旧阿緱神社=屏東公園(屏東県屏東市)―太鼓橋が残る神社跡

古くは阿緱(あこう)と呼ばれていた、台湾南部の屏東市。ここには日本統治時代に阿緱神社という立派なお社がありました。

現在、神社跡は屏東公園と県立陸上競技場になっています。かつての遺構がどのくらい残っているのか、現地に出向き調べてみました。


まずは阿緱神社の正面入口だった場所に来ました。かつては真正面に鳥居があったはず。今では真正面にパーゴラ(つる植物を育てる棚)が広がっています(写真上)。


参道跡はそのまま公園の通路として残存しています。

ここで一つ目の神社遺構を発見!なんと、太鼓橋(神橋)が原形に近い状態で残っていました。


太鼓橋としての風格はそのまんま。宝珠部分が良い味を出しています。


老樹の根元には狛犬台座が2基、置かれていました。現在、狛犬は屏東県忠烈祠に安置されているとのこと。


こちらは消防記念碑。戦後、碑文はセメントで塗りつぶされ、「礼義廉恥」の碑文に改造されました。現在は半分だけセメントを除去のうえ、復元処理が施されています。

神社遺構としての性格はもちろんのこと、中国国民党の反日政策を示す「負の遺産」としての性格も併せ持っている物件です。


▲「昭龢十八年三月三十一日
屏東消防組長 龍揖松蔵 定
東京 松野縁 書」

原文は漢文調で刻まれており、平仮名・片仮名はありません。

この碑文にはちょっと面白い所があるんですよ。それが年号表記です。1943(昭和18)年に建立されたものですから、「昭和十八年」と刻むべきところですが、なんと「和」が異体字の「龢」になっています。

ていうか、「和」にこんな異体字があったんですね。


忠魂碑は「光復記念碑」に改造された状態で残っています。このように、日本統治時代に建立された石碑は、中国国民党が己の権力を誇示せんと、「光復記念碑」に打ち直された事例が少なくありません。

こちらもまた、中国人による恐怖政治がなした「負の遺産」といえましょう。


忠魂碑の隣には、謎の石積み構造物が鎮座していました。元々は、何らかのレリーフが埋められていたのではないかと思います。


▲ごく普通の涼亭


池のほとりに古びた石積みの構造物を見つけました。


構造物の中央部には、テーブルのような物体が鎮座しています。石灯篭の部品にも見えるし、元からテーブルであるようにも見える。よく分からない謎の物体です。

唯一分かること・・・それは寄贈者が「蘇雲英」ということです。じつはこの人物、民主進歩党の政治家で行政院長を務める、蘇貞昌氏の祖父にあたります。


かつての境内をめぐっていると、ここで思わぬご当地キャラを発見しました(写真上)。これって同じ屏東県の四十渓温泉マスコット「葱宝」じゃないですか!?

いやいや・・・こんな場所で見られるなんて。嬉しいなぁ。


毎度おなじみ、孫中山先生こと孫文像もありました。


最後は境内末社「末広稲荷社」の跡地に向かいます。


末広稲荷社はかつて、小さな築山の上に鎮座していました。現在、社殿跡には涼亭が建ち、築山の斜面には滑り台が造られています。神社時代はどのような造りになっていたのか、今となっては想像するのも難しいです。

内部には防空壕が作られ、その入口扉が妙に強い存在感を放っていました。

撮影日:2020年2月19日
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