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【旅行記】18きっぷで広島日帰り旅(1)―長い山陽路の先にあったものは

これまで「青春18きっぷ」を利用するたびに、山陽本線の長さには苦労させられたものです。とくに下関から上郡までの区間は凄まじい。山口県を横断するだけでも気の遠くなるほどの時間がかかりますし、ようやく広島県に入っても、そこから岡山までがまたしても長いのです。そして岡山から船坂峠を越え、アーバンネットワークの最西端たる上郡に至るまでもやはり長い。苦行の末に、相生でようやっと速くて快適な新快速にありつけるの...

ファーマーズマーケットみなみの里(福岡県筑前町)―山麓の直売所は大盛況

福岡県筑前町にある農産物直売所「ファーマーズマーケットみなみの里」へとやってきました。こちらは7月の九州北部豪雨で被災した朝倉市のお隣にありますが、豪雨被害は比較的軽微で済んだようです。筑前町の大動脈といえば国道386号線ですが、こちらは国道沿いではなく、町北部を山すそにそって通る県道77号線沿いにあります。中心部から離れた場所にあるというものの、駐車場には多くの車が止まり、来訪者が絶えずやってくる様子...

山間の小京都「津和野」にノスタルジーを感じる(島根県津和野町)

島根県西部の山間にある津和野は、その趣ある町並みから「西の小京都」として親しまれています。山深い谷間に石州瓦の家屋が広がり、都会の喧騒を感じさせない風情が人々の心を掴んで離しません。そんな津和野がどんなに美しい街なのか、JR津和野駅を起点に散策しながら探ってみます。津和野駅からまずは弥栄神社方面を目指して南下していきます。道の横には清らかな水が流れる水路が通り、錦鯉が泳いでいる場所もあります。ふと水...

【施設紹介】JR呉線 広駅(広島県呉市) 呉線を東西に分かつ要衝

戦前から軍都として名高い広島県呉市に、今回お届けするJR広駅はあります。同駅は呉線の中間地点にあり、路線を東西に分かつ要所に位置づけられています。広島からの電車はその大半が広で折返し、三原方面からの電車もやはり広止まりが大半です。▲広駅外観住宅街の中に平屋建ての駅舎が建っています。運行上の拠点となっているため、駅舎横には立派な乗務員詰め所もあります。また、セブンイレブンも併設されています。▲駅前ロータ...

青井阿蘇神社(熊本県人吉市)―400年の歴史を誇る社殿は必見!

熊本県南東部に位置する人吉市中心部に、今回お届けする青井阿蘇神社はあります。同神社の創健は9世紀初頭とたいへん古く、九州屈指の歴史を誇る神社の一つです。祭神は建磐龍命、阿蘇津媛命、国造速甕玉神の3柱。▲一の鳥居と禊橋、奥には二の鳥居と社殿一の鳥居は明神タイプです。手前から順に一の鳥居、禊橋、二の鳥居、社殿という配置になっています。禊橋が架かる池には蓮が植えられています。所々で蓮の実が付き始め、人によ...

撮影者必見!C57-1牽引「SLやまぐち号」 津和野駅着後の小移動

C57-1牽引の観光列車「SLやまぐち号」が終点津和野駅に到着後、留置線に入る様子を駅内外から追いました。ホームですべての客を降ろしてから数分後、SL列車は山間の静かな町で小移動を始めます。▲津和野駅に到着後の12系客車「SLやまぐち号」撮影から1カ月もしないうちに、「SLやまぐち号」で永らく使用されてきた12系客車は引退を迎えます。この編成が消えると、12系は文字通り「風前の灯火」状態に入ります。今回は貴重な12系客...

【旅行記】日帰りで行ける 青春18きっぷで福岡~人吉鈍行旅(2=完)

人吉駅で途中下車した私は、駅前を起点に市街地を散策しました。人吉から八代に折り返す列車が出発するのは、およそ1時間後で、少し散策する分には何の問題もありません。さらに人吉の主要な観光地は駅周辺に集中しているため、短時間で効率よく散策できるのがなんとも魅力的です。JR湯前線から経営移管された"くま川鉄道"の起点が「人吉温泉駅」と名乗っていることから分かるように、ここ人吉は温泉地として知られています。人吉...

鳳林市街地に眠る日本家屋を大捜索(花蓮県鳳林鎮)

東台湾の花蓮県鳳林鎮には日本統治時代の名残りが色濃く残っています。その最もたる代表格は内地人移民村の「林田村」で、各集落に日本家屋が現存していることは有名です。さて今回は、鳳林鎮の行政機関が集中する鳳林市街地をめぐりながら、日本家屋を捜索していきます。市街地に眠る日本統治時代に建てられた建造物は、決して住居(日本家屋)だけではありません。倉庫や店舗建築も探せば沢山見つかります。今回の捜索で一体どれ程...

『官報 1943年4月1日』が示す樺太庁鉄道の国有化

樺太の鉄道は長らく、樺太庁鉄道・樺太鉄道等によって運営されてきました。これは樺太が外地としての性格を帯びていたためで、樺太庁は東海岸線の大泊港~栄浜駅間、西海岸線の本斗~久春内駅間、豊真線の豊原~手井駅間、川上線の小沼~川上炭山駅間を管轄していました。やがて大戦末期の昭和18年4月、樺太庁鉄道と樺太鉄道(落合~上敷香)は樺太の内地編入と並行して、鉄道省(以下、国鉄)の路線に編入されます。いわゆる国有化で...

「広東系台湾人」の日本語世代が語る70年前の鳳林 (花蓮県鳳林鎮)

台湾・朝鮮・南洋で戦前、日本語教育を受けた現地住民は「日本語世代」として知られています。とくに台湾・南洋(パラオ・ミクロネシア・マーシャル諸島・北マリアナ)の人々には親日家が多く、対日文化交流の懸け橋を担ってきました。ところが終戦から70年が経過した今、日本語世代の高齢化が進み、その人口は徐々に減りつつあります。同世代の年齢は若くても70代後半となり、「日本統治時代」をリアルタイムで経験した人々との交流...