今回お届けする旧蘇澳金刀比羅社は台湾北東部、蘇澳の小高い山の上にあります。かつて「臨海道路」と呼ばれた蘇花公路から参道が分かれ、砲台山の頂上まで続いていました。

終戦から70年以上を経た現在でも、金刀比羅社の名残りが随所に残っています。今回はそんな砲台山を巡ってみようというのです。

DSCN3330.jpg
蘇澳金刀比羅社の参道は先述のように、蘇花公路から分岐していました。ところが戦後道路拡幅のために、参道の入口付近が大幅に削り取られ、断崖と化してしまいました。そのため、神社参道をそのまま辿って頂上に行くのは不可能になっています。

DSCN3328.jpg
かつての参道入口の目印は万聖廟です。ちょうどその向かい側に、かつての参道入口があったのでしょう。古い絵地図を見る限りだと、入口付近の参道は扇状に広くなっていたようです。

(参考資料)
観光社編『世界之絶勝東海バス交通鳥瞰図 : 蘇澳=花蓮港』東海自動車運輸、1935年


DSCN3321.jpg
金刀比羅社の参道は山の中腹から復活します。削平部分から1mメートルもない場所にあるのが、ここで一番有名な構造物の社号標です。

DSCN3315.jpg
▲蘇澳金刀比羅社の社号標
この社号標、なんとも危ない位置にあるのです。鎮座位置から一歩進んだ先は険しい断崖、すなわち蘇花公路の直上にあたります。社号標を正面から撮影する場合、自ずと断崖直近に足を踏み入れることになるのです。

DSCN3316.jpg
▲蘇澳金刀比羅社の社号標裏側「昭和二年四月二十日鎮座」
つまり社号標は辛うじて、道路拡幅による削平から難を逃れたということになります。この社号標がある場所は平地状になっており、隣には鳥居と東屋がありました。

DSCN3319.jpg
社号標のすぐ横にはコンクリート造りの椅子が2基、テーブルが1基残っています。これらは涼亭があった頃の名残りでしょうか、椅子には人物名が刻まれていました。なお、その人物名は明らかに台湾人です。

DSCN3320.jpg
▲椅子に刻まれた台湾人名「許太山」

DSCN3322.jpg
先ほど、社号標の隣には鳥居が建立されていたと述べました。足元を見ると、鳥居のあった場所には亀腹とおぼしき構造物が残っています。しかしこれは片方にしか残っておらず、もう一方は消失していました。

DSCN3314.jpg
社号標のある場所からオリジナルの参道階段を上ると、すぐに大きな段差に突き当たります。段差をよじ登ると、そこには明らかに神社参道とは異なるテラスと階段が広がっていました。どうやら戦後参道の一部を埋め立てたうえで、その上に新しい階段を造りなおしたようです。

また、テラス部分には石灯篭が2基移築されています。

DSCN3313.jpg
▲戦後改築された階段を上り山頂へ

DSCN3323.jpg
砲台山の山頂には金刀比羅社の社殿台座と、山名の由来になった砲台跡が残されています。社殿台座の上には日台両国のライオンズクラブによる石碑が鎮座しています。

DSCN3324.jpg
▲蘇澳金刀比羅社の社殿台座に続く階段

DSCN3325.jpg
砲台山の頂にある砲台は清代に築かれたもので、嘉慶年間に鋳造された古砲が2門置かれていたとされます。余談ですが清の嘉慶帝といえば、どうしても白蓮教徒の鎮圧・平定に追われていた印象が強いです。

DSCN3326.jpg
▲ライオンズクラブによる砲台山説明碑文

DSCN3327.jpg
▲中国人によって一部削り取られた警察官遭難紀念碑
蘇澳金刀比羅社のすぐ横には、日本統治時代に建立された「警察官遭難紀念碑」があります。どうもこの碑文に関する一次資料が見つからないので、詳細に関する説明は省きます。

DSCN3311.jpgDSCN3312.jpg
以上、蘇澳金刀比羅社の遺構についてみてきました。この他にも、やはり砲台山にある天君廟に石灯篭台座が2基残っています。こちらは2基ともに黄色く塗装されてあり、上には唐獅子が鎮座していますが、刻銘は塗りつぶされておらず判読可能です。

撮影日:2017年4月3日
関連記事




にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ にほんブログ村 海外生活ブログ 台湾情報へ にほんブログ村 地域生活(街) その他ブログ ゆるキャラへ

「ご当地」の魅力をより多くの方にお伝えするため、ブログランキングに参加中です。

バナークリックの方もよろしくお願いいたします。



上のリンクからチャンネル登録できます。台湾旅行に興味のある方、レイルファン・ご当地キャラファンの方、どうぞ気軽にお立ち寄りください。




スポンサードリンク
  コメント
コメントを投稿する
URL(任意):
コメント:
Pass(削除用):