(目次)
はじめに
第1章―日本統治時代~戦後初期
第2章―20メートル級の世代へ
第3章―17メートル級「更新車」・32100系
第4章―優等客車の標準型・32850系/10000系
第5章―軽量化でより近代的に・10200系
第6章―総督府史料から紐解く「古典客車」の形態
第7章―まとめにかえて



戦前の台湾総督府鉄道について論じる際、蒸気機関車とは裏腹に、客車について言及されることは殆どありません。史料は少なく、保存車両も限られるため、論じるには困難が伴います。

情報が氾濫するネットですら、殆ど情報がないのは何ら不思議ではありません。台湾人ですら発信できる情報に限りがあるのですから、日本語による情報が無に近いのは言うまでもありません。

第1章では日本統治時代に製造された客車、そして戦後まもない時期に製造された客車の両方について見ていきます。時代の荒波に翻弄されて人々に忘れ去られ、新たな客車のために部品を提供していった、古い「台鉄客車」にスポットを当ててみようというわけです。

台湾総督府鉄道はナローゲージで建設された台東線を除き、すべて内地と同じ1067ミリ軌間で建設されました。機関車は国鉄とほぼ同型のものが使用され、国鉄に近い雰囲気だったといえます。

日本統治時代に製造された客車は専ら17メートル級で、これは1945年の実効支配喪失まで変わりませんでした。鋼製客車の製造は1930年代中ごろから始まり、オハ32000系が誕生しています。この時期は木造客車が主力だったようで、管見の限りだと、多種多様な大きさ・用途を持つグループが製造されました。

木造客車

台湾総督府鉄道下で製造された客車の中でも、木造客車が一番の勢力を誇りました。大きく分けると、雑型客車、小型木造客車、中型木造客車、大型木造客車の4つに分類することができます。小型木造客車には2000番台、中型には12000番台、大型には22000番台が付与され、国鉄に類似しています。

二軸車・初期のボギー車を含む、雑型客車に関する情報はどの木造客車よりも少なく、今回は割愛せざるを得ません。何の情報も得ていないにも拘らず、独自の考察をするわけにはいかないからです。

木造客車の製造は鋼製車オハ32000系の登場以降、一旦途絶えていたようです(未断定)が、戦後になってから、中華民国政権下で再び製造されました。現在、貴賓車のトク2(SA4101)、皇室用のトク1(SA4102)、TPK2000形2053、SPK2500形2502の計4両が現存しています。そのうちSPK2502が戦後、再製造された木造客車にあたります。

小型木造客車―2000番台

実は戦後になって再生産された、台湾の木造客車
初期の台鉄を支えた小型木造客車には、座席車だけでなく、寝台車・展望車といった用途を持つ車両も存在しました。小型・中型と区分されているものの、現存するTPK2053は国鉄の中型木造客車に分類されるホハ12000系に近く、どの大きさを以て小・中・大と区分していたかについては分かりません。車体の大小に関する規定が、国鉄と異なっていた可能性があります。

鋼製車の導入により、すっかり古い型になった木造客車ですが突如、戦後になって製造再開されました。台湾に進駐した「中華民国」政権に技術力がなかったからか、それとも国共内戦で弱体化したからかどうかは分かりませんが、中国人による支配下に入り、台鉄の車両水準は20年前に逆行してしまったのです。2500番台が戦後製のようなので、2500系という独立した名称を与えておきましょう。

下の表では便宜上、国鉄・台湾総督府鉄道で用いられた形式称号を併記していますが、実際にその番号が付与されたとは言い切れません。TPK2053はホハ2070形だったという考察が出ています(洪致文氏『飛行場の測候所』「台鐵木造客車TPK2053身世考證」)が、下の表にはTPK2070を見ることができません。もしかすると、戦後に番号整理・改造による新規区分の出現があった可能性があります。

また、下の一覧はwikipedia「臺灣鐵路管理局營運車輛列表」を参考にしたものです。記述漏れにより、ホハ2070形が抜けているだけという可能性も、無きにしも非ずです。念のため、「台湾総督府交通局鉄道年報」をあたってみたところ、一覧にはない形式の存在を確認できました。年報から見える情報は別項にまとめたいと思います。

