鹿野村社(台東県鹿野郷)―日本統治時代の風格甦った東台湾移民村の神社
再建された「鹿野村社」は当初、日本統治時代の内地人移民村「鹿野村」の鎮守として建立され、戦後は社殿の基礎のみ残存していました。しかし近年、基礎の修復にあわせて社殿も再建されることが決まり、2014年ごろから再建工事が行われてきました。そして2015年、もとの位置に鳥居・石灯籠・社殿が再建され、「鹿野村社」はおよそ70年ぶりに鹿野の台地に蘇ったのです。
鹿野村社には再建工事中の2014年に訪れましたが、あれから数年を経て、同神社がどのように変化したのかお届けします。

鹿野駅から郷道34号線を通って神社前にやってきました。こちらには神道の鹿野村社と道教の昆慈堂が共存しています。

▲鹿野村社入口から社殿(中央奥)を眺めて

▲鹿野村社の手前にある昆慈堂
鹿野村社の境内には戦後、道教の昆慈堂が建立されて現在に至ります。神社基礎自体も昆慈堂の境内に組み込まれ、その上には長年東屋が建っていました。

昆慈堂の横を通るとすぐに木製の鳥居が目の前に現れます。神社再建に際し、鳥居・石灯籠のデザインは破却前の物を忠実に再現しています。そのゆえに鳥居は木造の神明式なのです。

▲鹿野村社全景(真正面から)

▲手水舎
手水鉢に関しては当時の写真・資料が見当たらなかったようで、再現しようにもできず置かれていません。

▲社殿・石灯籠

▲鹿野村社の社殿を側面から眺めて

▲鹿野村社全景(斜め前から)
地元自治体・住民の歴史・文化保存に対する熱意・理解があったからこそ、神社再建が実現しています。まさか台湾の神社事情がここ10年で大幅に変わろうとは思ってもいませんでした。
撮影日:2017年4月1日
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