古蹟から現役民家まで...東台湾「台東市」の日本家屋を調査した
台湾各地の都市には規模の大小にかかわらず、多くの日本家屋が現存しています。これは言うまでもなく、日本統治時代の名残りです。なかでも、花蓮県・台東県を中心とする東海岸には日本人によって計画・建設された都市・街が多く、ゆえに現存する日本家屋の数は島内屈指といえます。
今回は台東県の中心地・台東市に残る日本家屋を調査していきます。雨天のため、調査範囲は旧台東駅前と台東観光夜市周辺に限定しましたが、それでも大量の日本家屋を目にすることができました。以下、写真を交えながら調査記録をお届けします。

長距離バスが発着する台東バスステーションにやってきました。こちらはかつての台鉄台東駅(初代)にあたります。駅舎はターミナルとして残り、ホーム・車庫・線路も当時のまま保存されています。
現在の台東駅は市街地から数キロほど離れているため、廃駅になった今も当時と変わらず、台東市の玄関口として機能しています。

▲旧台東駅に保存されているDR2050形(DR2000形中間付随車)

台東駅は台東線南の終点駅にあたり、日本統治時代から運行上の要所として栄えていました。そのため、駅のすぐ近くには駅関係者の宿舎や事務所が立ち並んでいました。
現在でも、台東バスステーションのすぐ横に木造建築がいくつか残っています。その中には写真上のように、綺麗に改装されてイベント施設になっているものもあります。

続いて、台東駅前から少しづつ東に進みながら日本家屋を捜索していきます。

駅前一帯に残る日本家屋は先ほども述べたように、駅関係者の宿舎と見て良いでしょう。

▲駅長クラスが居住していたのか、旧台東駅前に残る立派な一軒家

▲古そうな木造長屋

▲「ケンタッキー」裏の日本家屋

旧台東駅前の日本家屋は結構大切にされているようで、どれも良い状態でたち続けています。

▲どことなく和洋折衷を感じさせる日本家屋

旧台東駅前を離れた私は続いて、果物を多く取り扱うことで知られる台東観光夜市にやってきました。夜市とはいいますが、昼間でも多くの果物店が店を開けており賑やかな場所です。

台東観光夜市の付近にも多くの日本家屋が残っています。この辺りはおそらく、台東庁・台東街職員といった公務員向けの宿舎(官舎)街だった場所なのでしょう。相変わらず立派な木造日本家屋が立ち並んでいます。

いかにも宿舎らしく、写真上のように1軒を2世帯で共有するタイプ(ニコイチ)の長屋もあります。官舎には等級があり、地位に応じた規模の宿舎が割り当てられていました。つまりこういった長屋には、比較的低いクラスの役人が居住していたのです。

▲一軒家タイプの小さな官舎

▲屋根の半分が白トタンになってしまった官舎

路地に入ると、先ほどとは打って変わり荒廃気味の官舎が2件ほど残っていました。

▲路地に残る木造官舎

これまで扱ってきた木造官舎群は、現在の台東県公所の西側に集中しています。つまり、日本統治時代から現在に至るまで、台東地方の中枢部はずっと同じ場所にあり続けているということです。

台東県公所の近くに来たところで、これまでにない大規模な木造家屋が見えてきました。建物だけではありません、庭も非常に広々としており、その大きさは柵外にいても十分に感じられます。
何を隠そう、この建物こそが台東庁のトップに立つ長官の宿舎だったのです。戦後は台東県長公館として、引き続き行政トップの居所として使われてきました。他の官舎と同じように、大切に修復・保存されています。

▲2階建ての店舗家屋?

▲比較的大きめの一軒家タイプの官舎
以上、台東駅から県公所にかけて、官舎を含む日本家屋の現存状況を見てきました。台東には日本家屋が多いと述べましたが、今回見てきた物件はあくまでも官舎建築に過ぎません。それにしても、なぜこれほどまでに官舎建築が多いのでしょうか。
そもそも台東に居住する内地人は、その大半が短期滞在者でした。その中には公務員も多く含まれたでしょう。昭和5年当時、台東庁内には4396人の内地人が居住しており、そのうち居住年数8年未満の人口が過半数を占めていたという記録が残っています。
(参考文献)
台湾総督官房臨時国勢調査部編『国勢調査結果表. 昭和5年 州廰編 臺東廳』台湾総督官房臨時国勢調査部、1933年
台東に居住したとしても、1年ないし数年で引き払うのであれば、そりゃ宿舎を借りて住むのが一番割に合っているわけです。よって、台東には長期滞在を前提としない宿舎が多く存在するのです。
今回の調査は狭い範囲にとどまりましたが、台東市内には他にも官舎密集地域があります。その中には「宝町芸文センター」のように、町おこしの材料として活用されている物件もあります。
一方、内地人の定住者・商業従事者向け住居は市街地南東部、すなわち海岸に近い地域に多く見られます。今回は調査できませんでしたが、定住者向け住居も大規模な改造を受けながら、しぶとく生き残っているようです。
定住者向け住居・他の官舎郡、そして近年完成したという和風建築の気象観測所等々、調査すべき物件はまだ多数残っています。また改めて、台東の日本家屋を調査することになりそうです。
撮影日:2017年4月1日
今回は台東県の中心地・台東市に残る日本家屋を調査していきます。雨天のため、調査範囲は旧台東駅前と台東観光夜市周辺に限定しましたが、それでも大量の日本家屋を目にすることができました。以下、写真を交えながら調査記録をお届けします。
旧台東駅から調査開始!

