照的です。

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▲中野付近の水田地
現在の林田村一帯では主に稲作が行われています。今でこそ水田が延々と広がっていますが、戦時中には中野集落の北西部、北林集落の西側に林田飛行場が置かれていました。林田村を抱える鳳林は農業だけでなく、軍事面でも重要な場所だったといえます。

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▲林田村に点在する森林
鳳林の古老曰く、中野と南岡の間・・・つまり現在の金田集落がある場所にはかつて森が広がっていたといいます。もちろん現在でも林田村には森が点在しています。おそらく戦前の林田村には、写真上のような森が至る所にあったのでしょう。

撮影日2017年6月2日




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