2000年代に入ってから、はや15年が経過しました。15年という時の流れは遅いようで速く、「2000年」という西暦が持つ新鮮さは今や「一種の懐かしさ」に置き換わろうとしています。

2000(平成12)年前後の時期、私はまだ物事の道理もわからぬ小学生でしたが、ニュース番組で度々「2000年問題」や「ノストラダムスの大予言」を取り扱っていたことはよく覚えています。西暦が1900年代から2000年代に変わるという大きな節目を迎えることから、メディアのみならず、鉄道会社でも「2000」にちなんだイベントを催していました。

今回タイトルに刻んだ「チャレンジ九州フリーきっぷ」もその一つで、2000年代の幕開けを記念して、1999年末から2000年末にかけて発売されたものです。有効期間は2日間、JR九州管内の特急列車自由席も利用でき、子供料金はなんと6000円という破格の値段でした。

また、同時に「チャレンジ九州2000キロ」なる企画も行われていました。この企画では、チェックポイント(駅)の駅名標とのツーショット写真を所定用紙に張り付け、一定の条件を満たすと記念品がもらえました。所定用紙―チャレンジブックにはチェックポイント名が記された25のマスが記され、このマス全部を埋めるか、ビンゴゲームのように「タテ、ヨコ、斜め」を埋めることが記念品獲得の条件でした。

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▲チャレンジ九州2000キロ景品(腕時計・ピンバッジ)
幸い、私の近所にはチェックポイントが数か所(門司港、博多、田川後藤寺、伊万里、彦山は確実)あったので、休日の外出である程度集めることはできました。これだけでも景品を入手することはできますが、「もっと豪華な景品がほしい!」ということで、父に連れられ、南九州のチェックポイントも巡ってみることにしました。

以下、大まかな行程を掲載。

2000年8月、チャレンジ九州フリーきっぷの旅行程

(1日目)
東郷~(快速)~博多~(ドリームつばめ)~八代

(2日目)
八代~(キハ40形普通)~人吉~(キハ31形いさぶろう)~吉松~(キハ58系普通)~都城
都城~(485系特急きりしま)~西鹿児島~(キハ58形普通)~枕崎~(キハ58形普通)~山川~(キハ200形快速なのはな)~西鹿児島・・・(父の知人と合流)・・・西鹿児島~(485系特急きりしま)~都城~(485系特急きりしま)~西鹿児島

(3日目)
西鹿児島~(485系特急きりしま)~南宮崎~(キハ40形普通)~志布志~(キハ40形普通)~宮崎
宮崎~(783系にちりん崩れ)~宮崎空港~(783系特急にちりんシーガイア)~大分~(883系特急ソニック)~折尾~(快速)~東郷


・・・というコースでした。ところが、これは本来の行程ではありません。というのも2日目に、西鹿児島駅でのツーショット撮影を忘れてしまい、都城で慌てて下車して折り返し、本来なら宮崎泊とすべきところを鹿児島泊に変更したためです。もし西鹿児島でのミスがなければ、3日目に高千穂鉄道の「たかちほ号」で亀ヶ崎まで乗車できました。

鹿児島泊でも、「たかちほ号」には日向岡元まで乗車できたのですが、あまりのショックで乗車する気になれず、結果として一生高千穂線に乗車することなく終わってしまいました。洪水で悲惨な末路を迎えることを知っていれば、日向岡元まででも乗っていたのに・・・といまだに悔やんでいます。災害ばかりは予測できないので、どうすることもできません。

近年、災害を理由に廃止(大胆にいえば切り捨て)されるローカル線が続々と出てきています。廃止がほんの少しでも噂されている路線を目にする際は、どんなに細かいことでもよいので記録に収めておくと、後になってそれが役立つときが来るでしょう。なぜならば、その路線が災害の被害を受けたとき、復旧しないまま廃止される可能性があるためです。大赤字と度重なる不祥事のため、ついに徹底的な合理化に乗り出したJR北海道の路線に関しても同様です。

本来の行程

(1日目)
東郷~(快速)~博多~(ドリームつばめ)~八代

(2日目)
八代~(キハ40形普通)~人吉~(キハ31形いさぶろう)~吉松~(キハ58系普通)~都城
都城~(485系特急きりしま)~西鹿児島~(キハ58形普通)~枕崎~(キハ58形普通)~山川~(キハ200系快速なのはな)~西鹿児島・・・(父の知人と合流)・・・西鹿児島~(485系特急きりしま)~宮崎