参考資料として拙記事を引用される場合は、以上の点をまずご了承になった上で引用願います。

 25TP(ホハ)2000
 25TPK(ホハフ)2000
 25TPK(ホハフ)2010
 25TPK(ホハフ)2040
 25TPK2050:25TPK2053が苗栗鉄道文物展示館に保存されている。洪氏はこの番台が大正年間当時、まだ存在していなかったことを指摘している。
 25TP(ホハ)2060
 25TP(ホハ)2080
 25TP(ホハ)2090
 25TPK(ホハフ)2100
 25TP(ホハ)2110
 25TPK(ホハフ)2200
 25TP(ホハ)2210
 20TP(コハ)2220
 25TP(ホハ)2300
 25TP(ホハ)2400
 25TPK(ホハフ)2400
 30TP(ナハ)2450

二三等合造車
 25STP(ホロハ)2000
 25STP(ホロハ)2020

一二等合造車
 25FSP(ホイロ)2000

一等車
 25FP(ホイ)2000
 20FP(コイ)2010

一等展望車
 20FOB(コイテ?)2000:1904年に台北工場で製造された一等展望車。1980年に30TPK2001に改造された。

二等寝台車
 25SS(ホロネ)2000

一等寝台車
 25FS(ホイネ)2000

食堂車
 25DC(ホシ)2000

郵便・荷物車
 25TBK(ホハニ)2000
 25TMK(ホハユ)2000
 30BK(ナニ)2000
 25TBK(ホハニ)2010
 25TMK(ホハユ)2010
 30BK(ナニ)2010
 20BK(コニ)2020
 25TBK(ホハニ)2020
 30TBK(ナハニ)2030
 25TBK(ホハニ)2100
 25TBK(ホハニ)2200

特別車・公務車
 20SA4102(トク1):皇室用客車。
 25SA4101(トク2):主に総督用として用いられた貴賓車。
 20SC(コトク?)2200
 25SC(ホトク?)2210

2500系
 30SP2500
 30SPK2500

戦前の改造
 25SC(ホトク?)2010:1916年に台北工場でホハユ2019を改造して、公務車として用いられた車両。25SC2019号1両のみ存在する。
 25HC(ホヘ)2000:病客車。『台湾総督府交通局鉄道年報. 第40 (昭和13年度)』における、「一二等車(ホイロ)を病客車(ホヘ)に改造せるもの二両なり」という記述は、この車両に関するものであろう。

戦後の改造
 25SC4:1953年に台北工場で20FP2011を改造した車両。公務車して、台鉄のアメリカ人顧問・モールスが使用した。1980年に30TPK2002に改造され83年に廃車、95年に解体された。
 30TPK2000:20FOB2001・25SC4を改造し、三等緩急車とした車両。1983年に廃車、95年に解体された。
 25ES2050:25TPK2050を改造して事業用車とした車両。どうやら、この時に丸屋根化改造を受けたようだ。
 30ES2500:30SPK2500を改造して事業用車とした車両。


中型木造客車―12000番台

中型の木造客車には12000番台が与えられました。車体の大きさは国鉄ホハ12000系に近かったのではないかと思います。こちらもバリエーション豊富です。

三等車
 30TPK(ナハフ)12000
 30TP(ナハ)12000
 30TP(ナハ)12040
 30TP(ナハ)12050
 30TPK(ナハフ)12050
 30TP(ナハ)12070
 30TPK(ナハフ)12070
 30TPK(ナハフ)12080
 30TP(ナハ)12090
 30TPK(ナハフ)12090
 30TPK(ナハフ)12100
 30TP(ナハ)12300
 30TP(ナハ)12350
 30TP(ナハ)12370
 30TP(ナハ)12500
 30TPK(ナハフ)12500

