【旅行記】大政奉還150周年企画!15年ぶりの鹿児島歴史紀行(1)
幕末から大政奉還を経て明治維新に至るまでの過程で、多くの薩摩藩(現在の鹿児島県)出身者が活躍しました。今回は大政奉還150周年を記念して、幕末の志士を数多く輩出した鹿児島県を青春18きっぷで訪れました。
行程
東郷駅を基点に、JR鹿児島本線を南下して鹿児島中央駅を目指します。ただし八代~川内駅間は経営分離されているため、新八代から川内まで新幹線を利用します。俗にいう「ワープ」です。肥薩おれんじ鉄道区間の迂回目的だけでなく、鹿児島滞在時間の確保も兼ねています。
川内から鹿児島中央まで鹿児島本線で南下後、数時間ほど鹿児島市内に滞在します。往路に関しては当初、日豊本線・肥薩線を経由して八代に出るルートを想定しましたが、吉松~矢岳間の本数が非常に少ないため、早めに鹿児島を引き上げないとゴールは夜遅くになってしまいます。おまけに吉松で乗り遅れた暁には、悲惨な結末が待っていること間違いなしですから。
ということで今回は万全を期して、往路も行きと全く同じコースで戻ることにしました。
東郷~新八代

今回の出発時間は夜明け前の早朝5時。いまだ真っ暗闇に包まれた東郷駅へとやってきました。ここから始発列車で鹿児島本線を南下していきます。今回東郷から乗車した列車は荒尾まで行くため、乗り換えいらずで福岡県を脱出することが確定しました。列車は各駅に停車しながら博多を目指し、博多から快速列車に変わりました。
博多駅を出ると空は徐々に明るくなり、二日市到着時にはすっかり朝になっていました。

▲基山駅で通過列車を待ち合わせる
途中の基山駅で列車通過待ちのため数分停車するというので、息抜きをかねてホームに出ると、早朝の澄んだ空気と鱗雲が出迎えてくれました。朝起きるのは辛いですが、早朝の旅というのもなかなか面白いものです。

▲早朝の鳥栖駅はまだ物静かで

▲大牟田駅に到着
さて、乗車中の列車は熊本県に一歩入った場所にある荒尾駅まで行きますが、ひとつ前の大牟田駅で降りても何ら問題ない事に気が付きました。次にやってくる熊本方面の列車が、大牟田の一つ手前にある銀水からやってくるのです。どうせ次に来るのは815系2連でしょうから、座席の確保を兼ねて大牟田で列車を降ります。

やはり接続する銀水発八代行きの列車は815系2連でした。817系が来れば良しと思いましたが、こういう時に限って来ないものです。ロングシートの堅い座席に落ち着いて、あとはひたすら1時間半耐え忍ぶだけです。

▲八代平野を眺めながら熊本県を南下する

東郷駅を出て4時間弱、工場の煙突が見えてくると新八代駅に到着です。ここから新幹線で川内駅までワープします。
新八代~川内

▲新八代駅の新幹線ホームへ
新八代から川内までおよそ3500円の出費ですが、在来線利用だと2時間以上もかかる所を新幹線なら30分で通り抜けてしまいます。どうせ肥薩おれんじ鉄道を使うにしても2000円以上するわけですし、ここは新幹線を使った方が割に合います。
新幹線ホームに上がると間もなく「さくら405号」が入ってきました。車両は800系による8両編成です。八代以南の海岸部(水俣・出水・阿久根・川内等)にはこれまで一度も訪れたことがなく、川内までの道中ずっと車窓に食い入りながら過ごしました。

新幹線の旅は短く、新八代駅を出て30分後にはもう川内に到着していました。ここから鹿児島本線の旅を再開します。
川内~鹿児島中央

川内駅に到着してとにかく驚きました。何といっても在来線の改札とホームが小さいのです。余りの小ささに、ここは本当に川内駅かと思ったほどです。かつての特急停車駅としての面影は薄れ、貨物ターミナルにかろうじて幹線としての貫禄を見ることができました。
ここから乗車するのは817系の都城行きです。青いロゴマークの817系はこれまで1度、2010年に延岡駅でしか見たことがありません。運賃箱(車内収受方式)のある817系も本当に久しぶりです。

▲串木野駅に到着
川内から約1時間かけて鹿児島県北部を南下していきます。

▲湯之元駅はかつての「ドリームつばめ」停車駅
それにしても、鹿児島本線の最南端があまりにもローカルすぎるのには驚きました。何といっても線路規格が良くないのです。レールの継ぎ目を通過するたびに列車は大きく揺れ、座席に腰かけているとトランポリンかという具合に跳ねます。

▲旧伊集院町ではなく鹿児島市内にある上伊集院駅
817系の導入により、ホームの嵩上げが年々進んでいるのは予想通りでしたが、まさか伊集院駅が大変貌を遂げているとは知りませんでした。駅舎は橋上化され、南薩線ホームのあった場所は駅前ロータリーに呑み込まれていました。南薩線ホームが見られるのを楽しみにしていましたが、2年遅かったようです。

午前11時16分、ついに鹿児島中央駅へと到着しました。以前鉄道で鹿児島を訪れた際、この駅はまだ西鹿児島駅を名乗っていました。前に鉄道で来たのが2000年、車で来たのが2002年でしたから、かなり久しぶりに鹿児島の地を踏んだことになります。
当然ながら、前来た時にたむろしていたキハ58や457系の姿はなく、駅ビルも大変貌を遂げていました。次回は鹿児島の変貌ぶりに驚きながら、市内に残る史跡をめぐっていきます。
(続く)
撮影日:2017年9月9日
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