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今回は宗像市南部に位置する、朝町地区をめぐっていきます。結論から言うと、朝町地区の詳細な地名は分かりづらくなっており、所在地の特定にかなり苦労しました。

名称不明集落(妙見?)

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国道3号線バイパスの高架をくぐり、県道401号線を南下すると、左手に自由が丘の住宅地が見えてきます。その麓には小さな集落があって、何という地名か気になっていました。

しかし、地理院をはじめ様々な地図を見るも、集落名がはっきりとしません。藁にもすがる思いで遺跡の発掘報告書を読み漁ったところ、なんとこの集落真横の遺跡に関する報告書に行きつきました。

その遺跡名は朝町妙見遺跡というもので、集落裏に残る森林こそが遺跡の所在地にあたります。そこから推測するに、おそらくこの集落も小字「妙見」に含まれるのでしょう。宗像市史には村落名として紹介されていませんが、ここでは上記集落を暫定的に「妙見集落」としておきます。

自由が丘に呑み込まれた集落(名称不明)

また、妙見集落の南東部にも名称不明の小集落がありました。「ありました」と書いたのは、現在既に存在しないからです。新興住宅地・自由が丘の造成地に含まれたことから、1970年ごろに消滅しました。

日の里団地に呑み込まれた冬越集落とは異なり、集落の痕跡は全く残っていません。

竹重

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401号線をさらに南下すると、朝町地区の中心部に入っていきます。向かって右側にあるのは、竹重・中村の2集落ですが、それぞれ非常に近接しているため、事実上一つの集落と化しています。中村はその名の通り、朝町の本村にあたる地区です。

写真上は竹重集落にあたる個所を写したもの。集落裏側の丘陵上には弥生時代の遺跡(朝町竹重遺跡)があり、遺跡公園として円墳2基が保存されています。

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▲朝町字竹重付近にて、石を収めた祠(庚申塔か?)

新興住宅地「朝野団地」

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朝町竹重遺跡の西側には、朝野団地という新興住宅地が整備されています。今でこそ朝野という独自の地名・住居表示が与えられていますが、元は朝町地内に含まれていました。調べた限りだと、団地内の北部に大木、南部に中松元という小字名を確認しています。

中村

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再び県道401号線沿いに戻って、先ほど少し述べた中村集落に入っていきます。いかにも本村らしく、集落内には仏教寺院(雲乗寺)と神社(村社八幡宮)があります。

下組(山添?)

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中村集落の南側にある、この集落にも苦労させられました。この場所には仏教寺院(延寿寺)と納骨堂があります。小字が分かればよいのですが、これが全く分からないのです。

ただし、手掛かりは一つ掴めました。中村地内の八幡宮に「下組」と刻まれた石灯篭があり、おそらくこの下組の2文字が、本集落を指すものだと思います。また、付近に山添という地名の存在も確認しています。もしかすると、下組の本来の地名は山添かもしれません。

『玄海町誌』のように小字・地番の対照表さえあれば、簡単に集落名の同定ができるのですが・・・

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▲朝町山ノ口遺跡から下組(山添?)集落を一望して

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延寿寺はちょうど改築作業の真っ最中でした。すでに立派な屋根が出来上がりつつありますね。

井上

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井上集落は青葉台の入口付近にある列村です。集落南東部から東に延びる細い谷には、菅牟田という地名が与えられています。

不思議なことに、朝町地内の集落名は地理院地図に殆ど掲載されていません。集落名が数多く記載されている野坂とは対照的に、朝町地内で記載されている集落名は、井上と昼掛、そして市境にある椚原の計3か所にすぎません。

朝町地区を含む南郷コミュニティ(旧宗像郡南郷村)では、集落ごとに木製の地名札を建てています。これも大字によって表記の仕方が様々で、例えば野坂や曲だと、表に大字名、裏に集落名が記してあります。一方、朝町では表に大字名(朝町)だけが記されています(昼掛を除く)。ゆえに、朝町の地名はとくに調べるのがむつかしいのです。

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井上集落の南端部から、新興住宅地・青葉台に入る道が伸びています。この道は一見すると、青葉台造成後にできたように見えますが、なんと造成前から存在する古い道です。かつては峠道になっていたようで、井上集落と昼掛集落を結んでいました。

名称不明集落(倉元?)

