(目次)
はじめに
第1章―日本統治時代~戦後初期
第2章―20メートル級の世代へ
第3章―17メートル級「更新車」・32100系
第4章―優等客車の標準型・32850系/10000系
第5章―軽量化でより近代的に・10200系
第6章―総督府史料から紐解く「古典客車」の形態
第7章―まとめにかえて



第1章では日本統治時代から1950年代中ごろにかけて製造された、17メートル級客車について見てきた。台鉄では長らくの間、17メートル級客車が主力を担っていたが、ついに1950年代後半から、20メートル級客車の導入が開始された。

客車は用途によって3種類に分類することができる。1つ目は「観光号客車」、2つ目は「藍皮客車」、そして3つ目は「通勤客車」。この呼称は現在、台湾のレイルファンによって用いられているものを、日本語でも分かりやすいように若干改良したものである。現地でも、このように称されているわけではないので注意されたい。

台湾版特ロ・観光号客車―32700系

1961年、台鉄では新たな優等列車「観光号」が設定された。これに伴い、SP32750形客車が用意されたほか、1957年に登場したSP32720形も車体更新を受け、観光号客車の一員となった。20メートル級の車体を持ち、従来の17メートル級客車よりも収容力に優れ、リクライニングシート・冷房を採用するなど、当時としては最新鋭の設備を有していた。車体は後述の「藍皮客車」32900系に類似するが、乗降扉は開き戸ではなく折戸である。

1970年代後半に入ると32850系客車の製造が始まり、陳腐化が進んできた。そこで、大規模な車体更新によりSP32850形と同様の車体に振り替え、莒光号用に転用することになった。車籍は改造前のものを踏襲しており、1720系と同様の車体に振り替えられた東武1700系の扱いに近いといえる。現在では、総統花車に改造されたSA32800形が観光号客車オリジナルの姿を持つ唯一の存在である。

旅客車
  • SP32700:1957年、日本車輌で製造され、当初は対号特快運用に使用された。後の改造により、SP32720に改番された。
  • SP32750:1960年、日本車輛で製造され、観光号用に供された。1977年、唐栄鉄工廠で車体更新を受け、莒光号用に転用された。現在では緩急車設備を有する。
  • SP32800:1967年、台鉄台北工場で製造され、観光号用に供された。1978年、唐栄鉄工廠で車体更新を受け、莒光号用に転用された。現在では緩急車設備を有する。

食堂車
  • DC32750:1960年、日本車輛で製造され、観光号用に供された。1977年、車体更新を受けて莒光号用に転用された。1990年、SP32750(32773-32775)に改造され消滅。

郵便・荷物車
  • PBK32800:1967年、観光号用の電源荷物車として製造され、のちに莒光号用に転用された。1981年から82年にかけて、台鉄台北工場で更新を受けた。

改造車
  • SP32720:SP32700から改造されて登場。パーラーカーPC32701に改造されたSP32712を除き、1963年・72年に改造されて観光号客車となった。1977年、唐栄鉄工廠で改造されて莒光号用に転用された。現在では緩急車設備を有する。
  • SA32800:1969年、台鉄台北工場でSP32820を改造して登場。1両のみ在籍し、SA32820が総統花車として供されていた。
  • PC32700:1972年、台鉄台北工場でSP32700形SP32712を改造して登場したパーラーカー。PC32701号1両のみ存在する。1988年、空気ばね台車に換装され、1994年には車体更新を受けてSP32850形に準じた外観となった。現在では緩急車設備を有する。

台湾版スハ44系・藍皮客車―32900系

1957年に登場したSP32700形を皮切りに、20メートル級客車が対号特快向けに製造された。やがてSP32700形は車体更新を受け、観光号用に転用されたが、同型のコンセプトを持つ客車は10数年にわたり製造され続け、台鉄の近代化に貢献した。製造が進むにつれ、ノーシル・ノーヘッダになるなど、外観に変更点がいくつか見られる。

このグループは「藍皮車」として親しまれており、現在でもSPK32700形が1往復のみ、南廻線に定期運用を持つ(2015年12月現在)。老朽化が進んでおり、かつ冷房であるため、引退はそう遠くないものと思われる。

同項では、1962年に製造されたSP32900形に準じた車体を持つ客車を便宜上、32900系としてまとめたい。ただし、32900番台と1966年に製造された32400番台以降とでは、定員に若干の違いがあるため、上記の分類法を批判するレイルファンもある。

ES32422.jpg
▲ES32422


▲ES32703

SPK32757.jpg
▲SPK32757

旅客車
  • SP32900:1962年、台鉄台北工場で製造された。
  • SPK32900:1962年、台鉄台北工場で製造された。
  • SP32400:1966年、川崎車輛で製造された。SP32426が打狗鐵道故事館に保存されているほか、一部車両はES32400に改造された。
  • SP32550:1968年、新潟鐵工・帝国車輛(現:総合車両製作所)で製造された。一部車両はES32550に改造された。
  • SPK32600:1969年、近畿車輛・富士重工で製造された。一部車両はES32600に改造された。
  • SPK32700:1970年、新潟鉄工・近畿車輛・富士重工で製造された。1993年から1994年にかけて、50両が唐栄鉄工廠でSPK2300に改造されたほか、ES32700に改造された車両も存在する。

