現存量多し!東台湾「関山」の日本家屋を調査した(台東県関山鎮)
台湾南東部、台東県第二の町関山には多くの日本家屋が残っています。そもそも台湾の主要都市には、公務員宿舎をはじめとする日本家屋様式の建築物が多く残っていますが、高層建築の林立によって町並みが変化しているため、戦前の雰囲気を残している場所は多くありません。
ところが関山という場所は人口密度の低い台湾東海岸にあって、しかも都市化の影響をほとんど受けていません。おかげで碁盤の目に区画された関山市街地には、70年以上前に撮影された古写真の風景がよく残っているのです。
今回は関山駅旧駅舎を起点に、市街地に残る日本家屋や戦前の建築物を調査していきます。

▲関山駅旧駅舎
台鉄台東線内に唯一現存する戦前の駅舎、それが関山駅の旧駅舎です。現在の駅舎よりも若干池上寄りにある旧駅舎は、サイクリングステーションとして活用されています。建物内部に自転車が置かれているのはそのためです。

そんな関山駅の旧駅前ではかつて、一軒の旅館が営業を行っていました。それが写真上の「嘉賓旅社」です。平屋の玄関口と二階建ての本棟に分かれています。日本統治時代に築造されたモダンな建物が現存しており、歴史的価値は十分にあります。
近年、関山駅周辺に道路拡幅工事が計画された際、この嘉賓旅社は取り壊しの対象に含まれました。戦前の貴重な駅前旅館が失われることを嘆いた住民による運動の結果、拡幅工事は暫定的ながらも一部縮小され、嘉賓旅社は生きながらえることができました。
現在では半永久的な保存を実現させるため、古蹟への登録を待っている段階にあるようです。

▲嘉賓旅社のモダンな明り取り窓

関山駅旧駅舎から旧駅前通りを抜け、省道9号線との交差点にやってきました。この辺りが関山のメインストリートにあたります。交差点にも古い商店建築が残っていますが、建築年代はよくわかりません。

▲関山市街地に残る日本家屋(1)
写真上のように、日本家屋が市街地の至る所に現存しています。なかにはリフォームのすえ、商店に転用されている物件もあります。

▲関山市街地に残る古い商店建築
こちらは戦前台湾における、商店建築の形態をよく留めている物件です。西海岸の嘉義市街地にも似たような建物がたくさんあります。

▲木の梁が趣深い

▲関山市街地に残る日本家屋(2)

▲関山市街地に残る日本家屋(3)

▲関山市街地に残る日本家屋(4)

▲関山市街地に残る日本家屋(5)

▲関山市街地に残る日本家屋(6)

▲関山市街地に残る日本家屋(7)

市街地のど真ん中に入ったところで突如として、写真上のような緑地帯が現れます。私自身、このような不自然な緑地帯をどこかで見たことがあります。
そのどこかとは・・・そう、台北です。台北市中心部では、日本家屋を取り壊した跡地に緑地帯を造成しているケースが多く見られます。こちらの緑地帯も日本家屋を壊した跡地に造成したものでしょう。

▲関山市街地に残る日本家屋(8)
中にはお偉いさん用の官舎建築と思しき、立派な一軒家もありました。

写真上の建物は日本家屋ではありませんが、おしゃれな造りをしていたのでご紹介します。こちらはステーキハウスとして使用されています。そういえば目玉焼き入りの台湾式ステーキ、美味しいですよね。

▲関山市街地に残る日本家屋(9)
立派な外観からして、お偉いさん用の官舎と思われます。だいぶ荒廃が進んでいますが、これから修復されるようで建物内部が綺麗に片付けられていました。柵に覆われています。

▲関山市街地に残る日本家屋(10)

▲関山市街地に残るレンガ積み家屋
屋根だけ見ると日本家屋のようにも見えますが、レンガ積みですし戦後築の物件でしょう。

▲関山市街地に残る日本家屋(11)

