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【博多祇園山笠2011】十一番山笠「天神一丁目」飾り山

十一番山笠「天神一丁目」の飾り山についてお届けします。



飾り山季長元寇武勲
▲表標題「季長元寇武勲」

肥後国御家人だった竹崎季長の武勲をたたえる内容になっています。

十一番山笠 天神一丁目
表 季長元寇之武勲
人形師 中村信喬


十三世紀、蒙古軍が博多に襲来した「元寇」で活躍した肥後国(今の熊本)の御家人、竹崎季長の勇姿を再現しました。

季長は矢と火器の兵器「てつはう」が飛び交う中、愛馬にまたがって押し寄せる敵軍に突撃し、一番駆けの武功を立てるなどして活躍しました。元寇の後、季長は自らの武勇を絵師に描かせて残しました。

当時の様子を今の世に伝える絵巻物「蒙古襲来絵詞」として、よく知られています。

元寇は、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2度にわたってありましたが、いずれも鎌倉武士の奮戦や暴風雨に阻まれ、侵略のもくろみは成りませんでした。今年は弘安の役からちょうど730年です。

解説/西日本新聞社 文化部部長・上別府保慶
※標題は承天禅寺・神保至雲老師 筆


飾り山季長元寇武勲

一番上は、時の執権北条時宗。歴史の教科書では出家した姿の肖像画が載せられていますが、出家したのは死の前日だったといわれています。主役級の季長は真ん中の大きな人形です。

飾り山季長元寇武勲
▲モンゴル(大元ウルス)軍の武将

元寇には、属国高麗の軍も多数参加しました。

飾り山尊氏多々良浜誉
▲見送り標題「尊氏多々良浜誉」

一番上は建武の新政で有名な後醍醐天皇、真ん中の大きな人形は足利尊氏です。

飾り山尊氏多々良浜誉

十一番山笠 天神一丁目
見送り 尊氏多々良浜誉
人形師 白水英章


室町幕府を開いた足利尊氏がわずか二千騎で十倍の相手を打ち破ったとされる「太平記」の名場面です。

1333年、鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇の「建武の新政」が始まりました。しかし、公家中心の政治となったために、武士たちは不満を募らせ、ついに源氏の棟梁の尊氏が反旗を翻します。

いったんは敗れて九州へ逃れた尊氏ですが、逆襲に転じたのが1336年、今の福岡市東区で逢ったこの「多々良浜の戦い」です。

騎馬姿で勇む尊氏を中心に、弟の直義、九州の武将たち、そして京都で攻防の行方を見守った後醍醐天皇などを配し、天下分け目の決戦をドラマチックに描きました。

解説/西日本新聞社 文化部部長・上別府保慶
※標題は承天禅寺・神保至雲老師 筆


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COMMENT

ふぁな**

1. 無題

これは山笠ですね~^^
岡山に転勤になる前に見に行ってきました!

朝早くから・・・^^

もう山笠の時期なんですね(・ω・)/
懐かしいです♪

2011年07月13日(水)08:46

筑紫っ子つらゆき

2. 無題

>ふぁな**さん
山笠朝早いっすよねぇ~(;^_^A

おかげで追い山はまだ1回しか見に行ったことがありません(笑)
かすかに覚えていますが、男衆の掛け声といい山笠といい、とても迫力ある様子でした

今年は・・・たぶん見に行くと思います。早起き頑張ってみせますよ(o^-')b

2011年07月13日(水)11:41