【旅行記】札沼線乗りつぶし旅2019 1日目―だれもいない浦臼駅
2019年7月、2泊3日の行程で北海道を訪れました。
今回一番の目的は、2020年春に廃止されるJR札沼線非電化区間(北海道医療大学~新十津川)に乗車して、夏の風景を動画に収めることです。そのついでに、札幌・小樽で樺太関連の史跡を辿ることも考えました。
滞在時間が長いため、1泊2日で済ませた夕張滞在(同2月)に比べると、行動にゆとりが持てます。柔軟な行動を視野に入れながら、飛行機・ホテルの予約を行い、出発日に備えました。
出発は前回と同じく、ピーチ利用で北海道を目指します。11時をめどに空港に着けるよう、10時前に家を出ました。福岡空港には予定通り、11時ごろに到着。
空港についてすぐチェックイン機械で発券を済ませ、ついでフードコートでスーラー麺を啜ります。いわゆる「出発の儀式」ですが、搭乗時間を考えると、まくりには帰り際に立ち寄るべきだったと反省しています。時間が迫っていたので慌てて流し込みました。
保安検査を済ませて出発ロビーに入ると、搭乗時間まで15分を切っていました。ゲート前のソファに腰かけ、これから搭乗する機体を撮影しながら時間を潰すことに。平日にもかかわらず、多くの乗客が搭乗を待っていました。
搭乗は予定通り始まりました。
残念ながら、今回は3列シートのど真ん中、B席が割り当てられています。座席指定は基本行わないので、こればかりは「運ゲー」です。発券時に窓際か、通路際か、ど真ん中になるか、毎回ハラハラします。私は個人的に、この一連の過程を「座席ガチャ」と呼んでいて、ハラハラしながらも楽しみにしています。
機内に入ると、すでに両脇の席は埋まっていました。いずれも20代の学生と思しき若者で、私とは年が近そうです。これから観光のため、北海道に行くのかもしれませんね。学生のうちは時間がありますし、思い出作りにたくさん旅行に行くべきです。
さて、両脇に人がいるうえに、窓の外はあまり見えない、おまけにギュウギュウ詰め。これでは風景を撮ることもできません。離陸したら、あとは到着するのをひたすら待つばかりです。
離陸してから30分後、窓にシャッターが下ろされたことで、外の風景は完全に見えなくなってしまいました。
2時間の空旅を耐え続け、新千歳空港には14時半前に到着しました。国際線のように入国審査がないうえに、今回は預け荷物もありません。飛行機を降りて5分後には、もうJR新千歳空港駅のホームにいました。
さて、これから快速エアポートで札幌に向かい、札沼線に乗り換えて石狩当別を目指す予定です。
733系の自由席に腰を下ろし、一路札幌に向かいました。通過駅が多いせいか、乗車時間が短い印象を受けました。最高速度120キロでかっ飛ばします。停車駅が多すぎるうえに特急を避けながらトロトロ走る、鹿児島本線の区間快速とは大違いです。
札幌に入ったのは2002年以来、およそ17年ぶりのことでした。
駅の様子は当時とあまり変わっていませんが、行きかう車両が若干変わっています。711系や781系はとうになく、今や789系や733系が幅を利かせているのです。駅ホームに降り立つと、「スーパー白鳥」から転用された789系「ライラック」が、出発を待っているところでした。
札幌から北海道医療大学行きに乗り換え、ここから札沼線の旅が始まります。乗り込んだのは「エアポート」で使用される733系で、指定席として使用される「uシート」が連結されていました。
嬉しいことに、札沼線内では「uシート」が自由席として開放されています。さっそくuシートに入ってみると、さすがは乗り得席。すでに多くの乗客で満たされていました。なんとか通路際に空席を見つけ、快適なリクライニングシートに腰を沈めます。まるで特急列車に乗っているようで、過ごしやすいじゃないですか!
