【2015年1月】台湾・虎尾糖廠の五分車を撮る(1)―廃線跡のような現役線路
毎年廃止・トラック転換が噂されているという、台湾西部・虎尾のシュガートレイン(サトウキビ運搬鉄道)ですが、2014年度冬も無事に運転されました。
予てより、台湾最後の「本来の用途で使用される」シュガートレインとなった台糖馬公厝線を撮影したかったので、新年明けの1月、私は鉄道・バスを乗り継いで雲林県虎尾へと足を運びました。
虎尾のホテルで一泊したのち、早起きしてシュガートレインを撮影するため、虎尾市街地を歩き始めました。

まず初めに私は、台糖虎尾製糖工場《中文:虎尾糖廠、虎尾總廠)へと足を運びました。踏切から敷地内を眺めると、工場の大きな煙突が見えます。稼働し始めたことを確認し、市街地の泥に埋もれた併用軌道沿いを歩いて西に向かいます。

線路沿いには、虎尾の歴史を記したパネルが設置されています。
同地はもとの名を五間厝といい、日本統治時代になってから製糖工場が設置され、以降製糖産業で繁栄することになります。現在でも虎尾は台湾を代表する砂糖の産地です。

上の写真は「これぞ虎尾だ」と思える風景を写したものです。踏切とナローゲージの線路と廟・・・「製糖と台湾文化」が融合する、いかにも虎尾らしい景色ですね。
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車の下には猫が・・・いますが、残念ながら人馴れしていません。人馴れしていなさすぎで、むしろ警戒心MAXでした。
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おや、猫がたくさんいるじゃないですか。
残念ながら、どの猫も全く懐きません。「シャー」こそ無いものの、やはり警戒心MAXです。あまり人々に愛されていないのかしら、かわいそうに。
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▲そそくさとその場を後にする茶トラ
市街地の併用軌道を抜け、畑が広がる郊外に出てきました。線路沿いの農道をしばらく進んでいると、背後からけたたましい轟音が聞こえてくるではありませんか。これはもしや・・・と思い振り返ると、予想通り一番列車が近づいてきたのでした。

▲シュガートレイン本日一番列車、製糖工場の煙突を背景に
時おり警笛を鳴らしながら、列車が近づいてきます。
「これが虎尾のシュガートレインか・・・」と感激しつつ、急いで機材を用意しました。あいにく逆光ですが、撮影の仕方を工夫すれば・・・
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当日一番列車となるシュガートレインが近づいてきました。緊張のときが流れます。
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警笛を一発鳴らし、列車は意外にも早い速度で通過していきます。この列車が戻ってくるときは、空っぽの荷台もきっとサトウキビで埋め尽くされていることでしょう。

一番列車を見送りさらに西へ進むと、側線と信号が見えてきました。旧後壁寮駅です。
昔はここから北港線が分岐していました。

▲信号で使用されていたのか、鉄塔が建っている

レールは貧弱ながらも列車が通っているため、白光りしています。

▲馬公厝線・北港線の分岐点
写真上、左側のしげみが北港線の廃線跡です。同路線は虎尾より土庫、元長、北港、新港を経て嘉義とを結ぶ路線でした。虎尾~後壁寮駅間は西螺線と線路を共有しており、1982年まで旅客営業が行われていました。
拙ブログでは馬公厝線を虎尾~蚊港線分岐までとしていますが、虎尾駅ではなく後壁寮駅が馬公厝線本来の起点です。現在、北港線・西螺線本体は既に存在しないため、虎尾~後壁寮駅間も馬公厝線に含めさせていただきます。

▲カーブを描く北港線廃線跡
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後壁寮駅跡で二本目のシュガートレインに遭遇しました。一本目の「続行列車」ともいえる存在です。

後壁寮から少しだけ馬公厝線に別れを告げ、北港線跡に沿って進んでいきます。

十字路に出てきました。ここを右折して、北港線に別れを告げます。

北港線は全区間レールが撤去されているというわけではなく、レールがそのまま残っている箇所もあります。

県道158号線との交差点付近で再度馬公厝線と合流し、再び線路沿いを進んでいきます。158号線と馬公厝線の踏切付近にはかつて、廉使駅があったといわれています。

現在使用されている線路は馬公厝線が、右側のアスファルトに埋もれかけた線路は西螺線がそれぞれ使用していたようです。西螺線は虎尾から二崙を経て、西螺を結ぶ路線でした。虎尾~後壁寮駅間は北港線と、後壁寮~北渓厝駅間は馬公厝線と路盤を共有していました。
線路は道路のわきを通っていますが、写真上のように、明らかに併用軌道の区間も存在します。まるで熊本電気鉄道の藤崎宮前~黒髪町駅間にある併用軌道のようです。

