お知らせ

1月1日:新年あけましておめでとうございます。
 

鹿児島市を中心とする薩摩地方は古くから、島津氏による支配下に置かれていました。島津氏の支配は南北朝の混乱、戦国の世、さらに徳川の世でも崩れることなく、時代は幕末へと入っていきます。ときの藩主・斉彬によって軍備・産業の近代化が行われ、薩摩藩は雄藩として力をつけていきます。やがて倒幕・明治維新を主導したのも薩摩藩の出身者でした。

さて、今回お届けする鶴丸城には、明治維新の礎をつくった薩摩藩の首府にして藩主・島津氏の居城が置かれていました。現在はどのようになっているのか、写真を交えながらご紹介します。

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鶴丸城は鹿児島城の別称であり、鶴が羽を広げた姿に似ていたことから、そう呼ばれるようになったと伝えられます。天守はありません。

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今回は大手橋から城内に入っていきます。こちらの大手橋は石橋で、西南戦争による火災後も、欄干の擬宝珠とともに昔の姿を保っています。

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鶴丸城は西南戦争の激戦地でもあります。先ほど述べた火災の他にも、多くの銃弾が石垣に浴びせられました。現在でも石垣に近づくと、当時の生々しい弾痕を目にすることができます。

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なんでも御楼門を再建する計画があがっているようで、同門の跡地では発掘調査が行われていました。

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▲聚珍宝庫碑
25代当主島津重豪はオランダの学問・文化を好み、蘭癖大名と称されていました。そんな重豪は外国の文物を収集し、これらを聚珍宝庫という蔵に収蔵させていました。鶴丸城内には、そのことを記念する石碑が建てられています。

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鶴丸城内には現在、鹿児島県歴史資料センター黎明館が建っています。その傍らには、薩摩出身で徳川家定の正室となった天璋院篤姫の銅像があります。

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城内から城の北側に向かうと、新橋の擬宝珠が保存されていました。

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「史跡 鶴丸城」の石碑は城の北側にあります。

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鶴丸城の北側には他にも、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水工事で犠牲になった薩摩藩士を悼む石碑も建立されています。

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城山入口交差点へとやってきました。この隣には県政記念館(旧県庁本館)があります。こちらにはかつて、垂水・宮之城島津家の屋敷がありました。記念館前の広場には、そのことを示す石碑が建立されています。

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▲旧鹿児島県庁本館(県政記念館)
現在県政記念館として使われている建物は、大正14(1925)年に鹿児島県庁本館として建設され、71年間使用されてきました。その後、保存のため現在の場所に移築され、現在に至ります。

以上、鶴丸城の踏査記録でした。

撮影日:2017年9月9日




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