制限時間は40分!関ヶ原の古戦場をどれだけ散策できるか(岐阜県関ケ原町)

青春18きっぷ旅の最中、ふと思い付きで関ヶ原に立ち寄りました。

米原から名古屋方面に行くため、止まっていた大垣行きに乗りました。ところが、大垣で接続するのが「後続の米原発」ということを知り、関ヶ原下車を思いついたのです。

関ヶ原といえば「天下分け目の決戦」でおなじみ、日本を代表する古戦場です。前々から来てみたい場所でしたが、なかなか降り立つ機会がないまま今日に至ります。

しかし、制約が一つだけあって・・・なんと滞在時間が40分しかありません。

これでは駅周辺を散策するだけで終わりそうです。それでも心配はいりません!なんたって、駅周辺そのものが古戦場なのですから。

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▲関ヶ原駅を出て駅北側の古戦場を目指す

まずは駅前に出て、周辺地図に目を通しておきます。どうやら駅のすぐ北側に、「徳川家康最後陣跡」があるようです。あそこなら片道10分で行けるかもしれません。これにて目的地は決定しました!

おまけに、線路沿いに「東首塚」があるとのこと。ついでに立ち寄っておきましょう。

東首塚

駅を出て東海道本線を越えると、ほどなくして木々が生い茂る一角が見えてきました。石碑には「東首塚」と刻まれています。徳川家康が首実検(首級の検分)をした際、遺体を処理・供養するため、現地の領主・竹中重門に命じて造らせたのが、この首塚です。

「東首塚があるなら西首塚もあるでしょう」と思ったあなた、正解です!首塚は東西2か所に造られました。西首塚は300メートルほど離れた、国道21号線沿いにあったとされています。

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▲東首塚

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▲松平と井伊の旗がなびく

なお、東首塚の一帯には松平忠吉・井伊直政の陣が置かれていました。それをわかりやすく伝えるため、葵紋と井伊の旗がなびいています。

陣馬野公園&徳川家康最後陣跡など

関ヶ原駅を出て10分。徳川家康最後陣跡には、ほぼ予定通りに到着しました。一体は陣馬野公園として整備されているほか、岐阜関ヶ原古戦場記念館という施設もあります。今回は時間がないので、さっと見てから駅に戻りました。

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▲田中吉政陣跡

田中吉政陣跡

田中吉政は、約3千の兵を率いて細川忠興や黒田長政らとともに石田三成と戦い、最後は諸兵と共同して石田隊を壊滅させている。

合戦後、徳川家康に、逃走した三成の探索を命じられた吉政は、古橋村(滋賀県長浜市)の洞窟に潜んでいた三成を捕縛する大功を挙げた。吉政は、同じ近江出身で親しい仲だった三成を丁重に遇したといい、三成はその礼として、豊臣秀吉から拝領し、最後まで佩用していた脇差「切刃貞宗」を授けたと伝わる。


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▲徳川家康最後陣跡

床几場

関ケ原の戦いに大勝した徳川家康は、論功行賞の判断材料とするため、この場で床几に腰掛け、見方が討ち取ってきた敵将を自ら首実検した。実験した首や戦場の遺骸は首塚を造らせて葬られた。関ケ原町内には東首塚と西首塚が存在する。敵味方を問わず戦死者を弔うのは戦国時代の慣習とされ、死者への表敬の儀礼でもあった。

正面中央の土壇と周囲の土塁や松は、天保12(1841)年に幕府の命を受け、この地の領主・竹中家(13代重明)が築いた。


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▲岐阜関ヶ原古戦場記念館

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▲護国霊苑の石碑

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▲大悲救世の像

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▲貴船神社・御霊神社

芝生広場の奥には、小さな祠が2つ鎮座していました。





貴船神社

昔から陣馬野地区は用水の便に恵まれず、わずかな日照りにも井戸水が枯渇した。大正八年(一九一九年)、当時の関ケ原村は大日本紡績(現ユニチカ)の工場誘致を行なったが、それにより地区人口も急増し、ますます用水不足が切実となり、困り果てた住民は、この苦境から脱するため、大正十五年(一九二六)年一月に、大規模な汲み上げ施設(隧道工事)を計画、関ケ原村の援助を受け、ただちに着工し、同年四月に完成をみた。このとき歓喜に沸いた住民一同は、水神として有名な京都の貴船神社の祭神高龗神の分霊をもらいうけ、地区の鎮守とした。

御霊神社由緒

慶長五年九月十五日(一六〇〇年)、東軍の将徳川家康と西軍の将石田三成の軍十五万余の将兵が運命をかけ関ケ原一帯において展開された所謂関ケ原合戦であります。

この合戦で幾千、幾万とも言われる将兵がこの地に屍をさらし、中には子孫も絶え慰霊すら行われていない将兵が数多くあると思われます。この諸霊を祀るため、広く有志の浄財を呼びかけ幸い本年は関ケ原合戦三百八十周年を機として、神社建立の運びとなった次第であります。

毎年九月十四日に慰霊祭を厳修します。

 昭和五十五年四月
    関ケ原振興会


こうして一通り散策を終えると、列車の時間まで15分を切ろうとしていました。これにて陣馬野公園を後にして、元来た道を折り返し駅に戻ります。

短時間の滞在でしたが、歴史の大舞台に触れることができ、有意義な散策になりました。もしもう一度訪れる機会があれば、今度はじっくりと散策して、西首塚や西軍の関連史跡にも立ち寄りたいところです。

撮影日:2020年8月1日
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