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井上集落から青葉台を抜け、朝町地区の東側に出てきました。この一帯にも数か所の集落があり、昼掛公民館がコミュニティの中心になっています。

写真上は青葉台の南東部と接している、小集落を収めたものです。かつて存在した西鉄バスの停留所名から、倉元という地名ではないかと推測しました。集落内には仏堂があります。

名称不明集落

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こちらは倉元比定地から県道75号を挟んで向かい側にある集落です。名称は全く分からず、近隣に発掘された遺跡もないため、とにかく手掛かりがありません。宗像市内にはこのように、地名が分からなくなってしまった集落が沢山あります。

昼掛

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昼掛集落へとやってきました。こちらは地理院地図だけでなく、道路地図にもよく記載されている地名です。あまりに記載頻度が高いため、宗像に来た当初の私は、てっきり大字名だと思っていました。

集落内には先述の公民館のほか、八幡宮と公園もあります。この集落からさらに南下すると、やがて宮若市との境界に至ります。

椚原(くぬぎばる)


▲2013年9月撮影
宮若市との境界付近には、椚原という集落があります。1970年頃まで山間に耕地が広がっていましたが、今では殆ど休耕田となり、人家も2世帯ほどしか残っていません。

撮影日:2018年4月
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コメント(10)



名前:asa
タイトル:初めまして
朝町に実家があるものです。ちょっと気になったことがあって検索したらこちらのブログがありましたので読ませていただきました。地元民でも知らないことが乗ってたりして興味深かったです。集落名など疑問点がおありのようだったので、わかる範囲でしたら今度実家に帰ったときに母に聞いてみましょうか? ただ、昼掛の方はあまりわからないかもしれません。
なお、記事中で「庚申塔か?」と言われているものは、私たちは道祖神だと聞かされていました。
2019年03月16日 23:58 | URL | #wR2iXBxQ [edit]
名前:asa
タイトル:連投すみません
朝野団地は、朝町と野坂の間に作られたため、両方の名前を取って朝野団地と名づけられたと聞いています。
2019年03月17日 00:02 | URL | #wR2iXBxQ [edit]
名前:asa
タイトル:集落名と言いますか
記事にあった「妙見?」となっている所は、「あらぼり」と呼ばれています。音で覚えているので、漢字がわからなくてすみません。
2019年03月18日 20:54 | URL | #ocLBx9QQ [edit]
名前:asa
タイトル:少し母に聞いてきました
道祖神の写真の左右に伸びている道を境に、道祖神側が竹重、反対側が中村になります。
あと、現在でも朝野団地の中に飛び地みたいに朝町の住所が数件残っているそうです。
2019年03月25日 19:00 | URL | #wR2iXBxQ [edit]
名前:wra
タイトル:asa様
コメント&貴重な情報ありがとうございます。

> 道祖神の写真の左右に伸びている道を境に、道祖神側が竹重、反対側が中村になります。

おお!!謎が解けました。
竹重と中村は、ほぼほぼ引っ付いてるということですね。まるで赤間や神湊の「町割り」みたいです。個人的に、農村集落で複数の集落が接着しているのは、珍ケースなのかなと思っています。


> あと、現在でも朝野団地の中に飛び地みたいに朝町の住所が数件残っているそうです。

山賊鍋の裏手あたりでしょうか?あのあたりは住宅地ながら、確かに朝町のままになっていますね。
貴重な情報を得ることができ、一つ勉強になりました。改めてお礼申し上げます。
2019年03月28日 00:52 | URL | #9MBBB9Tg [edit]
名前:wra
タイトル:asa様
コメントありがとうございます。

