お知らせ

1月1日:新年あけましておめでとうございます。
 

今回は宗像市南部、野坂地区をめぐっていきます。

同地区はこれまで数回、当ブログで扱ったことのある場所です。個人的に詳しく調べたつもりですが、改めて調べなおしてみると、誤記だらけなのに気が付きました。非常に面目ないです。

たとえば、森吉集落の場所を完全に誤認していましたし、入免(いるめ)集落の向かい側にある松ヶ崎集落に至っては、地名すら分からないという有様でした。

国土地理院地図を見るにあたっての注意点

これまで集落地名を調べるにあたって、国土地理院の地図を一番参考にしてきました。この地理院地図というのが結構厄介でして、地理院には集落地名が多く記されているのですが、なんと地名と場所の不一致が結構あります。

全国レベルで見れば圧倒的に正確かもしれませんが、宗像に限ってみると、不思議なことに一致しないケースが多いのです。例えば、名残地区の「本村」と記された場所は、実際には伊豆丸という集落で、本村集落はまた別の場所にありますし、田野地区の「石川」と記された場所は、実際には一ノ坪という場所でした。

この反省を踏まえて、さらに資料にあたってみることにしました。そこで出会ったのが、『福岡県史』に収録されている「福岡県地理全誌」です。さっそく宗像郡の項目を見てみると、明治期における集落名とその世帯数が記されていました。

さて、前置きはこれぐらいにして、今回は未確認の松ヶ崎・森吉集落がどのあたりにあったのか調べたいと思います。

松ヶ崎

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まずは南郷小学校の裏手にある、松ヶ崎集落に来ました。向かいにある入免と同じく、山裾に沿って家屋が並んでいる「列村」の形態をとっています。

集落に沿って小道を進むと、やがて旧南郷村でよく見られる「地名板」が見えてきました。どうやらつい最近になって建てられたものらしく、木の表面が白っぽくて新しいです。この松ヶ崎は地理院地図に記載されておらず、おまけに最近まで地名札がない状態でしたから、どうりで地名が分からなかったわけです。

以前、森吉集落の地名札が、何者かによって燃やされていたことがあります。おそらく、松ヶ崎の地名札も時を同じくして、放火の憂き目にあったのかもしれません。とりあえず地名札が再建されたようでなによりです。

森吉

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続いて森吉集落にやってきました。集落のすぐ南側には野坂神社が鎮座しています。当初は新町集落の最南部を森吉と勘違いしていましたが、名称不明集落と考えていた場所こそ、探し求めていた森吉でした。

先述のとおり、こちらの地名札は何者かによって燃やされました(原因は未詳)。真っ黒に焼け焦げ、無残な姿をさらしていましたが、少し前に再建されています。

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森吉を過ぎて、さらに野坂最南端の塚の元集落も過ぎて、磯辺峠の手前まで来ました。坂を上りきると宮若市に至り、猫塚の前で県道30号線に合流します。

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今回は峠を越えず、その前で足を止めました。山が深くなり、周囲を見渡すと狭い耕地と山林しか見えません。耕地が途切れる手前で足を止めます。

磯辺山

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山深くなるところで、一本の道が県道から分かれています。磯辺(そべ)山へと至る林道磯辺線です。この道はいわば登山道で、ずっと進めば磯辺山のてっぺんに至ります。

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磯辺山登山道と県道の合流地点には、広々とした荒れ地が広がっています。古い航空写真を見ると、この辺りにはどうやら耕地が広がっていたようです。つまり、この広い荒れ地は耕作放棄地ということになります。かつては段々畑が広がっていたのでしょうか。

今回の調査はここまでとします。

これで、野坂地区の集落は全制覇したことになります。調査の結果、地名札は野坂地区内の全集落に建てられていることが分かりました。ただし、葉座集落の地名板は工事に伴い撤去されており、いずれ再建されるものと思われます。いずれにせよ、地名札の存在は集落地名を調べるにあたって、非常に心強い存在なのです。

撮影日:2018年11月27日
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