旧高雄神社=市忠烈祠(高雄市鼓山区)―変化する台湾の神社跡...復元参道を見に行った
日本統治時代の台湾には、多くの神社が鎮座していました。今回ご紹介する旧高雄神社もその一つで、現在は高雄市忠烈祠になっています。
同神社はかつて、寿山の中腹部に鎮座していました。その境内は高雄港を眼下に見下ろせる絶景を持ち、高雄を代表する景勝地に数えられました。1929(昭和4)年の造営にあたり、大物主尊、崇徳天皇、北白川宮能久親王の3柱を祀り、32(昭和7)年には旧県社に昇格しています。
県社への昇格は、デジタル化された官報にも見ることができます。
また、石山賢吉は台湾を訪れたおり、高雄神社からの風景を以下のように評しています。
港が簡単に見えてしまうということはつまり、軍事的要所が簡単に見えるということでして、戦時中は特に、憲兵が目を光らせるべき場所だったのではないかと思います。

そんな旧高雄神社からの絶景は健在です。80年前はおそらく、瓦屋根の木造家屋が整然と並んでいたことでしょう。時代が移り変わっても、素晴らしい眺めだけは変わらずそのままです。

「ハマセン」と呼ばれる旧市街地から参道を進むと、やがて赤い構造物が見えてきます。旧高雄神社を代表する遺構のひとつ、一の鳥居(明神)です。
同神社における現存唯一の鳥居で、刻銘の刻みなおし・赤系への塗装・中華屋根の追加など、小規模な変形が施されています。

シルエット自体は林内神社(雲林県林内郷)の鳥居に近いですが、塗装・扁額のせいか鳥居独特の美しさは損なわれています。

鳥居を抜けるとすぐに、境内へと続く階段が現れました。その前には一対の大灯篭と狛犬が置かれています(写真上)。


大型の石灯篭は下部分だけ、きれいな状態で残っていました。ご多分に漏れず、こちらの刻銘も埋められていましたが、近年になって復元処理が施されたようです。


刻銘には「大東亜戦争完遂祈願」と刻まれており、この大灯篭が1940年代に建てられたことが分かります。その一方で、裏側の「奉献」刻銘は埋められたままでした。

ここからは参道階段を抜けて、境内の奥に入っていきます。


狛犬はほぼ完ぺきな状態で残っていました。台座には「揚烈」「旌忠」と刻まれています。
一通り台座部分を調べましたが、「奉献」を埋めた後は残っておらず、戦後になって台座だけ作り直された可能性があります。

階段の右脇には謎の構造物が残っていました。六角形の台座のようなもので、おそらく石灯篭の台座ではないかと思います。
古い写真を見ると、この場所に高桐院スタイルの石灯篭が建っていたことが分かりました。

▲参道階段から高雄神社入口方面を見返して

階段を登りつめると、目の前には忠烈祠の牌坊が建っています。元々、この場所には二の鳥居(神明)があったほか、その両脇には神馬像が1対鎮座していました。

牌坊を抜けた先には、真新しい石灯篭が建ち並んでいました。
こちらはつい最近になって建立されたもので、神社参道を意識しているのは言うまでもありません。事実、こちらには1970年頃まで石灯篭が整然と並んでいたのですから。

台湾を実効支配する中華民国政権は対日断交後、神社建築を続々と破壊しました。
旧高雄神社は戦後長らくの間、社殿もそのままに使われてきましたが、断交に際して破壊された結果、神社時代の構造物は大幅に損なわれました。


先ほどの大灯篭によく似た、中型の石灯篭が一対鎮座しています。中華民国政権はすべての構造物を破壊できず、このように破壊を免れたものも少なくありません。

社殿跡には忠烈祠の本殿があります。位置的に神社本殿のあった場所とほぼ同じです。

▲横から見た忠烈祠本殿の基礎部分

参道脇に古めかしい電柱を見つけました。

▲かろうじて高雄神社の雰囲気をとどめる参道
全体を見渡すと、あまり神社時代の雰囲気が残っていないように見えますが、角度を変えてみると意外にも残っているものです。

旧高雄神社からの眺めは格別のものでした。これはぜひとも行く価値がありますよ!
ただ一つ、注意すべき点があります。とにかく野犬には気を付けてください!
旧神社一帯には野犬が数匹住み着いており、人に全く慣れていません。むしろ人を敵視しています。誤って縄張りに近づくと、吠えたてて追いかけてきます。最悪噛みつく可能性があるので、くれぐれも人気のない場所には入らないように。

