「2000年夏・チャレンジ九州フリーきっぷの旅(1)」から続く。

2000年8月、チャレンジ九州フリーきっぷの旅行程

(1日目)
東郷~(快速)~博多~(ドリームつばめ)~八代

(2日目)
八代~(キハ40形普通)~人吉~(キハ31形いさぶろう)~吉松~(キハ58系普通)~都城
都城~(485系特急きりしま)~西鹿児島~(キハ58形普通)~枕崎~(キハ58形普通)~山川~(キハ200形快速なのはな)~西鹿児島・・・(父の知人と合流)・・・西鹿児島~(485系特急きりしま)~都城~(485系特急きりしま)~西鹿児島

(3日目)
西鹿児島~(485系特急きりしま)~南宮崎~(キハ40形普通)~志布志~(キハ40形普通)~宮崎
宮崎~(783系にちりん崩れ)~宮崎空港~(783系特急にちりんシーガイア)~大分~(883系特急ソニック)~折尾~(快速)~東郷



3日目(西鹿児島~南宮崎~志布志~宮崎空港~大分~折尾)

最終日・3日目は九州東海岸を移動する行程です。西鹿児島駅からすっかりお馴染みの存在になった485系「きりしま」に揺られ、前日宿泊する予定だった宮崎に移動しました。「山ばかりの風景、延々と時間を費やす」状況の日豊線にうんざりしてしまったようで、道中ずっとぼんやりしていたのを覚えています。今なら動画なり撮っていたのかもしれませんが、当時は生憎オンボロビデオが壊れたばかりだったので、動画機材を持ち合わせていませんでした。しかも子供だったので、途中で車窓に飽きるのは当然のなり行きだったのかもしれません。

南宮崎で「きりしま」を降り、チェックポイントの志布志目指して日南線の列車に乗り込みました。車両は日南線オリジナルの黄色塗装をまとったキハ40形1両編成。車内はさほど混雑していなかったようで、あっさりボックス席に落ち着くことができました。

日南線は海沿いを走る路線ですが、北郷町~日南市北部、日南市南部~串間市の区間で内陸部の奥深くを行くという、山あり海ありの面白いローカル線です。子供の私にはローカル線の面白さというのがあまり理解できず、終点までの駅数をひたすら数え続ける始末でした。とはいえ、道中の様子を全く覚えていないというわけではなく、なぜか日南駅の様子はよく覚えています。その理由はおそらく、市名を冠しているのに油津・飫肥駅よりも小さく、しかも棒線ホームだったからでしょう。予想と実際の差があまりにも大きかったので、私の脳裏にしっかり刻まれたのかもしれません。ちょうどお昼時に、終点の志布志駅に到着。

challenge2000_06.jpg
かつて3つの路線が集結するターミナル駅だったとは思えないほど、志布志駅構内はコンパクトにまとめられ、ホームは1本だけになっていました。あまりの殺風景さに驚きながらも、少ない折り返し時間を利用して駅前のスーパーで弁当を買い求め、どうにか出発前までに列車に戻ることができました。指宿枕崎線のときと同様、宮崎まで「苦行」の帰り道が始まります。

長いローカル線の旅に疲れ、一種の達観状態に到達していたころ、列車はようやく宮崎駅ホームに滑り込みました。これでようやく、単調なローカル線の旅とおさらばして、特急列車で大移動することができます。宮崎駅の駅名標とツーショットを済ませたのち、今度は宮崎空港行きの列車に乗り換えました。ちょうど執筆中に思い出しましたが、この時乗車したのは延岡発の特急「ひゅうが」崩れです。宮崎から宮崎空港駅まではそう時間がかかりませんでした。

宮崎空港駅で駅名標とのツーショットを済ませたら、あとは特急「にちりんシーガイア」に乗り換えて帰路につくだけです。しかし最後まで気を抜くことはできません。ここで大きな問題に直面したのです。

宮崎空港駅に到着後、列車の扉が開くと大急ぎで駅名標のある場所に移動して、例のツーショットを済ませておきます。このとき、向かい側のホームには博多行き「にちりんシーガイア」が停車中していました。ツーショット撮影中、なんと「にちりんシーガイア」の方から車掌の笛が聞こえ、撮影を終えて乗り込もうとしたのもつかの間、無情にも扉は閉まり、列車はついに動き出そうとしていました。しかし、旅の神様は私たちに味方してくれたようです。車掌氏が遅れた乗客に気づき、扉を開けてくださりました。

challenge2000_07.jpg
「ひゅうが崩れ」到着時間と「にちりんシーガイア」出発時間がちょうどダブるので、乗り遅れる可能性が高いかもしれないと覚悟していましたが、どうにか乗車することができました。

日豊本線、とくに宗太郎越えの区間は特急といえども本数は少なく、一本特急に乗り遅れるだけでも、帰宅時間は大きく変わってしまいます。しかも今回、高千穂鉄道乗車を断念した代わりに、大分駅から883系「ソニック」に乗車する算段を立てていたので、宮崎空港駅で行程をうまく繋ぎあわせることは重要事項だったのです。子供だったとはいえ、父には旅行中迷惑ばかりかけてしまいました。

