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D51-222号機 与儀公園(沖縄県那覇市)―鉄道がない県に贈られたデゴイチ

1945年の敗戦から2002年のゆいレール開業まで、沖縄県は長らく鉄道空白地帯でした。そんな中、同県の本土復帰からまもない1973(昭和48)年に一両の蒸気機関車がやってきました。

それが今回ご紹介する、D51-222号機です。晩年は南延岡に在籍したカマで、新製配置から廃車まで九州を出ることはありませんでした。

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D51-222号機は公園の北側に、ひっそりと保存されています。国道330号線沿いからも、その姿をはっきりと目にすることができました。

D51 222静態保存の由来

沖縄の本土復帰(昭和47年5月15日)を記念して、北九州市の日本国有鉄道門司鉄道管理局の有志の方々によって、沖縄の子供を招く運動が展開されました。そのとき那覇市内の小学校5・6年生72名が招待され、国鉄職員の里親のもとで、8日間の楽しい生活を送りました。

はじめてみる九州の自然や暖かく迎えていただいた里親の心づかいに子供たちは感激するとともに、身近に見た蒸気機関車の巨大さ、たくましさにすっかり心をうばわれ、口々に機関車がほしいと言いだしました。それを聞いた里親である国鉄職員の方々は、鉄道のない沖縄の子供たちのために、なんとか九州を走っている実物の蒸気機関車を贈ろうということになりました。

ところが、鹿児島から海上600キロメートル隔てた那覇へ重さ90トンのD51を運ぶことは高度の輸送技術と莫大な費用がかかりましたが、重量運搬について経験深い業者の協力と、国鉄職員をはじめ全国の方々からの1千4百万余円の募金によって、無事その偉業が実現しました。

ここに展示されているD51 222は、このような経過のもとに贈られたものですが、関係各位の努力はもとより、沖縄を思う親愛の情の象徴としていつまでも大切に保存したいものです。

D51 蒸気機関車のあらまし

この機関車は、デゴイチの愛称で親しまれているD51型蒸気機関車であります。

デゴイチは、昭和11年(1936年)貨物列車の大型けん引機関車として設計されたもので、昭和20年(1945年)までに1115両制作されました。第二次世界大戦中は、国鉄幹線の軍需物資輸送の主役としてあらゆる酷使にもたえ、戦後は、荒廃した国土の再建のために黙々として働き続けましたが、動力近代化の進展に伴い、遂に昭和50年来に、国鉄の第一線から姿を消しました。

D51 222のおいたち

昭和13年12月19日 小倉工場で完成
昭和13年12月30日
     大里機関区に配置(現在の門司機関区)
     鹿児島本線門司―――熊本間で運転
     その後日豊本線小倉―大分間で運転
昭和16年5月4日
     直方機関区へ転属 筑豊線で石炭を運ぶ
昭和18年11月27日
     熊本機関区へ転属 鹿児島本線で運転
昭和46年5月14日
     南延岡機関区へ転属 日豊本線で
     大分―――――――宮崎間を運転
     走行距離 2876.479km(地球の71周)


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海に近いため、塩害による腐食を避けては通れません。腐食のため、一時は煙突が欠損していたようですが、きれいに修復されています。煙突だけやけに新しいのはそのためです。

部品の残存状態はよく、欠損が少ないだけでもまだ幸せな方ではないでしょうか。

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▲ボイラー上部を拡大して

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▲D51-222号機キャブまわり

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沖縄県内にはかつて、0系新幹線も保存されていましたが、ずいぶん昔に撤去されています。海に囲まれた沖縄の地は、保存車両にとって厳しい環境といえましょう。

たとえどんなに厳しい環境下にあっても、D51-222号機が末永く大切にされることを願いつつ、与儀公園を後にしました。

撮影日:2020年6月8日
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