今回は福岡県福津市の勝浦地区にある空間神社をめぐります。

同神社が鎮座する勝浦地区は、昭和30年代まで宗像郡勝浦村の一部でした。中でも神社近辺は旧勝浦村の伝統的な中心地で、福津市立勝浦小学校も立地しています。小学校の北には本村集落が、南には古賀集落が隣り合い、うち古賀地区に同神社は鎮座しているのです。

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▲空間神社全景
鳥居は入口と末社前にそれぞれ1基あります。入口から向かって右側には古賀公民館が、左側には藤棚が置かれています。境内に樹木は少なく、全体的に水はけのよい乾燥した場所だと思いました。

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古賀公民館はいかにも古そうな木造建築です。靴を脱ぐスペースは建物の外にあって、建物内に玄関・靴箱のある一般的な公民館とは一線を画しています。

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公民館の前には「空間宮」と刻まれた石板が置かれていました。これは元々、鳥居の扁額として使われていたものでしょう。落下してできたものでしょうか、左側が大きく欠落しています。

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末社前に立つ鳥居の扁額も「空間宮」です。

付録:勝浦本村・古賀集落をめぐる

さて、ここからは空間神社のある旧勝浦村の中心地をめぐります。先ほども述べたように、中心地には小学校を取り巻くようにして、本村・古賀の2集落があります。

なんでも、この狭いエリアに3つも公民館があるそうで、公民館をコンプリートしてやろうと思ったのです。まず、先ほどの空間神社で古賀公民館を見つけましたから、残り2つですね。

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勝浦小学校の横を進むと、やがて勝浦公民館が見えてきました。こちらは、勝浦地区全体におけるコミュニティの中心地らしく、古賀公民館よりも若干大きめです。

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小学校の北側にやってきました。ここで最後の目的地、本村公民館を発見です。板張りの壁は長年風雨にさらされたせいか、どす黒くなっており時代を感じさせます。

規模は古賀公民館と変わらず、どちらも集落の会合や催しごとで使っているみたいです。公民館の立て札がなければ、普通の民家だと思い込んで通り過ぎてしまいましたよ。

撮影日:2018年7月1日

あとがき ソ連・ロシアの責任を日本になすりつける韓国人

樺太関連の話題です。今回は韓国紙ハンギョレ新聞の記事から、気になる情報をピックアップしてお届けします。

ハンギョレ新聞「強制徴用されたサハリンの無縁犠牲者のための追悼館が完成」(7月6日付)

韓国は他の国々と同じように、北方領土をロシア領とみなしています。
サハリンという四文字を見るだけでも怒りがこみ上げるこの頃。ユジノだとかコルサコフだとか、忌々しく不快な地名が列挙する中、必死に怒りをこらえて読み進めました。ただでさえ反日バイアスがかかっているというのに・・・

なんでも、戦前に渡樺した朝鮮人労働者の多くが、戦後も同地に留まったまま死亡したのを悼んで、豊原市内に追悼館が開設されたのだそうです。

・・・そうですか。相変わらず韓国人が反日活動を北方領土でもやっているようですが、本当に馬鹿馬鹿しいとしか言いようがありません。

強制連行自体は言うまでもなく、歴史を捏造・歪曲したものにすぎませんし、そもそも在樺朝鮮人が戦後帰還できなかった原因は、南樺太を侵略したまま居座っているソ連・ロシア人にあるじゃないですか。

なぜ、内地系の庁民が移住者・原住民にかかわらず大方強制追放された一方で、朝鮮人だけが帰還を許されなかったのか・・・まずそこから知るべきでしょう。知ると都合の悪い情報が出てくるので、あえて知ろうとしていないだけかもしれませんが。

結局のところ、彼らは日本憎さに肝心の敵を見誤っています。これには真の侵略者たるロシア側も、したり顔でほくそ笑んでいるに違いありません。

追悼館の主催者側は内淵炭鉱や大泊港を視察したようですが、それで何が分かったというのでしょうか。嘘の歴史を平気でばらまき、ただ自己満足の快感に浸っているとしか言いようがありません。
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