(3日目)
宮崎~(普通)~南宮崎~(キハ40形普通)~志布志~(キハ40形普通)~宮崎or田吉
宮崎or田吉~(普通)~宮崎空港~(特急にちりんorひゅうが)~延岡~(高千穂鉄道たかちほ号)~亀ヶ崎
亀ヶ崎~(普通)~延岡~(特急にちりん)~大分~(883系特急ソニック)~折尾~(快速)~東郷


1日目(東郷~博多~八代)

1日目はフリーきっぷ利用期間の関係上、博多から八代まで乗車した「ドリームつばめ」にはフリー切符を使用せず、別途乗車券を購入した記憶があります。もしくは日付を跨いだ直後の停車駅までの切符を購入し、そこから八代駅までフリーきっぷを使用したかもしれません。この頃はまだ、自分で旅行することもままならない「お子様」だったので、切符購入はほぼ父任せでした。

787系ビュッフェ合造車のボックス席に落ち着き、博多駅で購入した麦茶を飲みながら夜の鹿児島本線を南下しました。つい1か月前まで筑肥線沿線に住み、鹿児島本線沿線に引っ越したばかりの私にとって、787系など交流電車は新鮮味あふれる存在で、乗車後しばらくは落ち着けませんでした。ところが薄暗く落ち着いた車内と心地よいジョイント音のおかげで、夜行列車にしては珍しく熟睡してしまいました。眠りに入ったのはたしか、羽犬塚駅あたりだったと記憶しています。

チャレンジ九州フリーきっぷ
「ドリームつばめ」という愛称名通り、すっかり夢心地になっていたのもつかの間。父に叩き起こされるので目覚めると、列車は地方小都市の駅に到着したようで、駅名表を確認すると下車駅の八代でした。どうやらずっと起こそうとしていたらしく、あわてて荷物をまとめ、デッキに移動して無事下車できました。夜行列車で爆睡したのはこれが最初で最後です。駅到着後、駅舎内で一夜を明かして明朝の肥薩線始発の出発を待つことに。

2日目(八代~吉松~都城~西鹿児島~枕崎~西鹿児島)

2日目は清々しい早朝の八代駅から始まります。主要駅らしく、広々とした昔ながらの洗面器で顔を濯いでキハ40形1両編成の人吉行に乗車しました。朝食に関する記憶は一切なく、おそらく八代駅前のコンビニでサンドイッチを購入したのかもしれません。

八代から肥薩線で球磨川をさかのぼり、前日に購入した麦茶をちびちび飲みながら移動を続けます。ぬるくなった麦茶は時間を追うごとに不味くなっていき、結局人吉到着時の時点でも残っていたので捨てました。車窓の記憶よりも麦茶の記憶が強いのはなぜだろう、と未だに考えることがあります。

人吉での待ち時間はそこまで長くなかったようで、駅名標とツーショットしてくま川鉄道車両を1枚収めた後は、すぐに吉松行きの「いさぶろう」に乗り込みました。今でこそ殆ど指定席のキハ40系が使用されている「いさぶろう」ですが、当時はボックス席を畳敷きにした特別仕様のキハ31形が使用されていました。わざわざ指定券を購入するか、短いベンチを確保するか、立ちっぱなしか、という選択肢しかない今の「いさぶろう」「しんぺい」に比べると、当時の同列車ははるかに自由の効く存在でした。畳の上には座布団も敷かれ、ゆったり気分で九州屈指の勾配区間を移動することに。

当初の計画では、人吉から吉松まで急行「えびの」を利用する予定でした。ところが2000年3月の改正で廃止されてしまい、予定を若干変更しています。

さすがは観光列車なだけあって、「いさぶろう」には観光用アナウンスや絶景ポイントでの徐行運転が用意されています。観光列車としてのグレードは今の方が上かもしれませんが、昔の方が素朴な車内でよかったです。途中、運転士さんから運転区間に関するパンフレットを戴けるなど楽しい道中になりました。

高く険しい山を越え、ついに南九州に到達。吉松駅で肥薩線に別れを告げて吉都線の都城行に乗り換えます。車両はなんと、急行型のキハ58系を改造してデッキを撤去したもので、これが人生初のキハ58乗車になりました。この頃の南九州の非電化区間はキハ58の天下と言っても過言ではなく、この後いやというほどキハ58を見ることになりました。フィルム節約のため、キハ58の写真を殆ど収めておらず、後々だいぶ後悔しています。

さすがは急行型なだけあって、キハ58系の乗り心地は上等です。どんなに線路状態の悪いローカル線でも、それを感じさせません。もし乗車した列車がキハ40系だったら、トランポリンで遊ぶように跳ねながら旅する羽目になったでしょう。途中、チェックポイントの小林駅で急いでツーショット写真を撮った後は、ずっと都城駅までのんびり過ごしました。