> 記事にあった「妙見?」となっている所は、「あらぼり」と呼ばれています。音で覚えているので、漢字がわからなくてすみません。

おお~謎が解けました!!「荒堀」という地名は存じていますが、まさか集落にかかっていたとは・・・
それにしても荒堀、めちゃくちゃ範囲が広いですね。

やっぱり地元の方の情報が一番ですね。
なかなか聞き取りする勇気が出ませんが、フィールドワークというからには積極的にせねばと思うこの頃です。
2019年03月28日 01:06 | URL | #9MBBB9Tg [edit]
名前:wra
タイトル:asa様
コメント返信が遅れ、大変失礼いたしました。
数々の情報提供ありがとうございます。ただ今、目から鱗がボロボロ落ちているところです。

> 朝町に実家があるものです。ちょっと気になったことがあって検索したらこちらのブログがありましたので読ませていただきました。

改めてお礼申し上げます!


>地元民でも知らないことが乗ってたりして興味深かったです。集落名など疑問点がおありのようだったので、わかる範囲でしたら今度実家に帰ったときに母に聞いてみましょうか? ただ、昼掛の方はあまりわからないかもしれません。
> なお、記事中で「庚申塔か?」と言われているものは、私たちは道祖神だと聞かされていました。

竹重近辺の情報、大いに参考になりました。
昼掛周辺も色々と調べてみましたが、やはり地名が分かりません。国土地理院が戦前の情報を出していれば分かるはずですが、なんとそれが無さそうなんですよ。宗像の縮尺が大きな古地図が見当たらず、とにかく難儀しています。

詳細が分かり次第、またブログでご紹介しますね。沢山のコメントありがとうございました。
2019年03月28日 01:17 | URL | #9MBBB9Tg [edit]
名前:asa
タイトル:wra様
返信ありがとうございます。
ふと思い出したのですが、道祖神は私が小学生の頃は屋根も壁もなく、野ざらしでした。いつぐらいか、屋根と壁ができてましたね。中学ぐらいだったかな・・?(結婚して実家を出ているのでそれなりの年齢だとお察しください(笑))
最初から祠つきではなかったんですよ、ということで。

>山賊鍋の裏手あたりでしょうか?
そうですね。あの辺です。某自動車販売所が道沿いにありまして、あそこから山賊鍋の裏手にかけて数件あるようです。

また今度実家に帰ったときに、母にもうちょっと色々と聞いておこうと思います。
右手に竹重集落のうつっている写真ですが、左手に一軒だけぽつんと家があったと思います。あそこも竹重集落だそうです。
2019年03月29日 01:35 | URL | #wR2iXBxQ [edit]
名前:asa
タイトル:あ、あとですね
>竹重と中村は、ほぼほぼ引っ付いてるということですね。まるで赤間や神湊の「町割り」みたいです。個人的に、農村集落で複数の集落が接着しているのは、珍ケースなのかなと思っています。

これは私の予想ですが、中村の住人が増えていくに連れて竹重側に家を建てていったのではないでしょうか?その結果、隣接することになったんじゃないかな、と。私が子供の頃は竹重に隣接しているのは道祖神の向かいの家だけで、その隣の家は比較的最近(と言っても私が大学か社会人になってからぐらいの時)にできたものなので。それまではちょっとした空き地だったので、よく遊んでました(笑)
竹重側と反対のほうだと、公民館とか公園だったので、広げにくかったのかなぁと思います。
2019年03月29日 02:03 | URL | #wR2iXBxQ [edit]
名前:wra
タイトル:asa様
> これは私の予想ですが、中村の住人が増えていくに連れて竹重側に家を建てていったのではないでしょうか?その結果、隣接することになったんじゃないかな、と。私が子供の頃は竹重に隣接しているのは道祖神の向かいの家だけで、その隣の家は比較的最近(と言っても私が大学か社会人になってからぐらいの時)にできたものなので。それまではちょっとした空き地だったので、よく遊んでました(笑)

今、ちょうど1961年の航空写真を見ているところですが、「道祖神」の向かい側に建つ民家は、たしかに一軒だけですね。いずれにせよ、竹重が小さな集落であることが分かりました。それだけでも大収穫です。本当に感謝しております!
2019年03月29日 19:54 | URL | #9MBBB9Tg [edit]

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