今回お届けする旧大島砲台は宗像市沖の離島・大島の北端部にあります。

島最大の集落と港がある島南部から循環道路に入り、切り立った断崖絶壁を避けるようにして進むと、牧場・砲台跡に入る小道が見えてきます。小道をさらに進むと、それまでうっそうと茂っていた森林が開け、広大な牧草地に移り変わります。

今回お届けする砲台跡は、牧歌的風景のど真ん中に位置しています。海が荒れた日は強い潮風がおし寄せるこの地も、波が穏やかで天気のいい日は静かで過ごしやすい場所です。

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訪問当時、ちょうど島の至る所で満開の菜の花を目にできました。こちらにも菜の花畑があり、牧草の緑と菜の花の黄色、そして空・玄界灘の青色が織りなす絶景がじつに素晴らしいです。

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先述のように、こちら砲台跡の周辺には牧場があります。広大な牧草地に牛・馬の姿が見え、牧歌的風景に花を添えています。大島で飼育された牛は大島牛というブランドで知られていますが、其のじつ流通量は非常に少なく、幻の牛肉と言える存在です。私も食べたことがありません。

循環道路から砲台跡に向かう道脇には、屠畜されていった牛のため牛魂碑が鎮座しています。

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砲台跡はすべてが観光用に整備されているわけではありません。園地外には農業倉庫として余生を送る砲台監視所や、放棄されたままの砲台跡もあります。

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砲台周辺には芝生が張られ、散策できるよう遊歩道も整備されています。そこから少し離れた岬には、おしゃれな風車が建っています。小高い丘から見下ろす海原もなかなか良い。

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穏やかな草地と菜の花畑を背景に、武骨な監視所が鎮座する光景は、大島を代表する絶景の一つに数えられています。

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ここ砲台跡には監視所だけでなく、砲座も良好な状態で残されています。遊歩道が砲座まで伸びているため、これらを間近で観察することができます。

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▲砲台監視所下部

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▲砲台監視所上部

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監視所の窓からは玄界灘を遠く、幅広い角度で眺めることができます。実戦に使用されることはありませんでしたが、本土防衛のため稼働していた頃の緊張感が今も染みついています。

現在では神域として立ち入りが制限されている沖ノ島にも、大島と同じように砲台が設置されていました。

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一部の不心得者には、物を大切にするという意味が分からないようです。建物だろうが汽車だろうが、彼らはお構いなしに落書きを残していきます。

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海に背を向けてみると、北海道は美瑛のような風景が広がっています。

付録:哀しみの島からふと

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場所は少し変わって、砲台跡のお隣にある駐車場には真新しい石碑「日本海海戦・戦死者慰霊碑」が鎮座しています。これは日露戦争時、東郷平八郎元帥率いる日本艦隊が露バルチック艦隊を破った海戦による死者を悼み、建立されたものです。

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ここからが本題、慰霊碑の足元には日本を含む東ユーラシアの地図が描かれています。日本はその他の国と異なる色で塗られており、ロシアと陸で接する国境には赤い線が引かれています。

こういう図を見る時、私はいつも南樺太がどのように描写されているのか目を通しています。かの地はソ連による不法占拠・サンフランシスコ平和条約締結後もなお、領土未確定の地とするのが外務省の見解です。学校教育に供されている地図帳において、北緯50度以南の地域・得撫島以北の「北千島」を白地で表記しているのはそのためです。

ところがなんだ。慰霊碑の地図を見ても、樺太の北緯50度線には何も引かれていません。これを日露戦争当時の地図としたならば、樺太に国境線がひかれていなくても不思議ではありませんが、現在のカザフスタン一帯が露領域から外されていること(当時カザフは併合済み)を考えると、この地図が現状を反映したものであることに間違いはありません。

樺太の北緯50度線には何も引かれず、色はロシアと同色。これでは南樺太が露領土であることを認めていることになり、外務省の公式見解とは異なります。確かに現在、樺太は南北ともにロシアの実効支配下にあります。だからといって、なんでもやって良いとは限りません。

北緯50度線だけに赤線を引くことが「ロシアに無配慮」、という解釈になるのであれば、宗谷海峡にもあえて赤線を引くなりすればよかったのです。慰霊碑に領土問題を持ち込みたくなかったのかもしれませんが、何か腑に落ちない所があります。

昭和20年夏、あの島で何が起きたのか、それを知る日本人は年々数を減らしています。地上戦があったのは決して沖縄だけではありません。多くの住民が辛く悲しい屈辱を受け、故郷から追放され、そして時は流れて70余年。今や樺太の歴史・地名は忘却の一途にあり、哀しみの記憶が語り継がれるどころか、何とかリンだ、ユジノ何とかだと、日本人は見知らぬ異郷として何もなかったかのように立ち振る舞うようになりました。

今日、日本はいくつかの隣国から領土を削り取られようとしています。第二の樺太が生まれないためにも、日本人はかの島について知る必要があると思います。歴史は遺産でもあり教訓でもあります。

撮影日:2016年3月23日
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  コメント
こんばんは。