二等車
 30SP12000
 30SP12050
 30SP12300

一二等合造車
 30FSP12000

寝台車
 25FFS(ホイネイ)12000
 25FS(ホイネ)12000 
 30TTS(ナハネハ)12300

荷物・郵便車
 30TBK(ナハニ)12000
 30MBK(ナユニ)12000
 30BK(ナニ)12000
 30BK(ナニ)12030
 30BK(ナニ)12050
 30TBK(ナハニ)12050
 30MBK(ナユニ)12050
 30MBK(ナユニ)12500

大型木造客車

同名の国鉄22000系客車と同じ大きさだったのではないかと思います。三等・二等座席車と各等級の寝台車が存在します。国鉄22000系と異なり、通常型と緩急車とで、番号が揃えられているのが特徴です。

三等車
 30TP(ナハ)22000
 30TPK(ナハフ)22000
 30TP(ナハ)22020
 30TPK(ナハフ)22020
 30TP(ナハ)22050
 30TPK(ナハフ)22050

二等車
 30SP(ナロ)22020
 30SPK(ナロフ)22020

寝台車
 30FFS(ナイネイ)22020
 30FS(ナイネ)22020
 30SS(ナロネ)22020
 30TS(ナハネ)22020

オハ32000系

1935年から40年にかけて汽車製造・日本車輛・川崎車両で製造された、台湾初の鋼製客車です。写真が『時報悅讀網』「鐵道博物館―32000 三等車、二等車」に掲載されているので、あわせてご参照ください。

『台湾総督府交通局鉄道年報. 第37(昭和10年度)』に鋼製客車の製造を報告する一文が記されています。以下、引用文。
始政四十周年記念台湾博覧会乗客輸送上政策を急ぎし為特に鋼製客車を内地車輌制作会社に注文して増備せり。(以上)

車体は同時期に製造されたスハ32系に類似しており、まさに「ミニチュア版スハ32」の名にふさわしい外観です。丸屋根が美しく、C55に牽引させたらさぞかし美しかったことでしょう。

三等車
 35TP(オハ)32000:1935年~1940年に製造された3等客車。
 35TPK(オハフ)32000:1935年に製造された3等緩急車。
 35TP(オハ)32100:1942年~1944年に製造された3等客車。
 35TPK(オハフ)32100:1941年に製造された3等緩急車。

二等車
 35SP(オロ)32000:1935年~1940年に製造された2等客車。
 35SP(オロ)32100:1943年に製造された2等客車。

一等二等合造車
 35FSP(オイロ)32000:1937年に製造された1等・2等合造客車。1954年に改造され、展望室が設置された。

荷物・郵便車
 35MBK(オユニ)32000
 35BK(オニ)32000

戦後の改造
 35DC32100:1951年にTP32100を改造し、食堂車とした車両。2両存在した。
 35SPK32000:1958年にFSP32000を改造し、2等緩急車とした車両。

22500系「成功号/銘伝号」

戦後、縦貫線で運行された優等列車「成功号」「銘伝号」用として製造された木造車両。各級座席車と二等寝台車、食堂車が存在します。車端部に連結された展望車は流線形で、南満州鉄道の展望車に通ずるデザインが特徴的。

1956年改正により「成功号」「銘伝号」は消滅し(洪氏「成功號‧銘傳號的座椅半世紀後意外出土!」)、そのまま同系列も姿を消していったと思われます。

三等車
 30TP22500

二等車
 30SP22500

一等二等合造車
 30FSP22500

二等寝台車
 30SS22500

食堂車
 30DC22500

32200系

戦後、三等客車として製造されたTP32200形をベースとする一群。1953年に等級制が廃止され、「種別=等級化」という事実上のモノクラス化が行われました。しかし、モノクラス化が完了したのはさらに後のようで、同系列には三等車も存在します。

等級制の廃止以降、形式称号の付与方法が大幅に変わるので、この系列が本来の意味に基づいて形式称号が付与された最後のグループということになります。

三等車
 35TP32200:1951年に日本車輛で製造された三等客車。1954年にSP32200に改造された。
 35TP32500
 35TP32550

二等車
 35SP32200: 1954年に35SP32500と座席を統一するため、改造を受けて二等車化された。
 35SP32500
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