台湾南東部、台東県鹿野郷には日本統治時代、内地人(日本人)による移民村が設置されていたことは拙ブログで度々扱ってきました。昨年より、同移民村にあった神社「鹿野村社」の再建(再建立)が進められています。


▲神社再建が進む鹿野村社

これまで2回ほど、再建工事の状況を現地ニュースから引用してきました。今回は『自由時報』に興味深い記事があったので、和訳・要約というかたちで引用させていただきます。引用したのは3月14日の『龍田日治神社復原 完工後將開放』という記事で、近いうちに鹿野村社の再建が完了し、再建後は一般向けに開放するという旨が記されています。

「龍田」(竜田)というのは旧鹿野村一帯に付けられた地名ですが、これは戦後付けられたものであり、日本語で「たつた」と呼ぶのは望ましくありません。日本統治時代における旧鹿野村一帯の行政地名は「台東庁関山郡鹿野庄大字鹿野」でした。


今回の引用記事には、最近撮影された境内の様子が掲載されています。真新しい手水舎と石灯篭、そして奥には修復された台座の上に載った真新しい祠が見えます。鳥居はまだ建立されたいないのか、それとも写真から切れて見えないのかわかりませんが、写っていません。再建立にあたって、できる限り当時の様式とするようにしているため、鳥居は木製の神明タイプになることでしょう。

同神社は戦後台湾初の、完全な形で「復原」された神社とされています。ここで一つ気になるのが、台北市の「円山水神社」(以下「水神社」)に対する扱いです。

「水神社」は戦後、水神祠に改装されましたが、神社構造物が多く残されていることもあり、今では多くの方に(管見では)「神社」として認識されています。それでも鹿野村社の事例が「戦後台湾初」であることを強調されたのは、おそらく「水神社」が水神祠時代のまま手を付けられていないためだと思います。

神社の「再建立」とはいいますが、祭祀活動は行わない方針です。これは最善の方法だと思います。現在の台湾で、神社を再建立してさらに祭祀活動をすれば、反日・中華民族主義を奉る「中国国民党」よりの勢力から、脅迫まがいの報復行為を受ける可能性があります。高雄市の旧「橋仔頭社」で行われた取り組みでは、社号標・石灯篭・手水鉢の修復に留まりましたから今回、神社を再建立しただけでもかなりの前進といえます。


今後、鹿野村社が台湾人にとっては「歴史遺産」として、日本人にとっては旅先での「心の拠り所」として、愛されていくことを願っております。
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