長距離バスが発着する台東バスステーションにやってきました。こちらはかつての台鉄台東駅(初代)にあたります。駅舎はターミナルとして残り、ホーム・車庫・線路も当時のまま保存されています。
現在の台東駅は市街地から数キロほど離れているため、廃駅になった今も当時と変わらず、台東市の玄関口として機能しています。

▲旧台東駅に保存されているDR2050形(DR2000形中間付随車)
旧台東駅前の木造家屋(鉄道官舎)

台東駅は台東線南の終点駅にあたり、日本統治時代から運行上の要所として栄えていました。そのため、駅のすぐ近くには駅関係者の宿舎や事務所が立ち並んでいました。
現在でも、台東バスステーションのすぐ横に木造建築がいくつか残っています。その中には写真上のように、綺麗に改装されてイベント施設になっているものもあります。

続いて、台東駅前から少しづつ東に進みながら日本家屋を捜索していきます。

駅前一帯に残る日本家屋は先ほども述べたように、駅関係者の宿舎と見て良いでしょう。

▲駅長クラスが居住していたのか、旧台東駅前に残る立派な一軒家

▲古そうな木造長屋

▲「ケンタッキー」裏の日本家屋

旧台東駅前の日本家屋は結構大切にされているようで、どれも良い状態でたち続けています。

▲どことなく和洋折衷を感じさせる日本家屋
台東県公所周辺の木造家屋(公務員官舎)

旧台東駅前を離れた私は続いて、果物を多く取り扱うことで知られる台東観光夜市にやってきました。夜市とはいいますが、昼間でも多くの果物店が店を開けており賑やかな場所です。

台東観光夜市の付近にも多くの日本家屋が残っています。この辺りはおそらく、台東庁・台東街職員といった公務員向けの宿舎(官舎)街だった場所なのでしょう。相変わらず立派な木造日本家屋が立ち並んでいます。

いかにも宿舎らしく、写真上のように1軒を2世帯で共有するタイプ(ニコイチ)の長屋もあります。官舎には等級があり、地位に応じた規模の宿舎が割り当てられていました。つまりこういった長屋には、比較的低いクラスの役人が居住していたのです。

▲一軒家タイプの小さな官舎

▲屋根の半分が白トタンになってしまった官舎

路地に入ると、先ほどとは打って変わり荒廃気味の官舎が2件ほど残っていました。

▲路地に残る木造官舎

これまで扱ってきた木造官舎群は、現在の台東県公所の西側に集中しています。つまり、日本統治時代から現在に至るまで、台東地方の中枢部はずっと同じ場所にあり続けているということです。

台東県公所の近くに来たところで、これまでにない大規模な木造家屋が見えてきました。建物だけではありません、庭も非常に広々としており、その大きさは柵外にいても十分に感じられます。
何を隠そう、この建物こそが台東庁のトップに立つ長官の宿舎だったのです。戦後は台東県長公館として、引き続き行政トップの居所として使われてきました。他の官舎と同じように、大切に修復・保存されています。

▲2階建ての店舗家屋?

▲比較的大きめの一軒家タイプの官舎
総括
以上、台東駅から県公所にかけて、官舎を含む日本家屋の現存状況を見てきました。台東には日本家屋が多いと述べましたが、今回見てきた物件はあくまでも官舎建築に過ぎません。それにしても、なぜこれほどまでに官舎建築が多いのでしょうか。
そもそも台東に居住する内地人は、その大半が短期滞在者でした。その中には公務員も多く含まれたでしょう。昭和5年当時、台東庁内には4396人の内地人が居住しており、そのうち居住年数8年未満の人口が過半数を占めていたという記録が残っています。
(参考文献)
台湾総督官房臨時国勢調査部編『国勢調査結果表. 昭和5年 州廰編 臺東廳』台湾総督官房臨時国勢調査部、1933年
台東に居住したとしても、1年ないし数年で引き払うのであれば、そりゃ宿舎を借りて住むのが一番割に合っているわけです。よって、台東には長期滞在を前提としない宿舎が多く存在するのです。
今回の調査は狭い範囲にとどまりましたが、台東市内には他にも官舎密集地域があります。その中には「宝町芸文センター」のように、町おこしの材料として活用されている物件もあります。
一方、内地人の定住者・商業従事者向け住居は市街地南東部、すなわち海岸に近い地域に多く見られます。今回は調査できませんでしたが、定住者向け住居も大規模な改造を受けながら、しぶとく生き残っているようです。
定住者向け住居・他の官舎郡、そして近年完成したという和風建築の気象観測所等々、調査すべき物件はまだ多数残っています。また改めて、台東の日本家屋を調査することになりそうです。
撮影日:2017年4月1日
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