線路は土や草に埋もれていますが、ちゃんと生きています。列車が通らなければ、どこからどう見たって廃線跡ですが・・・

「台湾新幹線」こと高鉄との交差付近には1号積込所があります。ただし、現在では使用されていません。
この場所はシュガートレインと700T型の邂逅が見られるかもしれないということで、有名な撮影スポットになっています。運が良ければ、素晴らしい一枚を収めることができますよ。

高鉄との交差地点は小さな公園になっており、サイクリング休憩所として使用されています。ここで5分ほど休憩して、再度歩き始めました。
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▲馬公厝線との交差地点を通過する高鉄700T型
現在、高鉄は非常に駅数が少なく、台中~嘉義駅間には1駅もありません。しかし近い将来、彰化(仮称)、雲林(仮称)両駅が設置されることになっています。雲林駅は撮影地のすぐ北側、2キロほど離れた場所に設置される予定です。

高鉄を潜るとすぐに、旧北渓厝駅が見えてきました。

写真では見えにくいですが、側線が2本ほど設置されています。

駅の待合室らしき建物も、雑草に埋もれながら残っています。

▲旧北渓厝駅構内の様子
線路を越え、側線をより近くで眺めてみました。側線は全く使われておらず、真っ黒に錆びて雑草やごみに埋もれています。

手前は使われていない線路、奥は現役の線路です。生きた線路がいかに光り輝いているか、この写真を通してお分かりいただけるはずです。

旧北渓厝駅を出ると旧西螺線は右に曲がり、馬公厝線はそのまま直進します。駅跡と分岐点との間には橋がありますが、残念ながら人道橋はなく鉄道橋のみです。鉄道橋を渡るわけにはいかないので、遠回りしてアプローチを試みました。

かなり遠回りして、馬公厝線・旧西螺線分岐点に到着しました。右側が馬公厝線、左側が旧西螺線です。

▲西螺線廃線跡
レールは分岐点附近のみ残っているようです。
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▲菜の花畑と飛び交う燕
鳥嫌いだったら絶対に遭遇したくない光景でしょうね。こんなに沢山の燕を見たのは初めてです。

▲軽便鉄道と熱帯の樹木

白い建物が見えてきました・・・ということは、間もなく旧改良場駅です。直線の線路が美しいので、積み込みを終えて戻ってくる列車をここで収めようと決心しました。
ちょうど写真上の場所には2号積込所があります。しかし、こちらも1号と同じく現在は使用されていないようです。

旧改良場駅に到着しました。ここにも待合所が残されており、現在では踏切監視員の詰所になっています。

旧改良場駅から北に進めば、墾地集落に至ります。この墾地集落は日本統治時代に成立した本島人移民村で、台中州大肚庄の黄茂盛による拓殖事業の一環で開発されました。内地人移民村と同じく、碁盤の目状に区画されているのが特徴です。
また、墾地集落の近くには内地人移民村の春日村が設置されていました。こちらは日本統治時代晩年の1938(昭和13)年に設置され、56戸245人が移住し、松園(23戸77人)、梅園(8戸32人)、竹園(25戸136人)の3集落で生活が営まれました。
当時の家屋は現存しないようで、松園集落に至っては高鉄雲林駅の開業に伴う区画整理で潰されました。幸いなことに、「松園」の名は通りの名称として残されています(虎尾鎮公式サイトより引用)。
現在の春日村一帯には「光復荘」という、きわめて「中国国民党」色の強い地名が付けられています。

▲旧改良場駅から西方面を眺めて
虎尾市街地からここまで約4キロ、ここから撮影地として名高い9号積込所まで2.5キロあります。体力消耗は避けたいので、ここ改良場駅跡で折り返すことにしました。
先ほど目星をつけた場所で、サトウキビを満載した折り返し列車を待つことにしましょう。
今回、駅跡・積込所を特定をするにあたり、以下のサイトを参考にしました。虎尾でシュガートレインを撮影する場合、是非これらサイトを参考にどうぞ!
『虎尾糖廠營業線 - 馬公厝線』
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zin4eKDvq9QM.kjXZJoo7rxHM&gl=tw&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0
『看橋工房』
http://ticket.myweb.hinet.net/
撮影日:2015年1月17日
予てより、台湾最後の「本来の用途で使用される」シュガートレインとなった台糖馬公厝線を撮影したかったので、新年明けの1月、私は鉄道・バスを乗り継いで雲林県虎尾へと足を運びました。
虎尾のホテルで一泊したのち、早起きしてシュガートレインを撮影するため、虎尾市街地を歩き始めました。