>一部の不心得者には、物を大切にするという意味が分からないようです。建物だろうが汽車だろうが、彼らはお構いなしに落書きを残していきます。

個人的には、全く相容れることの無い異国の存在、という印象ですね。


領土の件については、全く同感です。
この現状で、全く危機感をおぼえない人が存在する
という事実に驚愕します。

少し意見すると「ウヨ クだ」「軍/国主義」だと批判されるのは、
まったく納得がいきません・・・
過激な反応をしろとも言っていないんですけれどね。
ふぐにさん。 #36k9amUg [ 編集 ]    2016年05月15日(日) 23:51
まったく…
この、所構わず落書きをする人間てえのは、知性ってものが欠落してるんでしょうね。情けない。


情けないと言えば、主張の無い外務省もそうですね…。


綺麗な風景を感じると共に、どんな経緯があったのかを考えてみていい筈なんですが、大抵は「間違いを繰り返しません」て自虐洗脳教育の賜物的回答が来ますから…。


国を護り思う、会社を、家庭を、友を、愛する人の事を思うのと同じ。国が無ければそれらも成り立たない。藤岡弘、氏の言葉です。原文は多少違いますがね。


ちょっとは考えようや、と。長くなりすいません。
焼きそば #t50BOgd. [ 編集 ]    2016年05月16日(月) 22:27
レラティー
北海道には砲台があまり無い(函館山で見たぐらいです)ので、興味深く拝見しております。
北海道だと、海岸部にトーチカ跡が結構あり、一度は訪れてみたいものです。

美瑛の丘と、形は似ていますが、美瑛はカラフルで、また違った光景です。

「現在では神域として立ち入りが制限されている沖ノ島」と仰っていますが、以前は行けたのですか?

樺太は、北緯50°線に国境線が引かれて、南樺太は未確定を意味する白色の地図を授業で使っていましたが・・・
いつの間にか、地図帳、変わってしまったんですね・・・
祖母も一昨年他界しましたが、もっと色々とお話しししたかったものです。
#rcEo15nI [ 編集 ]    2016年05月16日(月) 22:57
レラティーさん
>「現在では神域として立ち入りが制限されている沖ノ島」と仰っていますが、以前は行けたのですか?

いえ、そういうわけではありません。戦時中は軍事利用されていたので、現在と昔を区別して表現しています。


>樺太は、北緯50°線に国境線が引かれて、南樺太は未確定を意味する白色の地図を授業で使っていましたが・・・
>いつの間にか、地図帳、変わってしまったんですね・・・

民間では、政府の樺太千島に対する見解を完全に無視した報道・紹介がなされるようになりました。このように弱腰かつ譲歩した状況から脱却できないから、敗戦から70年経った今でも領土を削ぎ落とされる危機に瀕しているのです。

あまりにも平和を重視しすぎた教育を危惧しています。国民の大多数が考えているように、戦争はいけません。しかし、人類は常に争いとともに生きてきましたから、嫌でも争いに巻き込まれる可能性は常にあります。

隣国との関係に危機感を覚えながら生きる必要がありますし、その点を教育の場でも伝えていくべきでしょう。危機感抱かずして真の平和はありません。

樺太・千島の地図に関してですが、学校教育で用いられている地図帳には「領土未確定」を意味する白地で表示されています。宗谷海峡・択捉水道・占守海峡・北緯50度線には国境がひかれ、地名は「ユジノ何とか(豊原)」というかたちで表記されています。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2016年05月17日(火) 22:06
焼きそばさん
近年になって少し変わりましたが、依然として自虐史観教育は根強いと感じます。

しかも若者の政治参加に対する熱意は薄く、政治に無関心を示す連中は「誰が政治をやっても変わらない」と、一種の思考停止状態に陥っています。思考を止めていたら、そりゃあ政治も社会も何も変わらないでしょう。

これからの日本に求められていること、それは「もはや敗戦国ではない」です。中露が「敗戦国」をネタに日本批判を展開しているのを見ると、あまりの必死さと「お前がいうな」的状況に、なんとも片腹痛く思います。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2016年05月17日(火) 23:06
ふぐにさん。さん
ふぐにさん。様、こんばんは。

> 個人的には、全く相容れることの無い異国の存在、という印象ですね。

全くその通りです。どうすれば落書きする思考になるのか、カツアゲしようという気になるのか、依存性のある薬物を吸う気になるのか・・・全く理解することができません。つまり、思考回路が我々とは全く違うということなのでしょう。


> 領土の件については、全く同感です。
> この現状で、全く危機感をおぼえない人が存在する
> という事実に驚愕します。

中韓に対して強硬的な保守派でも、北方領土問題に関しては自虐的なきらいがあります。ただ自虐的になるだけで、ロシア人による北方領土侵略を一つの教訓として、当時の凄惨な歴史を語り継ごうという方が非常に少ないです。

感情的で過激な主張は良くありませんが、言うべきことは史料を検証して言う。私も歴史学者のはしくれとして、歴史の盲点をつきながら執筆していきたいと考えています。
wra #9MBBB9Tg [ 編集 ]    2016年05月17日(火) 23:25
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