【施設紹介】台鐵平渓線 菁桐駅(新北市平渓区)―観光地のメッカになった木造駅舎
台湾の国鉄にあたる「台鉄」には4つの盲腸線があります。内湾線、集集線、深澳線、そして今回登場する平渓線。そのいずれも中間駅ないし終着駅が大規模な観光地として賑わっており、その様子は日本人の間でもよく知られています。
今回はその中でも、平渓線の終点にあたる菁桐(せいとう)駅に着目したいと思います。起点の三貂嶺駅からディーゼルカーに揺られること40分、大勢の行楽客とともに菁桐駅ホームに降り立ちました。

▲菁桐駅の木造駅舎
同駅は途中の十分(じっぷん)駅とともに、平渓線屈指の観光地として開発されています。台北市内から2時間もあれば行ける距離のため、平渓線・深澳線1日フリー乗車券を使って訪れる日本人も少なくありません。

▲菁桐駅前は非常に狭く、限られたスペースに土産物店や食堂等が軒を連ねている
平渓線が観光地化されていることは先に述べたとおりです。そのため休日になると、列車は行楽客でにぎわいをみせます。あまりにも混雑が激しい場合、台風接近で列車が間引かれたときのJR鹿児島本線のようになります。首都圏でいえばさしずめ、ラッシュアワー最中のJR埼京線・総武緩行線といったところでしょうか。

さて、話を菁桐駅に戻します。同駅の歴史は日本統治時代の昭和初期に遡ることができます。昭和4年10月1日に開業を迎え、当初は菁桐坑駅を名乗っていました。また、開業当初の所在地名は台北州七星郡平渓庄大字石底字菁桐坑でした。
(参考文献)大蔵省印刷局編『官報. 1929年11月18日』日本マイクロ写真、1929年
近年、菁桐駅周辺が観光地として賑わうようになったのは、炭田として繁栄を極めていた頃の面影が随所に残っているためです。附近には台陽鉱業会社の炭鉱があり、昭和10年当時、年間18万トンもの石炭を産出していました。つまり、宜蘭線の猴硐駅と同じように、炭鉱とともに生まれ、成長していった駅ということです。
(参考文献)台湾総督府交通局鉄道部『台湾鉄道旅行案内』1935年

▲菁桐駅の出札窓口

▲菁桐駅の駅員室を眺めて
菁桐駅には開業当初に建築された木造駅舎が残り、今もなお現役の駅舎として使用されています。近年、駅舎の修復・改修工事が行われ、苔一つない美しい姿に生まれ変わりました。

▲ホームから菁桐駅舎を眺めて
ホームから改めて駅舎を眺めてみると、少し前のように屋根瓦が苔むしていません。

▲菁桐駅の転轍機

▲綺麗になった菁桐駅のセメント瓦

かつて石炭の積み込み駅だった菁桐駅構内には、巨大なホッパが2基残されています。ホッパを真下で眺めるため、多くの観光客が構内に降りて散策しているのが印象的です。写真上に移っているホッパは、その上部が改装されて展望喫茶店に生まれ変わっています。

▲駅舎を介することなくホーム端から駅前に出ることができる

▲菁桐駅の「空に伸びるもの二つ」

▲まだ列車は到着しない

▲線路終端部から駅構内を眺めて
駅に降りてずいぶん時が流れました。しかしまだ列車は来ません。駅にはのんびりとした雰囲気が漂っています。ここでは何も急ぐ必要がないのです。
今回、平渓線の終着駅・菁桐駅をじっくりと観察してみました。炭鉱が閉山した今でも、当時の遺産を活用して町おこしが行われている様子が見て取れました。台湾の盲腸線沿線ではこのように、各々の自治体や住民が力を合わせ、路線の観光地化に取り組んでいます。その結果、内湾駅や車埕駅、八斗子のように、終着駅は軒並み観光地として整備されています。
ただ、これら盲腸線はあまりにも観光地化されているため、ローカル線としての情緒にはやや欠けている部分があります。台湾で真のローカル線を味わいたいのであれば、南廻線や潮州以東の屏東線に乗るべきでしょう。
撮影日:2017年4月4日
今回はその中でも、平渓線の終点にあたる菁桐(せいとう)駅に着目したいと思います。起点の三貂嶺駅からディーゼルカーに揺られること40分、大勢の行楽客とともに菁桐駅ホームに降り立ちました。