列車はゆっくりとした速度で、札幌郊外を北へと進んでいきます。大半が複線電化になっていることからもわかるように、札沼線の札幌口は通勤・通学路線として機能しています。多くの乗客を降ろしながら、短い間隔で駅に停まっていきます。
石狩川を渡ると、車窓は一変して田園風景へと変わりました。線路は単線に変わり、ローカルな雰囲気が漂っています。約30分かけて、列車は石狩当別に到着。ここでいったん列車を降りました。
これから浦臼行きの列車に乗り換え、終点に向かいます。しかし、次の列車まで一時間近く待ち時間があり、何かして時間を潰す必要が出てきました。こういうときは、いったん駅を出て当別市街地を散策するのが一番です。この町がどのような歴史をもって、どう発展したのか、それを調べてみようと思いました。
まずは当別神社に向かいます。北海道の神社には、その土地がいつ開拓され、誰によって開拓されたのか、当地の歴史がよく記録されています。ここで当別の街が、岩出山伊達家によって開拓されたことが分かりました。
開拓に命を懸けた侍たちの足跡に触れ、再び駅に戻ると、すでに浦臼行きは停車していました。
浦臼行きはキハ40形の単行で、車内に入ると貸し切り状態でした。ボックス席に腰を下ろし、出発までの時間を待っていると、やがて札幌からの電車がやってきました。ここで乗客が10名ほど乗り込み、浦臼行きは定刻通り、石狩当別駅を離れました。
▲石狩当別駅構内
北海道医療大学を出ると、2020年に廃止される非電化区間に突入します。交換駅は石狩月形のみ。本数は少ないうえに浦臼~新十津川は一往復だけという、凄まじいレベルの閑散区間になっています。列車は田園と丘陵が混在する区間を、ゆっくりとした速度で走っていきます。
空が薄暗くなったころ、列車は浦臼駅に到着しました。この時点で乗客は私を含め、わずか3人だけと少なく、残る2人は高校生でした。ここ浦臼ではすでに、鉄道の使命は終焉を迎えているようです。
浦臼では折り返しの時間を使って、市街地の散策や食料品の購入、さらには駅スタンプをもとめ町役場に入ったりもしました。市街地といってもその規模はコンパクトなもので、20分もあれば市街地を一周できる程です。
予想通り、浦臼からの復路は貸し切り状態でした。真っ暗闇の中、ソフトカツゲンを飲みながら、寂しい車内で時間を潰します。20時半ごろ、石狩月形駅で下車。
▲浦臼発の列車は貸し切り状態
▲夜の石狩月形駅(石狩当別行きと停泊列車)
▲石狩月形~新十津川間の「通行手形」タブレット
初日の夜は、月形市街地にある温泉ホテルに宿泊を予定しています。
石狩月形を出発する列車の映像を収録してから、ホテルを目指すことに。駅前は寂しく、自身の歩く音しか聞こえてきません。鉄道の廃止前でもこの有様ですから、廃止後はどうなってしまうのかと心配になってきます。
20分ほど歩くと、目的地の「月形温泉ホテル」が見えてきました。近くにあるコンビニで夕食を確保してから、ついでホテルにチェックインといきます。それほど大きくないホテルでしたが、静かで過ごしやすく、温泉もあって疲れが取れました。
しかしながら、この日はホークスが日ハムに連敗してしまい、大荒れの中、就寝したのはいうまでもありません。
撮影日:2019年7月16日
今回一番の目的は、2020年春に廃止されるJR札沼線非電化区間(北海道医療大学~新十津川)に乗車して、夏の風景を動画に収めることです。そのついでに、札幌・小樽で樺太関連の史跡を辿ることも考えました。
滞在時間が長いため、1泊2日で済ませた夕張滞在(同2月)に比べると、行動にゆとりが持てます。柔軟な行動を視野に入れながら、飛行機・ホテルの予約を行い、出発日に備えました。
出発は前回と同じく、ピーチ利用で北海道を目指します。11時をめどに空港に着けるよう、10時前に家を出ました。福岡空港には予定通り、11時ごろに到着。
空港についてすぐチェックイン機械で発券を済ませ、ついでフードコートでスーラー麺を啜ります。いわゆる「出発の儀式」ですが、搭乗時間を考えると、まくりには帰り際に立ち寄るべきだったと反省しています。時間が迫っていたので慌てて流し込みました。
保安検査を済ませて出発ロビーに入ると、搭乗時間まで15分を切っていました。ゲート前のソファに腰かけ、これから搭乗する機体を撮影しながら時間を潰すことに。平日にもかかわらず、多くの乗客が搭乗を待っていました。
搭乗は予定通り始まりました。
残念ながら、今回は3列シートのど真ん中、B席が割り当てられています。座席指定は基本行わないので、こればかりは「運ゲー」です。発券時に窓際か、通路際か、ど真ん中になるか、毎回ハラハラします。私は個人的に、この一連の過程を「座席ガチャ」と呼んでいて、ハラハラしながらも楽しみにしています。
機内に入ると、すでに両脇の席は埋まっていました。いずれも20代の学生と思しき若者で、私とは年が近そうです。これから観光のため、北海道に行くのかもしれませんね。学生のうちは時間がありますし、思い出作りにたくさん旅行に行くべきです。
さて、両脇に人がいるうえに、窓の外はあまり見えない、おまけにギュウギュウ詰め。これでは風景を撮ることもできません。離陸したら、あとは到着するのをひたすら待つばかりです。
離陸してから30分後、窓にシャッターが下ろされたことで、外の風景は完全に見えなくなってしまいました。
2時間の空旅を耐え続け、新千歳空港には14時半前に到着しました。国際線のように入国審査がないうえに、今回は預け荷物もありません。飛行機を降りて5分後には、もうJR新千歳空港駅のホームにいました。
さて、これから快速エアポートで札幌に向かい、札沼線に乗り換えて石狩当別を目指す予定です。
733系の自由席に腰を下ろし、一路札幌に向かいました。通過駅が多いせいか、乗車時間が短い印象を受けました。最高速度120キロでかっ飛ばします。停車駅が多すぎるうえに特急を避けながらトロトロ走る、鹿児島本線の区間快速とは大違いです。
札幌に入ったのは2002年以来、およそ17年ぶりのことでした。
駅の様子は当時とあまり変わっていませんが、行きかう車両が若干変わっています。711系や781系はとうになく、今や789系や733系が幅を利かせているのです。駅ホームに降り立つと、「スーパー白鳥」から転用された789系「ライラック」が、出発を待っているところでした。
札幌から北海道医療大学行きに乗り換え、ここから札沼線の旅が始まります。乗り込んだのは「エアポート」で使用される733系で、指定席として使用される「uシート」が連結されていました。
嬉しいことに、札沼線内では「uシート」が自由席として開放されています。さっそくuシートに入ってみると、さすがは乗り得席。すでに多くの乗客で満たされていました。なんとか通路際に空席を見つけ、快適なリクライニングシートに腰を沈めます。まるで特急列車に乗っているようで、過ごしやすいじゃないですか!
