台湾南東部、台東県鹿野(しかの)郷には日本統治時代、内地人による私設移民村「鹿野村」が置かれていました。戦後70年を経ようとしている現在でも、当時の日本家屋が数棟残されており、やや観光地化されています。

そんな「鹿野村」にはかつて、村の鎮守として神社が置かれていました。その名も「鹿野村社」といい、戦後は本殿の基壇を除いて撤去されました。
残された基壇は涼亭として使用されてきましたが、建立から80年近く経つこともあり、至る所でひび割れ・劣化が見られるようになりました。「このまま老朽化が進むと、涼亭が壊れるかもしれない・・・」ということで、近年になって基壇の解体が計画されるようになりました。

ところが、基壇の解体に反対する声が住民の中からあがり、「基壇を保存するのであれば、いっそ神社自体を再建してしまおう」という流れになり、現在に至ります。神社の「再建立」作業は今年初めから行われており、私も6月に現地へ出向き、工事が行われているのを確認しました。

2014年に撮影した鹿野村社
▲2014年7月に撮影した「鹿野村社」

さて、ここからようやく本題に入ります。
日本統治時代の史跡の修復動向が掴めるということで、しょっちゅう拝見している掲示板サイト『《鞠園》文史與集郵論壇(UTF-8)』の「1923年築 - 台東「鹿野神社」修復日記~ 日本製造空運來台組裝」というページを見ていると、11月時点における作業動向が写真とともに掲載されていました。

本殿の原料は日本から調達しており、その形は紛れもなく神社のそのものです。これから塗装・鳥居建立が行われるものと思われます。

近年になり、新竹県五峰郷の「十八兒(シパジー)祠」鳥居が修復されたのを皮切りに、岡山神社(高雄市)、林内神社(雲林県林内郷)、林田神社(花蓮県鳳林鎮)・・・といったように、至る所で鳥居の原状回復(変形されていた場合)や再建立(破壊・撤去されていた場合)が行われてきました。

また、日本統治が終わったことを示す単語として、「二戰後」「日治結束」「終戰後」といった表記を用いるケースをよく見るようになりました。まだ「光復」の方が優勢ではあるものの、台湾社会に何らかの変化が訪れたことは否定できません。
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  コメント
No title
台湾で神社が再建されるのですね。
どこの神様を勧請されるのでしょうか?
日本と台湾、これからも仲良くしていけたらいいですね(*^-^*)
*yoshimin* #- [ 編集 ]    2014年12月16日(火) 11:19
*yoshimin*さん
祭神ですか・・・確かにそれは気になります。ちなみにですが、当時は開拓三神・北白川宮能久親王殿下を祭神としていました。
もしかすると「祭神はなし」として、外見だけの「復元」に留まる可能性も十分にあります。宗教的な話題というのは民族を問わずナーバスでありがちなので、ここでは細かい言及を控えます。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2014年12月16日(火) 23:04
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