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台東神社跡(台東県台東市)―拝殿残存説あり...東台湾・鯉魚山の鎮守は今

今回お届けする台東神社は台湾南東部、台東市の中心部・鯉魚山にありました。神社跡地は現在台東県忠烈祠として整備されており、境内には神社時代の構造物がいくつか現存しています。



参道


日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社入口

神社入口は旧台東駅(現在の台東バスステーション)の裏側にありました。当時の参道は忠烈祠の参道に転用されています。

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社・鯉魚山施設配置図
日治時期台東神社遺址、鯉魚山配置圖


日治時期台東神社遺址

かつての神社参道には鯉魚山の由来に関する説明板が置かれています。記述は中文のみで、台東神社に関する記述は一切見られませんでした。あくまでも山に関する説明にとどまっています。

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社参道全景

参道はブロックで舗装され、遊歩道のようになっています。

日治時期台東神社遺址
▲手前から、旧台東神社二の鳥居(?)・拝殿跡・本殿跡

境内を進むと、やがて目の前に真っ赤に塗装された牌坊と忠烈祠建築が見えてきます。右手には社務所が、二の鳥居を挟んで左手奥には手水鉢がありました。牌坊の背後にはケバケバシイ色で塗装された石灯籠の一部が置かれています。

また、鳥居の手前には元々小さな段差がありましたが、のちに整地され段差は解消しています。

二の鳥居


日治時期台東神社遺址

旧台東神社には現在、赤い牌坊が一基立っています。牌坊の形状は一般的なそれとはずいぶん異なっており、もしかすると神明鳥居を変形したものかもしれません。柱の太さや貫の形状は鳥居に極めて近いですが、なにせ青い台座があるために亀腹を確認できず、これが鳥居だとは断定できません。

しかし牌坊の位置に神明鳥居(二の鳥居)があったことは、80年以上前に撮影された写真が証明しています。もしこれが鳥居であれば、青い台座の中に柱の根元と亀腹が眠っていることでしょう。

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社牌坊(鳥居?)の柱と貫を拡大して

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社牌坊(鳥居?)の根元部分と青い台座を拡大して

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社牌坊(鳥居?)の柱と貫の接合部分を拡大して

日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社牌坊(鳥居?)から参道入口方面を振り返って

石灯籠など


日治時期台東神社遺址

境内には2門の古い大砲が置かれています。

日治時期台東神社遺址

境内にはドギツイ色で塗装された石灯籠がある一方で、地面に目をやると打ち捨てられた石灯籠の部品もあります。

日治時期台東神社遺址
▲地面に打ち捨てられた旧台東神社の石灯籠

戦後、台湾に上陸・進駐した中国人は日本人・台湾人に対する劣等感を背景に、神社を次々に打ち壊していきました。もし台湾人が自らの意志で神社を破壊したのならば、そもそも今日の鹿野村やクスクス社での神社再建は有り得なかったはずです。

日治時期台東神社遺址
▲椅子になった旧台東神社石灯籠の一部

日治時期台東神社遺址
▲戦後台湾で初の民選県長が就任したことを記念する石碑

この他にも境内には、台東神社忠魂碑を刻みなおして造った「胡鉄花紀念碑」もあります。

日治時期台東神社遺址
▲社殿跡から二の鳥居(?)を見下ろして

二の鳥居(?)をくぐり、ゆるやかな階段を上がると社殿跡に至ります。

拝殿


日治時期台東神社遺址

二の鳥居から拝殿に上がる階段は、その大半が白く塗装されています。ところが、塗装されずに本来のコンクリ地肌を保っている部分もあります。

日治時期台東神社遺址
▲拝殿跡に続く階段

拝殿の前には三の鳥居がありました。

日治時期台東神社遺址
▲本殿跡から拝殿跡を見下ろして

日治時期台東神社遺址

拝殿跡には四角い東屋のような構造物が立っています。この構造物、実をいうと台東神社の拝殿にたいへん類似しています。そのため、戦後再建されたものではなくオリジナルの拝殿を変形したものとする説があります。

日治時期台東神社遺址

拝殿跡から本殿跡に続く階段もやはり、台東神社の頃から存在するものです。こちらは白く塗装されておらず、オリジナルの美しい姿をとどめています。

本殿


日治時期台東神社遺址
▲旧台東神社本殿跡

本殿跡は造りなおされているようで、忠烈祠の建物になっています。日本統治時代、この場所に二つの本殿が立っていました。

撮影日:2017年4月1日
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