最後に神社参道を下っていると、道脇に切断された電柱の土台を見つけました。これは間違いなく、先ほど参道脇で見た電柱と同じ時代のものでしょう。
旧高雄神社には2013年以来、約7年ぶりに訪れました。
新たに石灯篭が設置されるなど、以前とは若干雰囲気が変わっており、観光地としての色彩が強まったような気がします。別にそれを悪く言うつもりはありません。実際に来て、ここに神社があったことを知ってもらえたら、それでよいと私は思います。
ただし、犬にだけは気を付けてくださいね。
(参考文献)
大蔵省印刷局編『官報 1932年6月20日』日本マイクロ写真、1932年
『高雄市要覧 昭和11年度』高雄市、1937年
石山賢吉『紀行満洲・台湾・海南島』ダイヤモンド社、1942年
撮影日:2020年2月19日
同神社はかつて、寿山の中腹部に鎮座していました。その境内は高雄港を眼下に見下ろせる絶景を持ち、高雄を代表する景勝地に数えられました。1929(昭和4)年の造営にあたり、大物主尊、崇徳天皇、北白川宮能久親王の3柱を祀り、32(昭和7)年には旧県社に昇格しています。
県社への昇格は、デジタル化された官報にも見ることができます。
(原文ママ、ただし旧字体は新字体に改めた)
◎台湾総督府告示第五十一号
一 高雄神社 高雄州高雄市寿町一番地ノ一
祭神 大物主命 崇徳天皇 能久親王
右昭和七年四月二十二日県社ニ列格セラル
昭和七年五月四日
台湾総督 南 弘
◎台湾総督府告示第五十一号
一 高雄神社 高雄州高雄市寿町一番地ノ一
祭神 大物主命 崇徳天皇 能久親王
右昭和七年四月二十二日県社ニ列格セラル
昭和七年五月四日
台湾総督 南 弘
また、石山賢吉は台湾を訪れたおり、高雄神社からの風景を以下のように評しています。
港が簡単に見えてしまうということはつまり、軍事的要所が簡単に見えるということでして、戦時中は特に、憲兵が目を光らせるべき場所だったのではないかと思います。

そんな旧高雄神社からの絶景は健在です。80年前はおそらく、瓦屋根の木造家屋が整然と並んでいたことでしょう。時代が移り変わっても、素晴らしい眺めだけは変わらずそのままです。

「ハマセン」と呼ばれる旧市街地から参道を進むと、やがて赤い構造物が見えてきます。旧高雄神社を代表する遺構のひとつ、一の鳥居(明神)です。
同神社における現存唯一の鳥居で、刻銘の刻みなおし・赤系への塗装・中華屋根の追加など、小規模な変形が施されています。

シルエット自体は林内神社(雲林県林内郷)の鳥居に近いですが、塗装・扁額のせいか鳥居独特の美しさは損なわれています。

鳥居を抜けるとすぐに、境内へと続く階段が現れました。その前には一対の大灯篭と狛犬が置かれています(写真上)。


大型の石灯篭は下部分だけ、きれいな状態で残っていました。ご多分に漏れず、こちらの刻銘も埋められていましたが、近年になって復元処理が施されたようです。


刻銘には「大東亜戦争完遂祈願」と刻まれており、この大灯篭が1940年代に建てられたことが分かります。その一方で、裏側の「奉献」刻銘は埋められたままでした。

ここからは参道階段を抜けて、境内の奥に入っていきます。


狛犬はほぼ完ぺきな状態で残っていました。台座には「揚烈」「旌忠」と刻まれています。
一通り台座部分を調べましたが、「奉献」を埋めた後は残っておらず、戦後になって台座だけ作り直された可能性があります。

階段の右脇には謎の構造物が残っていました。六角形の台座のようなもので、おそらく石灯篭の台座ではないかと思います。
古い写真を見ると、この場所に高桐院スタイルの石灯篭が建っていたことが分かりました。

▲参道階段から高雄神社入口方面を見返して

階段を登りつめると、目の前には忠烈祠の牌坊が建っています。元々、この場所には二の鳥居(神明)があったほか、その両脇には神馬像が1対鎮座していました。

牌坊を抜けた先には、真新しい石灯篭が建ち並んでいました。
こちらはつい最近になって建立されたもので、神社参道を意識しているのは言うまでもありません。事実、こちらには1970年頃まで石灯篭が整然と並んでいたのですから。

台湾を実効支配する中華民国政権は対日断交後、神社建築を続々と破壊しました。
旧高雄神社は戦後長らくの間、社殿もそのままに使われてきましたが、断交に際して破壊された結果、神社時代の構造物は大幅に損なわれました。


先ほどの大灯篭によく似た、中型の石灯篭が一対鎮座しています。中華民国政権はすべての構造物を破壊できず、このように破壊を免れたものも少なくありません。

社殿跡には忠烈祠の本殿があります。位置的に神社本殿のあった場所とほぼ同じです。

▲横から見た忠烈祠本殿の基礎部分

参道脇に古めかしい電柱を見つけました。

▲かろうじて高雄神社の雰囲気をとどめる参道
全体を見渡すと、あまり神社時代の雰囲気が残っていないように見えますが、角度を変えてみると意外にも残っているものです。

旧高雄神社からの眺めは格別のものでした。これはぜひとも行く価値がありますよ!
ただ一つ、注意すべき点があります。とにかく野犬には気を付けてください!
旧神社一帯には野犬が数匹住み着いており、人に全く慣れていません。むしろ人を敵視しています。誤って縄張りに近づくと、吠えたてて追いかけてきます。最悪噛みつく可能性があるので、くれぐれも人気のない場所には入らないように。

最後に神社参道を下っていると、道脇に切断された電柱の土台を見つけました。これは間違いなく、先ほど参道脇で見た電柱と同じ時代のものでしょう。
旧高雄神社には2013年以来、約7年ぶりに訪れました。
新たに石灯篭が設置されるなど、以前とは若干雰囲気が変わっており、観光地としての色彩が強まったような気がします。別にそれを悪く言うつもりはありません。実際に来て、ここに神社があったことを知ってもらえたら、それでよいと私は思います。
ただし、犬にだけは気を付けてくださいね。
(参考文献)
大蔵省印刷局編『官報 1932年6月20日』日本マイクロ写真、1932年
『高雄市要覧 昭和11年度』高雄市、1937年
石山賢吉『紀行満洲・台湾・海南島』ダイヤモンド社、1942年
撮影日:2020年2月19日
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