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▲都城駅にて
宮崎県西部をひた走り、ようやく日豊本線と交わるターミナル・都城駅に到着です。広い構内には雑草が生い茂り、レールが剥がされた錆びだらけのターンテーブルが一番印象に残っています。構内には吉都線のキハ58系のほか、日豊本線の713系に485系と、どれも国鉄型ばかりです。ときおり急行型の457系もやって来ます。2000年の南九州では、少し前まで富山で見られた風景が残っていたのです。

次に利用する特急「きりしま」が到着するまでの間、改札の外に出て都城駅を満喫してみます。駅舎は大きいながらも、博多駅のように施設が所狭しと詰まっているわけではなく、広いだけで寂しいという印象を受けました。日豊本線の中でも特に、南宮崎以西はローカル色が非常に強く、このままで日豊本線は大丈夫なのか・・・と心配になったものですが、数年後に817系が導入され、さらに「にちりんシーガイア」で使用されていた787系が日豊線にカムバックするなど、現在の使用列車は九州北部とほぼ変わらない状態になっています。

都城からようやく「チャレンジ九州フリーきっぷ」の長所を生かした移動が始まります。485系特急「きりしま」に揺られ、西鹿児島まで一気に移動して指宿枕崎線の乗車に備えました。車内は座席モケットや化粧板がミトーカ仕様になっているとはいえ、根本的な設備は国鉄時代から変わらないようで、所々にガタがきています。それでも特急らしく、山間部をかっ飛ばしながら進むこと1時間、ようやく鹿児島湾が見えてきました。列車で鹿児島入りするのはこれが初めてです。ところが2015年現在、あれが最初で最後の列車での鹿児島入りになっています。九州住まいにも関わらず。

おそらく正午過ぎの時間帯に、西鹿児島到着。

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▲どうにか九州の457系を収めたものの、残念ながら解体線にいた
上の写真は2008年、小倉工場(小倉総合車両所)にて

昼食の記憶もありませんが、おそらく西鹿児島駅でうどんか何かを食べています。大量の457系(デカ目・元サロを含む)が構内に屯していたにもかかわらず、なんと一枚も収めていません(!)。知識の薄い子供だったとはいえ、どうして写真を撮らずにスルーしてしまったのでしょうか。

ここから指宿枕崎線に乗り、運転本数の少ない山川以南を抜けて枕崎駅を目指します。西鹿児島から枕崎まで直通する列車に乗り込み、1度も乗り換えすることなく枕崎に到着したと記憶しています。ここでも近郊化改造を受けたキハ58系に乗車しましたが、同路線ではキハ40系も使用されているので、乗り心地の良いキハ58に当たってラッキーでした。しかし写真は残っていません。

山川以南は先述のように本数が極端に少なく、軌道状態も悪化します。交換駅は西頴娃しかなく、枕崎までひたすら似たような棒線ホームの無人駅に停車しながら進んでいきます。同じような駅しかないせいで、子供の私は終始ローテンションで車窓を眺めていました。ゆえに開聞岳と西大山駅以外、これといった思い出が残っていません。

終点の枕崎駅に着いた時、疲れに疲れて魂がどこかに飛んでいるような気分でした。しかし折り返し時間は短く、うかうかしていると乗り遅れてしまいます。素早く駅名標とのツーショットを済ませ、車内に戻るとすぐに列車は動き出しました。鹿児島交通南薩線の面影残る、オンボロ木造駅舎と若干埃っぽい構内の様子はしっかり覚えています。もし時間があれば、ゆっくり駅舎を見てみたかったものです。

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▲南九州の非電化区間は九州色キハ58の天下だった
上の写真は2008年、早岐にて

枕崎からもと来た道を戻ります。ただでさえ疲れているのに、これがキハ58系ではなく40系だったらもっと疲れていたかもしれません。帰りは山川駅で快速「なのはな」に乗り換えるので、それまでひたすら我慢を続けました。今でいうところの、山陽本線で下関から相生まで移動するときの感覚に似ています。山川駅に到着後、ようやく数時間乗り続けたキハ58系に別れを告げ、西鹿児島行きのキハ200系「なのはな」に乗り換え。

山川駅は指宿枕崎線を南北に分かつ主要駅ですが、意外にも規模は小さく、市街地からやや離れた場所に位置しています。駅の規模に驚きながらキハ200系に乗り換え、一路西鹿児島駅を目指しました。確かにキハ58系は乗り心地良しでしたが、民営化以後に登場したキハ200系にはかないません。ガンガン飛ばすキハ200系に乗ると、終点の西鹿児島までそう時間はかかりませんでした。

