東台湾にかつて日本人による移民村があったことは当ブログで度々ご紹介した通りです。その中でも今回は、花蓮県鳳林鎮にあった「林田移民村」にスポットを当てたいと思います。

林田移民村(以下、林田村)は日本統治時代の花蓮港庁に置かれた官設移民村のひとつで、主に煙草の栽培が行われました。村内には南岡、中野、北林といった計3つの集落が置かれ、これら地名は鳳林街(現在の鳳林鎮・光復郷北部)の小字としても登録されていました。

現在、これらの集落は南岡・中野こそ(大栄)一村・(大栄)二村と呼ばれるようになっていますが、北林だけは日本統治時代の地名を今に保っています。ここではあえて、林田村の集落名は旧名で記すことにします。

そんな林田村には上記3集落とは別に、金田という名前の集落もあります。この集落は南岡・中野・北林とは異なる経緯で誕生しました。ここからは金田集落を辿りながら、同集落誕生の経緯についてご紹介します。

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金田集落は郷道46号線と復興路の交点にあります。ちょうど南岡集落と中野集落の間に位置しており、南北にやや細長い集落です。

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金田集落の入口には、「金田」と書かれた緑色の看板が建てられています。前回訪問(2013年夏)のときは外れそうになっており、直後に支柱から外れ落ちていたようですが、その後修復されました。以前と同じ竹型の支柱に取り付けられています。

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先ほどから金田金田と言ってきましたが、この地名のルーツは「金田仔」にあるといわれています。"仔"が付いている事から分かるように、台湾人が付けた地名です。この「金田仔」はそもそも、現在の金田とは別の場所にありました。

『臺灣地區地名整合檢索系統』に収蔵された資料によると、金田仔集落はマリバシ渓北岸部にありましたが、終戦直後に洪水で流失しています。住居を失った住民はやがて、南岡と中野の間にある林を切りひらき、新しい集落を建設しました。なお、洪水で失われた金田仔の跡地は旧金田と呼ばれるようになり、現在に至ります。
(ただし、別の資料には昭和19年の洪水で流失しているという記述もあり。上記参考資料「舊金田」の項を参照のこと。)

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金田集落は外形こそ四角いものの、その内部が碁盤の目に区画されているというわけではありません。集落内に入ると、細い路地が迷路のように入り組んでいる様子が分かりました。集合住宅が密集して薄暗い都会とは異なり、垣根に日差しが差し込んで風通しの良い集落です。

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金田集落にも林田村3集落と同じように、収穫した煙草を乾燥させるベーハ小屋が数棟建っています。

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▲金田集落のベーハ小屋(1)

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▲金田集落のベーハ小屋(2)

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台湾人建設の集落ですが、歴史が比較的浅いせいか西部に多い三合院建築は(見た限りだと)見当たりません。また、木造平屋建ての住居が所々に点在していました。

総括

以上、金田集落について写真を交えながらお届けしてきました。

私は当初、金田は日本統治時代に建設されたものと思っていましたが、鳳林在住80年という方に聞き取りをしたところ、現在金田のある場所は一面林だったことが分かっています。また、「金田」が日本語で「かねだ」と呼ぶかについても伺いましたが、どうも戦後に付与された地名らしく、日本語では「きんでん」と慣用した方がよさそうです。

(鳳林駅前の商店「亜美花蓮名産」の陳鏡尭さん、ご協力ありがとうございます)

撮影日:2017年4月2日
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