神宮外苑の「樺太島日露国境天測標」レプリカ(東京都新宿区)

東京ど真ん中に樺太ゆかりの場所があると聞いて、明治神宮外苑へとやってきました。JR信濃町駅を出て南に進むと、やがて鬱蒼とした森が見えてきます。これが明治神宮の外苑にあたる場所です。コンクリートやビルに囲まれた東京にも、木々に覆われた「オアシス」はちゃんとあります。通行人は多くないですし、都心にしては歩きやすいですね。じつはここ、ヤクルトスワローズの本拠地、神宮球場のすぐ近くだったりします。ヤクルトの...

樺太庁豊原中学校記念碑(札幌市中央区・旭山記念公園)

樺太から宗谷海峡を隔てて向かい合う北海道には、ロシア人によって樺太から追放された住民が多く移り住み、樺太ゆかりの石碑も多く残されています。今回はその一つ、「樺太庁豊原中学校記念碑」を見るため、札幌市中央区の旭山記念公園にやってきました。記念碑は公園の片隅、ちょうどJRバス界川2丁目停留所のすぐ横に鎮座しています。目立たない場所にあるため、見落としてしまわないようご注意ください。記念碑は「上田校長頌徳...

旭展望台の「樺太記念碑」―北方への思いは消えず(北海道小樽市)

北海道小樽市の市街地西部にある「旭展望台」に登りました。こちらには小樽市街地を一望できる展望所があるだけでなく、かつてロシア人に侵略された樺太(南樺太)をしのぶ「樺太記念碑」が置かれています。今回は樺太記念碑を中心に、展望台周辺がどうなっているのか調べてみました。天台宗浅草寺旭展望台の麓は住宅街になっています。日銀通りから坂を上り続けると、突き当りには天台宗浅草寺が鎮座していました(写真上)。カト...

マスコミはなぜ「樺太の北緯50度線」を無視するのか

長崎市への原子爆弾投下と、ソ連ロシアによる北方領土への侵略開始から73年を迎えました。本稿執筆の前に、犠牲になった多くの兵士・民間人に深く哀悼の意を表します。さて、今回は北方領土問題を取り巻く深刻な問題について、ひとつ問題を提起します。一見すると何気ないことに思われるかもしれませんが、この問題は日本の領土保全に深くかかわってきます。テレビ番組の世界地図近年、海外でロケを行うテレビ番組が増えてきました...

樺太を分かつ北緯50度線と戦前の日本人

北海道の北にある細長い島「樺太」を象徴するものの一つに、北緯50度線があります。この線は1905年のポーツマス条約により、日本とロシアの国境線と定められました。もっとも、南樺太もろともロシアの不法占拠が続く今となっては、この線も有名無実と化していますが、朝鮮半島と遼東半島の国境線(現在の北朝鮮・中国・ロシア国境)とともに、かつては日本と外国をつなぐ「陸上の国境」として機能していました。▲南樺太地図北緯50度...

『官報 1943年4月1日』が示す樺太庁鉄道の国有化

樺太の鉄道は長らく、樺太庁鉄道・樺太鉄道等によって運営されてきました。これは樺太が外地としての性格を帯びていたためで、樺太庁は東海岸線の大泊港~栄浜駅間、西海岸線の本斗~久春内駅間、豊真線の豊原~手井駅間、川上線の小沼~川上炭山駅間を管轄していました。やがて大戦末期の昭和18年4月、樺太庁鉄道と樺太鉄道(落合~上敷香)は樺太の内地編入と並行して、鉄道省(以下、国鉄)の路線に編入されます。いわゆる国有化で...

今だからこそ呼び覚ましたい 抹殺された「樺太」地名

昭和20年8月9日、当時のソ連軍は北緯50度線を南下して樺太庁(南樺太)に侵入しました。日本軍は獰猛なロシア人を相手に善戦しましたが、やがて武装解除を命じられたのちは、ロシア人に蹂躙されるがままとなり、多くの日本人が虐殺・強姦・シベリアへの強制連行を被りました。あれから72年経った今、日本人はすっかり「樺太」を忘れてしまいました。北海道の北にある細長い島はあくまでも「サハリン」でしかなく、「日本から一番近い...

見捨てられた北方領土 「樺太」の歴史と悲劇を忘れてはならない

8月はとにかく、戦争にまつわる記念日の多い月です。6日と9日は、それぞれ広島と長崎への原爆投下日、そして15日は終戦記念日となっています(但し正式な終戦は9月2日)。私が育った町の小中学校では、15年前まで「出校日」というものがあって、夏休み期間中の特定日に登校するようになっていました。その日はおもに平和学習が行われ、広島・長崎に投下された原子爆弾に関する授業を受けたことを覚えています。宗像市在住の被爆者か...