列車はゆっくりとした速度で、札幌郊外を北へと進んでいきます。大半が複線電化になっていることからもわかるように、札沼線の札幌口は通勤・通学路線として機能しています。多くの乗客を降ろしながら、短い間隔で駅に停まっていきます。
石狩川を渡ると、車窓は一変して田園風景へと変わりました。線路は単線に変わり、ローカルな雰囲気が漂っています。約30分かけて、列車は石狩当別に到着。ここでいったん列車を降りました。
これから浦臼行きの列車に乗り換え、終点に向かいます。しかし、次の列車まで一時間近く待ち時間があり、何かして時間を潰す必要が出てきました。こういうときは、いったん駅を出て当別市街地を散策するのが一番です。この町がどのような歴史をもって、どう発展したのか、それを調べてみようと思いました。
まずは当別神社に向かいます。北海道の神社には、その土地がいつ開拓され、誰によって開拓されたのか、当地の歴史がよく記録されています。ここで当別の街が、岩出山伊達家によって開拓されたことが分かりました。
開拓に命を懸けた侍たちの足跡に触れ、再び駅に戻ると、すでに浦臼行きは停車していました。
浦臼行きはキハ40形の単行で、車内に入ると貸し切り状態でした。ボックス席に腰を下ろし、出発までの時間を待っていると、やがて札幌からの電車がやってきました。ここで乗客が10名ほど乗り込み、浦臼行きは定刻通り、石狩当別駅を離れました。
▲石狩当別駅構内
北海道医療大学を出ると、2020年に廃止される非電化区間に突入します。交換駅は石狩月形のみ。本数は少ないうえに浦臼~新十津川は一往復だけという、凄まじいレベルの閑散区間になっています。列車は田園と丘陵が混在する区間を、ゆっくりとした速度で走っていきます。
空が薄暗くなったころ、列車は浦臼駅に到着しました。この時点で乗客は私を含め、わずか3人だけと少なく、残る2人は高校生でした。ここ浦臼ではすでに、鉄道の使命は終焉を迎えているようです。
浦臼では折り返しの時間を使って、市街地の散策や食料品の購入、さらには駅スタンプをもとめ町役場に入ったりもしました。市街地といってもその規模はコンパクトなもので、20分もあれば市街地を一周できる程です。
予想通り、浦臼からの復路は貸し切り状態でした。真っ暗闇の中、ソフトカツゲンを飲みながら、寂しい車内で時間を潰します。20時半ごろ、石狩月形駅で下車。
▲浦臼発の列車は貸し切り状態
▲夜の石狩月形駅(石狩当別行きと停泊列車)
▲石狩月形~新十津川間の「通行手形」タブレット
初日の夜は、月形市街地にある温泉ホテルに宿泊を予定しています。
石狩月形を出発する列車の映像を収録してから、ホテルを目指すことに。駅前は寂しく、自身の歩く音しか聞こえてきません。鉄道の廃止前でもこの有様ですから、廃止後はどうなってしまうのかと心配になってきます。
20分ほど歩くと、目的地の「月形温泉ホテル」が見えてきました。近くにあるコンビニで夕食を確保してから、ついでホテルにチェックインといきます。それほど大きくないホテルでしたが、静かで過ごしやすく、温泉もあって疲れが取れました。
しかしながら、この日はホークスが日ハムに連敗してしまい、大荒れの中、就寝したのはいうまでもありません。
撮影日:2019年7月16日
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