郵便・荷物車
  • BK32400

改造車
  • SPK2300:1994年、唐栄鉄工廠でSPK32700を改造して登場。冷房が搭載されて固定窓になり、復興号に供された。復興号運用から外れた後、数両が加禄駅に疎開留置されている。2014年ごろ、数両がSPK32700と同じ塗装に変更され、イベント用に修復された。現在では主にSLに牽引されて使用されることが多く、立ち位置としてはJR東日本の12系客車に近い。

32450系
32450系は32900系と同じ車体を持ち、同グループの一員として扱われることが多い。通常の32900系は車軸発電を採用しているが、同系列は電源車CBK32450形による集中電源方式を採用した。電源供給を受けるにはCBK32450の存在が不可欠であり、あまりにも電源方式が特殊すぎたためであろうか、32450系は早々と消滅し、台枠はFP1000形等に転用された。

辛うじて、SPK32456・32457の2両は廃車を免れ、台車・座席交換・電源方式の変更を経て継続使用されたが、廃車となり現存しない。(『鐵路車輛大觀』)
  • SP32450:1968年、台鉄台北工場で製造された。
  • SPK32450:上に同じ。
  • CBK32450:1968年、台鉄台北工場で製造された電源荷物車。

通勤客車―32600系

台湾の鉄道では長らく、デッキ付き客車が主力をなしており、ラッシュ時になると乗降に時間がかかったことであろう。1950年代後半になり、車端部に寄せられていた乗降口を車体中央寄りに移し、デッキを省略した「通勤客車」が考案された。

「通勤客車」の登場は1950年代中頃と古く、以降15年にわたって製造が行われた。その途中で仕様変更が行われており、当初片開きだった乗降扉は両開きに改められた。等級制消滅後、3等車を示す形式称号「T」は専ら「通勤客車」に付与されるようになった。

現在でも南廻線に定期運用を持っているほか、荷物車代用・イベント用として活用されることもある。

TP32215.jpg
▲TP32215

旅客車
  • TP32600:1956年、川崎車両(現:川崎重工業)で製造された。
  • TPK32600:1956年、川崎車両で製造された緩急車。
  • TP32700:1959年、東急車両で製造された。全車廃車となったが、TP32706のみ高雄工場内に残された。しかし、屏東線潮州電化にともない、高雄工場の機能は潮州車両基地に移転されており、行く末が注目される。
  • TPK32700:1959年、東急車両で製造された緩急車。
  • TP32770:1960年、近畿車両で製造された。
  • TPK32770:1960年、近畿車両で製造された緩急車。
  • TP32800:1961年、富士重工で製造された。
  • TPK32800:1961年、富士重工で製造された緩急車。
  • TP32850:1969年、汽車製造・新潟鉄工・川崎車両で製造された。
  • TPK32850:1969年、汽車製造・新潟鉄工・川崎車両で製造された緩急車。
  • TP32200:1971年、インド・インテグラル=コーチ=ファクトリーで製造された。別名「印度仔」。
  • TPK32200:1971年、インド・インテグラル=コーチ=ファクトリーで製造された緩急車。別名「印度仔」。

改造車
  • RCK100:2006年、TP32223・TP32269を昱慶実業(現:昱翔機械)で改造した自動車運搬車。
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  コメント
こんにちは。
こんな歴史が…調べてみると面白いですね。
事後報告で恐縮なのですが、リンク頂戴しました。不都合ございましたらご一報いただけますと幸いです。

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。
野津征亨 #- [ 編集 ]    2015年12月27日(日) 12:19
「観光号客車」、「藍皮(あいひ?)客車」は、通勤型より上なので、名前で判断してもっと豪勢かと思ったら、結構年季が入っていますね・・・

相当古い車両が現役なのを見ると、経済水準が日本ほどじゃないようにも感じますが、如何でしょうか?

未だに客車牽引の列車が主体なのでしょうか?
レラティー #rcEo15nI [ 編集 ]    2015年12月27日(日) 23:11
野津征亨さん
そういえば、もうすぐ大晦日ですね。修論執筆に精が入りすぎたせいで、全く年末を感じないまま今日まで来てしまいました(笑)

リンク掲載ありがとうございます。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2015年12月28日(月) 00:23
レラティーさん
台鉄を利用しているといつも思うのですが、日本はとにかく鉄道保安に対する法制度が徹底化されています。JR黎明期の方がまだフリーダムだったんじゃないでしょうかね。その一方で、台湾の場合は保安面がまだまだ厳しくない方なので、手動扉の古い客車を今すぐ置き換えなくてもいい状況なんでしょう。

しかし、台鉄もここ数年でだいぶJR化してきました。たとえば、自動扉の普及率は僅か10年で急速に上がっていますし、比較的新しい客車は自動扉に改造されています。車齢の高い客車は現在進行形で、置き換えが進んでいます。

現在の台鉄では、客車の占めるウェイトは低いです。特に、東部幹線は電車が多い印象を受けます。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2015年12月28日(月) 00:43
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