▲菁桐駅の木造駅舎
同駅は途中の十分(じっぷん)駅とともに、平渓線屈指の観光地として開発されています。台北市内から2時間もあれば行ける距離のため、平渓線・深澳線1日フリー乗車券を使って訪れる日本人も少なくありません。

▲菁桐駅前は非常に狭く、限られたスペースに土産物店や食堂等が軒を連ねている
平渓線が観光地化されていることは先に述べたとおりです。そのため休日になると、列車は行楽客でにぎわいをみせます。あまりにも混雑が激しい場合、台風接近で列車が間引かれたときのJR鹿児島本線のようになります。首都圏でいえばさしずめ、ラッシュアワー最中のJR埼京線・総武緩行線といったところでしょうか。

さて、話を菁桐駅に戻します。同駅の歴史は日本統治時代の昭和初期に遡ることができます。昭和4年10月1日に開業を迎え、当初は菁桐坑駅を名乗っていました。また、開業当初の所在地名は台北州七星郡平渓庄大字石底字菁桐坑でした。
(参考文献)大蔵省印刷局編『官報. 1929年11月18日』日本マイクロ写真、1929年
近年、菁桐駅周辺が観光地として賑わうようになったのは、炭田として繁栄を極めていた頃の面影が随所に残っているためです。附近には台陽鉱業会社の炭鉱があり、昭和10年当時、年間18万トンもの石炭を産出していました。つまり、宜蘭線の猴硐駅と同じように、炭鉱とともに生まれ、成長していった駅ということです。
(参考文献)台湾総督府交通局鉄道部『台湾鉄道旅行案内』1935年

▲菁桐駅の出札窓口

▲菁桐駅の駅員室を眺めて
菁桐駅には開業当初に建築された木造駅舎が残り、今もなお現役の駅舎として使用されています。近年、駅舎の修復・改修工事が行われ、苔一つない美しい姿に生まれ変わりました。

▲ホームから菁桐駅舎を眺めて
ホームから改めて駅舎を眺めてみると、少し前のように屋根瓦が苔むしていません。

▲菁桐駅の転轍機

▲綺麗になった菁桐駅のセメント瓦

かつて石炭の積み込み駅だった菁桐駅構内には、巨大なホッパが2基残されています。ホッパを真下で眺めるため、多くの観光客が構内に降りて散策しているのが印象的です。写真上に移っているホッパは、その上部が改装されて展望喫茶店に生まれ変わっています。

▲駅舎を介することなくホーム端から駅前に出ることができる

▲菁桐駅の「空に伸びるもの二つ」

▲まだ列車は到着しない

▲線路終端部から駅構内を眺めて
駅に降りてずいぶん時が流れました。しかしまだ列車は来ません。駅にはのんびりとした雰囲気が漂っています。ここでは何も急ぐ必要がないのです。
総括
今回、平渓線の終着駅・菁桐駅をじっくりと観察してみました。炭鉱が閉山した今でも、当時の遺産を活用して町おこしが行われている様子が見て取れました。台湾の盲腸線沿線ではこのように、各々の自治体や住民が力を合わせ、路線の観光地化に取り組んでいます。その結果、内湾駅や車埕駅、八斗子のように、終着駅は軒並み観光地として整備されています。
ただ、これら盲腸線はあまりにも観光地化されているため、ローカル線としての情緒にはやや欠けている部分があります。台湾で真のローカル線を味わいたいのであれば、南廻線や潮州以東の屏東線に乗るべきでしょう。
撮影日:2017年4月4日
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