今回お届けする旧「里壠社」は台湾東部・関山鎮にあった日本統治時代の神社跡です。神社名の「里壠」は関山の旧名にあたる地名で、昭和12年の地名改称により「関山(かんざん)」へと改められました。

関山における神社建立は比較的遅く、昭和になってからの1928年です。つまり里壠社は20年も存在しなかったことになります。同神社はやはり戦後取り壊され、境内跡地はごく一般的な農道になってしまいました。以下、跡地周辺での調査記録についてお届けします。

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▲旧里壠社入口
里壠社は山の麓にありました。写真上では神社入口の様子を写していますが、左の大きな道はカムテン(崁頂)集落に、右の小さな道は神社跡に続いています。神社だったことを示す遺構は見当たりません。

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神社の話題からそれますが、トキワススキとネコジャラシ(エノコログサ)を足して二で割ったような巨大植物が生えているのを台湾各地で目にします。これは一体何という植物なんでしょうかね。

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▲旧里壠社参道
もはやごく普通の道と化しています。お洒落なブロック舗装が施されているのは、公園として整備されている背後の山に至る通路になっているからです。

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▲旧里壠社全景(正面から眺めて)
写真上の中央部付近に社殿があったようです。そもそも境内・社殿自体が小さかったので、神社を思わせるような敷地の広がりもありません。つまるところ「何もありません」。

以上、旧里壠社の境内跡地について見てきました。たしかに遺構は何も残っていません。しかし遺物になると話は違ってきます。神社が取り壊されてから数十年後、道路工事中に土中から石灯籠の台座が「発掘」されたのです。

戦後台湾に渡ってきた中国人による神社破却の過程で、石灯籠の一部が土中に埋められていたのでしょう。その時に発掘された石灯籠台座は現在、神社跡のすぐ近くで保存されています。

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▲石灯籠台座を展示する公園
以前は雑草に埋もれていましたが、近年になって公園として整備され、説明板が一新されたほか桜の木も植えられています。

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▲旧里壠社に残る唯一の遺物・石灯籠台座

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▲旧里壠社に関する説明板
説明板には台湾全土における神社建立の背景、そして旧里壠社がどのような運命をたどったかについて記されています。文体は比較的穏やかで中立的、かつ年号も和号を用いていますが、残念ながら文頭には歴史事実に合致しない「占領」の二文字が踊っています。

撮影日:2017年4月1日
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  コメント
こんばんは
神社が無くなってしまう事態って、余程の事があったのかな、と思ってしまいます。神の杜、ですからね…。


しかし、なんで占領、なんて文字が使われているのか…統治、なら理解も出来ますが。
焼きそば #t50BOgd. [ 編集 ]    2017年06月12日(月) 00:49
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