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宗像市中央部にはかつて、金属鉱山がいくつもありました。その歴史は古く、江戸期には孔大寺・湯川山の麓を中心に、金の採掘が盛んにおこなわれていたそうです。

市内にあった金鉱山の歴史について調べていく中で、ひとつ興味深い鉱山跡を見つけました。それが、今回足を踏み入れた河東鉱山です。この鉱山も黒田藩の御用金山として開発され、昭和3~40年代まで稼働していました。比較的最近まで採掘されていたんですね。

ということは、何かしらの遺構が残っているのではないかと思い、さらに調べてみると、社宅や火薬庫の現存が判明しました。それだけではありません。およそ10年前に鉱山跡から新鉱物「宗像石」が発見されたというのです。鉱物に疎い私でも、かなり凄い場所だということが分かりました。

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ということで、さっそく河東鉱山の入口にやってきました。怪しげなブロック積みの小屋と、円柱形の構造物が建っています。詳細は不明ですが、いずれも鉱山ゆかりの物件なのでしょうか?

河東鉱山は谷状の場所に展開していました。その規模は狭く、これなら簡単に踏破できると思っていましたが、現実は甘くないです。それは己の人生も研究も一緒。

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なんと・・・草ボウボウです。実を言うと、ここには5年前にも来たことがあります。砂利道がまっすぐ伸びていたはずですが、それがありません。5年という歳月は、道をも消してしまうというのでしょうか?

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奥へと進む前に、入口付近にあるズリ場にやってきました。地面には石ころがいくつも転がっていますが、よく見ると青みを帯びているのが分かります。

社宅跡

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道だった場所は草藪になっていました。一面、枯れたセイタカアワダチソウに覆われています。

草をかき分けながら進むと、すぐに藪は消え、歩きやすい道が復活しました。すると、左手に崩れかけた木屋が見えるではありませんか!これは間違いない、河東鉱山の社宅跡です。

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建物は半分以上が崩れ落ち、玄関付近だけが辛うじて形を留めていました。ポストや玄関の引き戸が、よく原形をとどめています。これもあと10年すれば、完全に崩れ無くなっているかもしれませんね。

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建物内部は雨ざらしになり、ありとあらゆる部材が引き裂かれ、崩れかけています。果たして、あと何年もつでしょうか。

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河東鉱山の「メインストリート」をさらに進んでいきます。道脇には電柱が建ち、廃墟・遺構だらけの中で異彩を放っていました。

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先ほどの廃屋から入口を振り返ってみると、入口付近だけ藪に覆われ、道が消えかけているのがよく分かりました(写真上)。

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さらに進むと、道脇に空き地を見つけました。元々ここにも建物があったのでしょうか、平らに整地されています。浴槽と自動車の廃車体が置かれていました。

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廃車体を横目に進むと、また別の社宅跡が見えてきました。木の枝の奥に、長屋の形がくっきりと映し出されています。

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こちらも状態はかなり悪く、なんとか原形を保っていますが、屋根は大方崩れ落ちていました。ここまで来たら、崩落するまでそうかからないでしょう。

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未舗装の「メインストリート」は、ついに途切れました。

その奥には荒れかけているものの、奇麗な民家が建っていました(写真上)。荒れ具合から見るに、どうやら最近まで人が住んでいたようです。詳細は不明ですが、この物件も鉱山社宅に由来するのでしょうか。軒下に目をやると、巨大な蜂の巣がありました。

地面に散乱する皿・鍋など

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ここ河東鉱山跡は高低差によって、いくつかの層に分かれています。

「メインストリート」から一段低い場所に降りると、そこは細長い空き地になっていました。地面にはいつ置かれたものでしょうか、瓶や皿、やかんといった道具が、いくつも放置されています。何故ここにあるのでしょうか、全くもって分かりません。

その近くで、やけに怪しげな物体があるので凝視すると、それはカラスの頭でした。文字通り、頭部だけ切断された状態で置かれていました。しかも、かなり新鮮な状態です。思い出すだけでも気持ち悪いので写真は載せませんが、どんな経緯で頭部だけがここに放置されたのでしょうか。これもやはり、全くもって分からないのです。

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食器類だけでなく、鉄製の機械と思しき部品も放置されています。鉱山運営や採掘の際に使ったものでしょうか。閉山後、鉱山の周囲は住宅地や牛舎として開発されましたが、ここだけは数十年も時間が止まっています。

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残土や砕石が随所に放置されています。その一つを手に取ると、銅鉱の中にキラキラ光る物体が見えました。これが河東鉱山で採れるという金鉱石でしょうか。ちなみに新鉱物として発表された「宗像石」は、奇麗なコバルトブルーをしているようです。

谷底の開口部

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斜面を降りてさらに下層部へと降りると、大きな穴が開口していました。人が何とか入れるぐらいの大きさで、坑道は濁った水で満たされています。

この下にも大きな坑道が開口(写真なし)していますが、どうやら水の通り道になっているようで、一帯は底なし沼のようになっていました。この部分が河東鉱山で一番低い場所でした。分かりやすく言い換えるなら、谷底といったところでしょうか。近づかない方が無難です。

火薬庫

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河東鉱山には社宅や坑道だけでなく、火薬庫も残っています。到達がちょっと難しいので、作戦を練ってから後日アプローチを試みました。社宅跡から火薬庫への道は完全に藪と化して、道なき状態になっています。なんとか藪を乗り越えて木立の中へ。

斜面伝いに進むと、小さな貯水タンクが見えてきました(写真上)。おそらく鉱山とは無関係かもしれませんが、一応写真に撮っておきます。

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貯水タンクを横目に進むと、やがて窪地が現れました。上から窪地をのぞき込むと、そこにはレンガ積みの火薬庫が2棟、ひっそりと佇んでいました。火薬庫へのアプローチ大成功です。道があれば簡単に到達できる距離ですが、それがないので苦労しました。

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火薬庫は経年劣化で屋根が落ち、軒も片方は完全に崩れ落ちていました。丈夫なブロックと鉄製の扉だけが、当時のまま残っています。

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斜面を降りて火薬庫に近づいてみます。火薬庫入口には石垣が組まれており、もし火薬が爆発した時でも、社宅や坑道に被害が及ばないように工夫されていますね。

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人の手が入らなくなってから半世紀近くが経ち、丈夫だった石垣も木の根に浸食され、崩れ落ちようとしています。

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そんな中で、火薬庫のレンガ積みだけは狂うことなく、昔のまま残っています。

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鉄製の扉はガビガビに錆びていますが、それでも扉としての役割を保ち続けています。

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もう一棟の火薬庫との間には、大きな穴が開いていました。かなり深そうです。なぜこの場所に落とし穴のような窪みがあるのか、ちょっと疑問に思いました。一体いつ、どのようにして形成されたのでしょうか。

穴に落ちてはまずいので、ここで引き返して河東鉱山の遺構調査を終えました。鉱山を一通り見て思ったのは、どの遺構・構造物も劣化が進んでいるということです。今後、劣化はさらに進むでしょうから、さらなる深入りは止めたほうが良いと思いました。

※河東鉱山に関心を持った方へ※
本記事は読んでもらって「危ないから行かない方が良いな」と思ってもらうことを前提に書いています。本文を通して生じた、いかなる損害についても責任を負いかねますので、予めご了承ください。


撮影日:2019年
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