乗り遅れかけたにもかかわらず、783系先頭車の最前列は空いていました。当時、「にちりんシーガイア」の小倉側先頭車は喫煙・自由席で、たばこの煙が気にならなければ乗車券・特急券だけで贅沢な前面展望を満喫することができました。現在でも、小倉側の先頭車が自由席であることは変わりなく、しかも禁煙化されているのでたばこの煙で嫌な気分になることなく、快適に移動することができます。

前面展望というビッグプレゼントを得た私はひたすら、迫り来る風景を楽しみつづけました。特急は速い、速い、しかもJR型だから車内が綺麗。国鉄型オンリーの旅路から一転して、ゆったりハイパーサルーンの旅が始まりました。

乗車予定だった高千穂鉄道の気動車を横目に、「いつかこの列車で高千穂を」と叶わぬ夢を抱きながら延岡駅を後にすると、かの有名な宗太郎越えが始まります。今でこそ普通列車は指で数えるほどの本数しかなく、キハ220形1両が走るのみですが、15年前の方が今よりも本数がありました。たしか、亀川発南延岡行きという超ロングラン列車も走っていたはずです。

宗太郎越えを経て、ついに南九州を脱出して大分県に入り、次いでリアス海岸沿いを這うように通って大分駅に到着です。783系「にちりんシーガイア」の旅で一番印象深い思い出といえば、臼杵駅周辺で列車が信号停車したことでしょう。何気ない光景なのに、なぜか一番記憶に残っています。

大分駅では「ソニック」に乗り換えるまで時間があったので、一旦改札を出て夕食を買ってからホームに戻りました。旅の最後を飾るのは当時、まだ「最新型」の部類に入っていた883系です。当然ながらリニューアル前なので、7両編成は水色、5両編成は黄色・銀色・黒に塗装されており、初期のミトーカデザインを象徴するカラフルかつ派手な内装が印象的でした。今となっては信じられませんが、自動車のようなサイドミラーも付いていました。

130キロでかっ飛ばす「ソニック」はこれまで乗車してきた列車とは比べ物にならないほど速く、既に日没していたので車窓からの景色は楽しめませんが、速度が出ているのは実感できました。小倉駅で進行方向が変わると、折尾駅まであと数駅。特急列車の旅は間もなく終わりを迎えます。長くて退屈だったローカル線の旅も、古い国鉄特急型の旅にしても、実に味わい深く貴重な経験になりました。

折尾到着のアナウンスが流れると、ついに列車を降りる支度に入ります。暗闇の中に、ぼんやりと日常の風景が見えてきました。列車を降りて快速に乗り換えれば、40分もしないうちに我が家です。「旅もいいが、新築のさわやかな木材の香りがする我が家も捨てたもんじゃないな」と、子供心ながらに思いながら折尾駅のホームに降り立ちました。

「2000年夏・チャレンジ九州フリーきっぷの旅」(完)
関連記事




にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ にほんブログ村 海外生活ブログ 台湾情報へ にほんブログ村 地域生活(街) その他ブログ ゆるキャラへ

「ご当地」の魅力をより多くの方にお伝えするため、ブログランキングに参加中です。

バナークリックの方もよろしくお願いいたします。



上のリンクからチャンネル登録できます。台湾旅行に興味のある方、レイルファン・ご当地キャラファンの方、どうぞ気軽にお立ち寄りください。




スポンサードリンク
  コメント
No title
志布志に日南線で往復するのは、単調だろうし、効率良く乗り潰しもしたかったので、都城から代替バスを使いました。
バスでさえ、午前中の志布志行だったという事情を差し引いても、乗客2-3人はあまりにも寂しかったです・・・

駅のやや西側に、旧駅の名残があり、そこで往時の賑わいを感じ取ろうとしました。
志布志線は止むを得ないとしても、大隅線のほうは8万人近い垂水市、あと大学で有名な鹿屋市を通り、沿線人口は多いはずなのに、どうしたのでしょうね?

宮崎空港へ行くのに、田吉ではなく、態々宮崎で乗換をされたのは、遠回りでしたね?



禁煙化、九州も進んできているんですね?


883系は、車内の雰囲気が非常に気に入り、JR九州では最も好きな系列です。
唯一、揺れが酷いことだけは気になりましたが。
レラティー #rcEo15nI [ 編集 ]    2015年08月17日(月) 20:19
レラティーさん
日南線のように、長ったらしいうえ途中に接続する路線を持たない場合、移動に苦労しがちです。のと鉄道が蛸島まで通じていた頃はきっと、金沢から蛸島まで半端ない所要時間がかかったのでしょうね。正直いうと体験してみたかったです(笑)

15年前の記憶なので、もしかすると田吉で乗り換えたかもしれません。もしくはチェックポイントを消化するため、わざわざ宮崎駅に戻っていたのでしょう。記憶があやふやなところも多く、記録が不正確なところも多くありませんが、なにとぞお許し願います。

やっぱり昔の振り子式電車は揺れるものなんでしょうね。883系にはめったに乗らないので、揺れのレベルがどうだこうだと断言することはできませんが、同じ振り子式でも885系との乗り心地の差はあるのでしょうか。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2015年08月18日(火) 21:09
コメントを投稿する
URL(任意):
コメント:
Pass(削除用):