まず初めに私は、台糖虎尾製糖工場《中文:虎尾糖廠、虎尾總廠)へと足を運びました。踏切から敷地内を眺めると、工場の大きな煙突が見えます。稼働し始めたことを確認し、市街地の泥に埋もれた併用軌道沿いを歩いて西に向かいます。

線路沿いには、虎尾の歴史を記したパネルが設置されています。
同地はもとの名を五間厝といい、日本統治時代になってから製糖工場が設置され、以降製糖産業で繁栄することになります。現在でも虎尾は台湾を代表する砂糖の産地です。

上の写真は「これぞ虎尾だ」と思える風景を写したものです。踏切とナローゲージの線路と廟・・・「製糖と台湾文化」が融合する、いかにも虎尾らしい景色ですね。
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車の下には猫が・・・いますが、残念ながら人馴れしていません。人馴れしていなさすぎで、むしろ警戒心MAXでした。
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おや、猫がたくさんいるじゃないですか。
残念ながら、どの猫も全く懐きません。「シャー」こそ無いものの、やはり警戒心MAXです。あまり人々に愛されていないのかしら、かわいそうに。
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▲そそくさとその場を後にする茶トラ
市街地の併用軌道を抜け、畑が広がる郊外に出てきました。線路沿いの農道をしばらく進んでいると、背後からけたたましい轟音が聞こえてくるではありませんか。これはもしや・・・と思い振り返ると、予想通り一番列車が近づいてきたのでした。

▲シュガートレイン本日一番列車、製糖工場の煙突を背景に
時おり警笛を鳴らしながら、列車が近づいてきます。
「これが虎尾のシュガートレインか・・・」と感激しつつ、急いで機材を用意しました。あいにく逆光ですが、撮影の仕方を工夫すれば・・・
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当日一番列車となるシュガートレインが近づいてきました。緊張のときが流れます。
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警笛を一発鳴らし、列車は意外にも早い速度で通過していきます。この列車が戻ってくるときは、空っぽの荷台もきっとサトウキビで埋め尽くされていることでしょう。

一番列車を見送りさらに西へ進むと、側線と信号が見えてきました。旧後壁寮駅です。
昔はここから北港線が分岐していました。

▲信号で使用されていたのか、鉄塔が建っている

レールは貧弱ながらも列車が通っているため、白光りしています。

▲馬公厝線・北港線の分岐点
写真上、左側のしげみが北港線の廃線跡です。同路線は虎尾より土庫、元長、北港、新港を経て嘉義とを結ぶ路線でした。虎尾~後壁寮駅間は西螺線と線路を共有しており、1982年まで旅客営業が行われていました。
拙ブログでは馬公厝線を虎尾~蚊港線分岐までとしていますが、虎尾駅ではなく後壁寮駅が馬公厝線本来の起点です。現在、北港線・西螺線本体は既に存在しないため、虎尾~後壁寮駅間も馬公厝線に含めさせていただきます。

▲カーブを描く北港線廃線跡
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後壁寮駅跡で二本目のシュガートレインに遭遇しました。一本目の「続行列車」ともいえる存在です。

後壁寮から少しだけ馬公厝線に別れを告げ、北港線跡に沿って進んでいきます。

十字路に出てきました。ここを右折して、北港線に別れを告げます。

北港線は全区間レールが撤去されているというわけではなく、レールがそのまま残っている箇所もあります。

県道158号線との交差点付近で再度馬公厝線と合流し、再び線路沿いを進んでいきます。158号線と馬公厝線の踏切付近にはかつて、廉使駅があったといわれています。

現在使用されている線路は馬公厝線が、右側のアスファルトに埋もれかけた線路は西螺線がそれぞれ使用していたようです。西螺線は虎尾から二崙を経て、西螺を結ぶ路線でした。虎尾~後壁寮駅間は北港線と、後壁寮~北渓厝駅間は馬公厝線と路盤を共有していました。
線路は道路のわきを通っていますが、写真上のように、明らかに併用軌道の区間も存在します。まるで熊本電気鉄道の藤崎宮前~黒髪町駅間にある併用軌道のようです。