▲関山市街地に残る日本家屋(12)
人気のある建物がある一方で、完全に廃墟と化した日本家屋もあります。写真上の物件には草が生い茂り、屋根は今にも崩れ落ちそうな有様でした。
日本家屋が少ない地域では、それが宿舎や住居だったとしても、数少ない一棟を保存しようと運動が行われますが、逆に日本家屋が多い場所だと、このように放置され消えていく存在があるものです。
撮影日:2017年4月1日
ところが関山という場所は人口密度の低い台湾東海岸にあって、しかも都市化の影響をほとんど受けていません。おかげで碁盤の目に区画された関山市街地には、70年以上前に撮影された古写真の風景がよく残っているのです。
今回は関山駅旧駅舎を起点に、市街地に残る日本家屋や戦前の建築物を調査していきます。

▲関山駅旧駅舎
台鉄台東線内に唯一現存する戦前の駅舎、それが関山駅の旧駅舎です。現在の駅舎よりも若干池上寄りにある旧駅舎は、サイクリングステーションとして活用されています。建物内部に自転車が置かれているのはそのためです。

そんな関山駅の旧駅前ではかつて、一軒の旅館が営業を行っていました。それが写真上の「嘉賓旅社」です。平屋の玄関口と二階建ての本棟に分かれています。日本統治時代に築造されたモダンな建物が現存しており、歴史的価値は十分にあります。
近年、関山駅周辺に道路拡幅工事が計画された際、この嘉賓旅社は取り壊しの対象に含まれました。戦前の貴重な駅前旅館が失われることを嘆いた住民による運動の結果、拡幅工事は暫定的ながらも一部縮小され、嘉賓旅社は生きながらえることができました。
現在では半永久的な保存を実現させるため、古蹟への登録を待っている段階にあるようです。

▲嘉賓旅社のモダンな明り取り窓

関山駅旧駅舎から旧駅前通りを抜け、省道9号線との交差点にやってきました。この辺りが関山のメインストリートにあたります。交差点にも古い商店建築が残っていますが、建築年代はよくわかりません。

▲関山市街地に残る日本家屋(1)
写真上のように、日本家屋が市街地の至る所に現存しています。なかにはリフォームのすえ、商店に転用されている物件もあります。

▲関山市街地に残る古い商店建築
こちらは戦前台湾における、商店建築の形態をよく留めている物件です。西海岸の嘉義市街地にも似たような建物がたくさんあります。

▲木の梁が趣深い

▲関山市街地に残る日本家屋(2)

▲関山市街地に残る日本家屋(3)

▲関山市街地に残る日本家屋(4)

▲関山市街地に残る日本家屋(5)

▲関山市街地に残る日本家屋(6)

▲関山市街地に残る日本家屋(7)

市街地のど真ん中に入ったところで突如として、写真上のような緑地帯が現れます。私自身、このような不自然な緑地帯をどこかで見たことがあります。
そのどこかとは・・・そう、台北です。台北市中心部では、日本家屋を取り壊した跡地に緑地帯を造成しているケースが多く見られます。こちらの緑地帯も日本家屋を壊した跡地に造成したものでしょう。

▲関山市街地に残る日本家屋(8)
中にはお偉いさん用の官舎建築と思しき、立派な一軒家もありました。

写真上の建物は日本家屋ではありませんが、おしゃれな造りをしていたのでご紹介します。こちらはステーキハウスとして使用されています。そういえば目玉焼き入りの台湾式ステーキ、美味しいですよね。

▲関山市街地に残る日本家屋(9)
立派な外観からして、お偉いさん用の官舎と思われます。だいぶ荒廃が進んでいますが、これから修復されるようで建物内部が綺麗に片付けられていました。柵に覆われています。

▲関山市街地に残る日本家屋(10)

▲関山市街地に残るレンガ積み家屋
屋根だけ見ると日本家屋のようにも見えますが、レンガ積みですし戦後築の物件でしょう。

▲関山市街地に残る日本家屋(11)

▲関山市街地に残る日本家屋(12)
人気のある建物がある一方で、完全に廃墟と化した日本家屋もあります。写真上の物件には草が生い茂り、屋根は今にも崩れ落ちそうな有様でした。
日本家屋が少ない地域では、それが宿舎や住居だったとしても、数少ない一棟を保存しようと運動が行われますが、逆に日本家屋が多い場所だと、このように放置され消えていく存在があるものです。
撮影日:2017年4月1日
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