学校に転用された神社跡地を求め、台北市南海路にやってきました。場所は台北市植物園に近い場所で、かつて建功神社のあった南海学園です。メトロ小南門駅から徒歩で訪れることができます。

建功神社とは

同神社は日本統治の開始以降、台湾開発・発展のために殉じた人々を祀るため、市制30周年記念事業の一環として、公費約9万円を投じて、台北市南門町の植物園内約4千坪の土地に建立されました。例祭日は4月30日。

地鎮祭から臨時例祭挙行までの流れは以下の通り。

・大正15(1926)年4月30日:地鎮祭
・昭和2(1927)年7月:起工
・昭和3(1928)年3月:上棟式
・同7月:竣工
・同7月14日:鎮座祭
・同7月15日:臨時例祭

祭神は当初15450柱でしたが、年々祭神は増加して、昭和15年時点で16805柱を祀るに至りました。(台湾総督府編『台湾事情』昭和15年版、台湾総督府、1940年)

また、徳富蘇峰が昭和4年に発表した『台湾遊記』によると、建功神社は以下のように記録・描写されています。引用にあたり、現代仮名遣いに改めたほか、漢字は新字体に直し、現在使われない熟語には適宜、ふりがなを充てています。

此れから建功神社を詣した。此れは台湾に於ける靖国神社だ。其の建築は、和漢洋折衷とでも申す可きか、如何にも鵺然(ぬえぜん)だ。然も其の神殿の色硝子を嵌めたるなど、何となく天主堂の気味がある。白蟻予防の為め、故(ことさら)に木材を避けて、コンクリートを用いたと云う。されど神社の建物としては、如何にも不似合いである。(徳富猪一郎『台湾遊記』20頁、民友社、1929年)

神社参道・鳥居跡

建功神社は南北に細長い境内をもち、南側に入口、北側に社殿を有していました。

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南海路から参道に入ると、程なくして池を跨ぎます。元々、参道両脇には石灯篭が整然と並んでいましたが、神社時代の痕跡はすでに跡形もなく、南海学園内の通路になっています。

残存していませんが、池の前には鳥居が一基ありました。この鳥居というのが特殊なもので、一般的な形状ではなく、寺廟で見られる牌坊に近い形状をしていました。

池を跨ぐ橋に関しては、建功神社時代のものがそのまま使用されているようです。
玉垣

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橋を渡ると玉垣が残っています。ぱっと見だと痕跡が残っていないように見えますが、建功神社の痕跡は比較的濃厚に、かつしぶとく残存しています。

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玉垣の裏側には、謎の石柱がまとめ置かれていました。これらが建功神社に由来する者かどうかは不明ですが、保管目的で置かれている可能性は高いです。
方形池・社殿

建功神社の境内には戦後、南海学園の施設が建てられました。元々、社殿前には和洋折衷の庭園が広がっていましたが、それらを取り囲むように、回廊状の建物が増築されています。

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回廊を抜けると、目の前にはドーム屋根の建物と方形池が広がっていました。

いずれも建功神社に由来するもので、ドーム屋根は社殿として建設された「歴史の生き証人」です。後年の増改築で大幅に変形されていますが、建功神社の社殿に違いありません。

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ドーム屋根が特徴的な社殿は「南海芸壇」に転用されています。外観は大幅にいじくられ、社殿時代の面影を見出すことは困難です。

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内側からドーム屋根を見ると、ようやく社殿時代の面影を見出すことができました。正教会のドーム屋根を思わせる優美な造りは、まさに南門町のランドマークとして、多くの参拝者を魅了したことでしょう。

ただし残念ながら、ドーム中央には中国国民党のロゴマーク「青天白日」が刻まれ、中国人による恐怖支配の面影をかすかに留めていました。

撮影日:2019年4月17日
あとがき

ジャンボタニシの卵を駆除していたら、潰した汁が手に付きました。
あれはマジでキモすぎる・・・。

でも頑張って潰しましょう。見つけたら木の棒などで一思いに!




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