線路は土や草に埋もれていますが、ちゃんと生きています。列車が通らなければ、どこからどう見たって廃線跡ですが・・・

「台湾新幹線」こと高鉄との交差付近には1号積込所があります。ただし、現在では使用されていません。
この場所はシュガートレインと700T型の邂逅が見られるかもしれないということで、有名な撮影スポットになっています。運が良ければ、素晴らしい一枚を収めることができますよ。

高鉄との交差地点は小さな公園になっており、サイクリング休憩所として使用されています。ここで5分ほど休憩して、再度歩き始めました。
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▲馬公厝線との交差地点を通過する高鉄700T型
現在、高鉄は非常に駅数が少なく、台中~嘉義駅間には1駅もありません。しかし近い将来、彰化(仮称)、雲林(仮称)両駅が設置されることになっています。雲林駅は撮影地のすぐ北側、2キロほど離れた場所に設置される予定です。

高鉄を潜るとすぐに、旧北渓厝駅が見えてきました。

写真では見えにくいですが、側線が2本ほど設置されています。

駅の待合室らしき建物も、雑草に埋もれながら残っています。

▲旧北渓厝駅構内の様子
線路を越え、側線をより近くで眺めてみました。側線は全く使われておらず、真っ黒に錆びて雑草やごみに埋もれています。

手前は使われていない線路、奥は現役の線路です。生きた線路がいかに光り輝いているか、この写真を通してお分かりいただけるはずです。

旧北渓厝駅を出ると旧西螺線は右に曲がり、馬公厝線はそのまま直進します。駅跡と分岐点との間には橋がありますが、残念ながら人道橋はなく鉄道橋のみです。鉄道橋を渡るわけにはいかないので、遠回りしてアプローチを試みました。

かなり遠回りして、馬公厝線・旧西螺線分岐点に到着しました。右側が馬公厝線、左側が旧西螺線です。

▲西螺線廃線跡
レールは分岐点附近のみ残っているようです。
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▲菜の花畑と飛び交う燕
鳥嫌いだったら絶対に遭遇したくない光景でしょうね。こんなに沢山の燕を見たのは初めてです。

▲軽便鉄道と熱帯の樹木

白い建物が見えてきました・・・ということは、間もなく旧改良場駅です。直線の線路が美しいので、積み込みを終えて戻ってくる列車をここで収めようと決心しました。
ちょうど写真上の場所には2号積込所があります。しかし、こちらも1号と同じく現在は使用されていないようです。

旧改良場駅に到着しました。ここにも待合所が残されており、現在では踏切監視員の詰所になっています。

旧改良場駅から北に進めば、墾地集落に至ります。この墾地集落は日本統治時代に成立した本島人移民村で、台中州大肚庄の黄茂盛による拓殖事業の一環で開発されました。内地人移民村と同じく、碁盤の目状に区画されているのが特徴です。
また、墾地集落の近くには内地人移民村の春日村が設置されていました。こちらは日本統治時代晩年の1938(昭和13)年に設置され、56戸245人が移住し、松園(23戸77人)、梅園(8戸32人)、竹園(25戸136人)の3集落で生活が営まれました。
当時の家屋は現存しないようで、松園集落に至っては高鉄雲林駅の開業に伴う区画整理で潰されました。幸いなことに、「松園」の名は通りの名称として残されています(虎尾鎮公式サイトより引用)。
現在の春日村一帯には「光復荘」という、きわめて「中国国民党」色の強い地名が付けられています。

▲旧改良場駅から西方面を眺めて
虎尾市街地からここまで約4キロ、ここから撮影地として名高い9号積込所まで2.5キロあります。体力消耗は避けたいので、ここ改良場駅跡で折り返すことにしました。
先ほど目星をつけた場所で、サトウキビを満載した折り返し列車を待つことにしましょう。
今回、駅跡・積込所を特定をするにあたり、以下のサイトを参考にしました。虎尾でシュガートレインを撮影する場合、是非これらサイトを参考にどうぞ!
『虎尾糖廠營業線 - 馬公厝線』
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zin4eKDvq9QM.kjXZJoo7rxHM&gl=tw&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0
『看橋工房』
http://ticket.myweb.hinet.net/
撮影日:2015年1月17日
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