鹿児島では父の知り合いと落ち合い、市街地で夕食をとりました。ここから宿泊先の宮崎へ向かおうと「きりしま」に乗車するも、霧島神宮駅を出発した直後、西鹿児島駅とのツーショットを収めていないことに気付きました。しかし次に停車するのは都城と遠く、一旦西鹿児島に戻っても同日中に宮崎には行けないという結論に至りました。ここで高千穂鉄道乗車を諦めることになり、後悔することになったのは先に述べたとおりです。

西鹿児島駅到着後、忘れないうちに駅名標とのツーショットを済ませ、駅前でビジネスホテルを探し求め、2日目の寝床をどうにか確保することができました。屋上に大浴場が付いた、上等なホテルだったのはよく覚えています。

「2000年夏・チャレンジ九州フリーきっぷの旅(2)」に続く。
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  コメント
No title
災害による廃止といえば、つい最近だと、毎年のように雪崩に悩まされる留萌-増毛間、ついに廃止する方針を伝えたというのがありました。
新幹線を万全に運転するためでしょうが、無人化、駅の廃止、車内販売の縮小など、相当な大鉈となりそうです・・・


「九州豪遊券」が無くなったJR九州、フリーきっぷが復活したかと思ったら、以前のお話ですね。

ハザの夜行列車がまだ或る程度は残っていた頃ですね。
ご自身はともかく、お父様には辛かったのではないでしょうか?

八代は、2度行きました。
旅客のうえでは主役を降りた感じで、中心街も離れていますが、王子製紙の貨物輸送が健在なことなど、重厚長大さは感じました。

キハ40は最も嫌いですが、キハ31も小さく安っぽいので好めません・・・
とはいえ、既に「いさぶろう」があったことには驚きましたし、それ用の車両は、それなりの物だったのでしょうね?

キハ58系列だと、北海道のキハ56,27が印象深いです。
床が木貼り、加減速も40よりよく、気に入っていました。
今や五稜郭で1両だけ放置されていますが・・・

指宿枕崎線は1度訪問しましたが、鹿児島中央発4時台の気動車に乗るのが辛かったです・・・
上下どちらも、指宿でも山川でも乗換できるので、片道ずつ異なる駅を使ったような記憶です。
車両基地など、主要施設は指宿にありますね?
山川は1面2線の小駅ですね・・・
西大山でだけは大勢の人を見ましたが、バスで観光に来ていました・・・
それでも、最近の下手な電車よりは、まだキハ40のほうが座り心地がよく感じてしまいます・・・


旅行記はこれからも楽しく拝読させていただきます。
レラティー #rcEo15nI [ 編集 ]    2015年08月13日(木) 19:51
レラティーさん
留萌線はあと5年も持たないだろうと思っていただけに、想定内の結果となりましたが、深川~留萌が一応残存することになったのはうれしい限りです。ただし、残存区間は引き続き厳しい環境下におかれることは間違いないでしょう。

小さいころから夜行列車に慣れ親しめたのは結果として、良かったと思っています。まさか、10年後にほぼ全滅しようとは思ってもいませんでしたから!

キハ31形は、0系の座席を転用したグループに関しては好印象ですが、そうでないグループは大ハズレ車両と認識しています。キハ125が走っていた筑豊線の冷水越えがキハ31になった時は軽いショックを受けましたよ。

キハ56は以前、函館の車両基地にぽつりと置かれているのを見たことがあります。仰るキハ56の保存車両はあれだったんですね。

山川以南の指宿枕崎線はあまりにも本数が少なく、しかも利用客も少ないので廃止が噂されています。昔から赤字だったようなので、廃止が取り沙汰されても納得がいきます。ローカル線の死がいよいよ現実のものとなっている今日、その流れが急加速して全く減速する気配を見せないのは残念で、じつに悔しい限りです。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2015年08月14日(金) 00:49
No title
深川~留萌間については、新聞報道では、深川留萌自動車道が留萌ICまで延伸される、2019年度には廃止となるだろう、とありました・・・
レラティー #rcEo15nI [ 編集 ]    2015年08月17日(月) 20:08
レラティーさん
日本=鉄道大国だといわれがちですが、我が国もとどのつまり自動車社会なんですよね。ローカル線にとって、ひとたび災害が起これば命取りになるケースが年々増え、地域高規格道路(高速道路モドキ)の整備が進むことで、辛うじて都市間輸送に従事できていた路線も危うくなるなど、これからローカル線氷河期が訪れるのは間違いなかろうと思います。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2015年08月18日(火) 21:00
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