ブログヘッダー画像

旧苗栗神社(苗栗県苗栗市)―立派な石垣が印象的な西台湾の神社跡

今回お届けする旧苗栗神社は台湾北西部、苗栗県苗栗市にあります。

現在では「中華民国」政権によって忠烈祠に改造されていますが、所々に日本統治時代の面影を見てとれます。神社の面影を見出すべく、境内を散策しました。



国民党に利用された抗日活動家


日治時期貓裡山曾有苗栗神社

神社は市街地南部、猫裏山にありました。一帯は猫裡山公園として整備されており、市民憩いの場になっています。

すぐ横には台鉄縦貫線が通り、苗栗商業高校《中文:苗栗高級商業職業学校》が隣接しているので、同神社を訪れる際は、これらを目印にすると良いでしょう。

苗栗神社入口1

境内入口には石碑が設置されています。読んでみました。


「・・・『猫裡』という文字はタオカス族(平埔族の一部族)の言葉を音写したものであり、『猫裏』『猫里』『猫裡』『猫狸』と音写することもある。

・・・(中略)・・・

清の光諸21年、下関条約により台湾が日本に割譲された際、現地住民は抗日ゲリラとなって日本人の進出に抵抗した。そのため近衛師団が派遣され、ゲリラを武力鎮圧しながら台湾を接収したのである。台南で薨去した北白川宮能久親王を記念して、親王が滞在された猫裏山に神社を建立し、猫裡山を「将軍山」に改めた。「中華民国による台湾占領」直後、反日感情の高まりをうけ「福星山」と改名され、客家人の抗日活動家・羅福星を記念して神社を忠烈祠に改めた。

ああ、青々とした山は昔と変わらないが、歴史の荒波に揉まれ山名は次々に変わり、今や「将軍山」「福星山」と呼ぶ人ばかりで、当初の山名「猫裡山」は歴史の彼方に消えようとしているではないか・・・



「中国国民党」は自らが行ってきたことを棚に上げ、「過酷な植民統治に抗する義士」という名のもと、羅福星を含む抗日活動家を長年称賛してきました。ゆえに台湾の各所には「福星」の名を関した街路・学校名等があります。

たしかに、異常な反日イデオロギー・中国人至上主義に凝り固まった「中国国民党」による「党国体制・白色テロ」は、台湾に大きな爪跡を残していきました。しかし同時に、台湾人に強いアイデンティティを芽生えさせたのです。

50年間の日本統治を通じて、台湾人と中国人の間には大きな違いが生じました。戦後、「中国国民党」は「抗日義士」をダシにして、台湾人に反日感情・中国人アイデンティティーを植え付けようとしました。ところが、その成果は全く微々たるものにとどまり、台湾人は台湾人であり続けることを選んだのです。

個人的に思うことですが、中国人による横暴・残虐行為がまかり通っていた時期に、台湾人が反日感情によって地名を変えるほどの力・意識を有していたとはとても思えません。碑文中にある「反日感情の高まり」という記述には、相当な誇張があると思った方が良いです。

何気ない碑文であっても、このように一昔前に建立されたものだと、特定のイデオロギーが含まれがちです。一語一語に注意して読まないと、重大な誤解を有することになりますし、読み手に誤解を与えることにも繋がります。とくに戦後台湾史に疎い場合、歴史・史跡について記事を書く際には、とくに「台湾光復」「日拠」のような中文由来の単語には気を付けてください。

苗栗神社入口2
▲参道入口付近の様子

苗栗神社参道1

ゆるやかな坂を上がると、石段が見えてきました。階段の前には用途不明の舞台が設置されています。

苗栗神社参道2

石段を上がると、まっすぐに伸びた参道が見えてきます。ど真ん中には羅福星の胸像があります。

制札・燈籠・下乗札台座


苗栗神社参道3

旧苗栗神社には石灯篭が残存しない一方で、基壇なら現存します。写真上の基壇は左から、制札、石灯篭として用いられてきたものです。

苗栗神社参道4

こちらの基壇は左から、下乗札、石灯篭として用いられてきたものです。台湾の旧神社において、下乗札の基壇が残っているとは珍しいですね。

石垣上の低い柵は、元々あった玉垣とは何の関係もありません。

現存説あり?旧一の鳥居


苗栗神社鳥居
▲旧一の鳥居

一の鳥居があった場所には牌坊が建てられています。古写真を見る限りでは、戦後二・三の鳥居が取り壊された後も、一の鳥居だけはしばらく残っていたようです(参考:『北投虹燁工作室』)。

黄家栄氏は、この牌坊が基隆神社一の鳥居と同じように、元々あった鳥居を骨組みとして活用した可能性を指摘しています(『花蓮阿榮的花蓮人文、美食情報情報站』より引用)。牌坊の形状と、一の鳥居だけがしばらく残された点を考慮すると、私もその可能性は無きにしも非ずだと思います。

苗栗神社鳥居2
▲牌坊(一の鳥居)上部を眺めて

一の鳥居は靖国タイプの神明鳥居でした。もしこの牌坊が鳥居を骨組みとしているのであれば、内部に丸い柱・板状の貫が現存しているはずです。

苗栗神社鳥居3
▲牌坊(一の鳥居)を裏側から眺めて

写真上の右側にはかつて、社務所が置かれていました。

二の鳥居跡~社殿奥まで


日治時期苗栗神社遺址
▲一の鳥居から二の鳥居・三の鳥居跡を眺めて

二の鳥居は手前の石段直後、三の鳥居はちょうど奥の石段直後、つまり門にあたる部分にありました。

苗栗神社宿舎

境内のすぐ西側に和風建築があります。これが神社と関連のものかどうかはわかりませんが、もしそうであれば神官の宿舎として建てられたものでしょう。ただ困ったことに古写真を見ても、この建物に相当する場所が隠れて見えないのです。

苗栗神社拝殿
▲忠烈祠の門

先述のとおり、門がある場所には三の鳥居がありました。幸い、門が開いていたので戸を開け、拝殿・本殿跡を確認するため中に入ってみました。

苗栗神社拝殿2

拝殿は門(三の鳥居)をくぐった直後の場所にありました。本殿は拝殿よりも一段高い場所にあり、現在では忠烈祠が建っています。外省人とおぼしき爺さんがたくさんいました。

苗栗神社本殿
▲本殿跡(忠烈祠)

苗栗神社最深部
▲本殿跡を裏側から


▲今回収録した動画です。
高評価&チャンネル登録お待ちしております!


撮影日:2015年1月16日
関連記事
神社台湾苗栗県

COMMENT

レラティー

No title

石碑の文章での印象ですが、霧社事件での日本もそうですが、中華民国がやってきたときも、台湾先住民には、辛辣なことをしたのか、という印象です・・・


2015年02月19日(木)07:19

レラティー

No title

日程等はアメーバのメッセージを送りました。

2015年02月19日(木)07:23

wra

レラティーさん

「中国国民党」は反日宣伝をする際、割譲直後の抗日ゲリラ掃討をよく引き合いに出してきます。しかしながら、日本統治時代50年間における抗日蜂起での犠牲者(1万人弱)よりも二二八事件での犠牲者(2万人以上)の方がはるかに多いし、彼ら「中国国民党」の主張は詭弁ばかりです。

これ以上いうと政治的な深みにはまってしまうので、あえて自重させていただきます。ソースは検索にかけたら出てきますよ。

2015年02月19日(木)20:51