【旅行記】フェリーげんかいで行く対馬2泊4日の旅 1日目―オンボロ船でおやすみなさい
建造から37年になる「フェリーげんかい」が退役すると知ったのは、つい最近の事でした。
あれだけのオンボロ船が、よくぞ今日まで活躍しているなと不思議に思うものです。それはともかく、退役するなら乗っておかねばなりません。なにせ、あの船はおろか博多~対馬航路すら一度も乗っていないのですから。
思い立ったが吉日。ちょうどGo Toトラベルキャンペーンでホテル代が安いですし、実行に移すまでそう時間はかかりませんでした。11月終盤の3連休を利用して、対馬に行く計画を立てました。

ときは11月20日の夜。僕は東郷駅ホームに立っていました。
これから博多港に向かい、比田勝行きの「フェリーげんかい」に乗るつもりです。翌朝は比田勝から路線バスで厳原に南下したのち、ここで1泊か2泊したいと思います。最後は午後発の「フェリーきずな」で博多港に戻れば、対馬旅は大成功です。

列車で博多駅に向かうと、珍しい行先に出会いました。電光掲示板には「肥前浜」と表示されています。早朝や夜の博多駅では、このような珍しい行先を見ることができます。
一般的には、博多駅からバスでベイサイドプレイスを目指すのが「王道ルート」です。さいわい、僕は地下鉄の定期券を持っています。これをうまく活用して、中洲川端から徒歩移動することにしました。

夜の博多に繰り出すのは、だいぶ久しぶりです。中洲川端駅を出ると、夜の明かりに照らされた街並みが広がっていました。所々に居酒屋があって、もつ鍋や肴をつつくサラリーマンが見えます。
そんな光景を見ながら歩くこと20分、博多港が見えてきました。

▲都市高速の下をくぐる
喧騒に包まれた中洲とは打って変わり、博多港周辺は静寂に包まれていました。聞こえてくるのは、頭上の都市高速から聞こえてくる、自動車の轟音だけです。

▲夜のベイサイドプレイスに到着
21時半、乗船地のベイサイドプレイス博多に到着しました。これから22時半に出港する「フェリーげんかい」比田勝行きに乗船するため、ターミナルで手続きを行います。
シャッターが下ろされた商業施設を進むと、一か所だけ明るい場所が現れました。乗船窓口があるフェリーターミナルです。一般窓口は階段を上がった2階にありました。

▲旅客窓口は2階にある
窓口であっさりと乗船券を手に入れ、あとは乗船時間が来るのを待つだけです。およそ30分の間、何をせずに過ごすのはもったいない。余った時間を利用して、ターミナル横のコンビニで翌朝の朝食を購入しておきます。
今回の旅には、いくつかの難関が立ちはだかりました。まず一つ目は、2日目の朝食問題です。比田勝は対馬最北部にある街で、その規模は決して大きいとは言えません。現地到着後、朝食を確保しようとしても、入手できない可能性の高さを予感しました。そこで、乗船前に朝食を買い込んだのです。

▲福江・厳原・比田勝行の乗船客で賑わう待合室
22時15分ごろ、いよいよ比田勝行きの乗船時間になりました。これからボーディングブリッジを通り、オンボロ船に乗り込みます。列は意外にも長く、中には犬が入ったケージを持つ客もいました。
それでも列に並ばない客は、厳原行きの「フェリーちくし」か、福江に向かう野母商船「太古」の乗船客です。野母商船には過去二回、先代「太古」のときに乗船したことがあります。いずれも片道しか寄港しない奈留で下船しました。

▲フェリーげんかいに乗船!
ボーディングブリッジをしばらくすすむと、やけに丸みを帯びた船が佇んでいました。これから乗船する「フェリーげんかい」です。1983年に製造されて以来、玄界灘の荒波にもまれながら、九州と壱岐・対馬を結んできました。
乗船後、切符の半分を回収されて半券を渡されます。残る半券も下船時に回収されるため、くれぐれも無くさないように気を付けましょう。

▲乗船券は下船時に回収されるので紛失しないように!
船内を撮っているうちに、いつの間にか桟敷席の大半が埋まっていました。決して大きな船ではなく、客席スペースは桟敷席4区画とデッキのベンチしかありません。なんとか空きスペースを見つけ、そこに寝転がりました。
寝床を確保したら、あとは出港を待つだけですが、その前に毛布の貸し出しが始まりました。九州郵船では50円で毛布貸出が行われます。席の座面は硬いですし、借りたほうがよかろうと思い、さっそく列に並びました。

▲病院待合室のような「フェリーげんかい」窓口
結果として、毛布を借りて正解でした。なにせ毛布を挟んでも腰が痛かったのですから。
それはともかく、「フェリーげんかい」は定刻通り、22時半に出港しました。船内放送が終わると、ほどなくして減光されます。到着時間は4時20分と早く、航行時間のすべてが夜間帯という「完全夜行便」です。
あまり武漢熱(新型コロナウイルス)の話題に触れたくありませんが、ここで一つ気味の悪い光景に出会いました。僕の2つ隣に寝ていたお爺さんが、おもむろに寝言を口にしたのです。
「む・・・三密・・・うぐぐ・・・」
寝ているときもそれかい!このお爺さんの頭の中は、常に武漢熱で支配されているのでしょう。
テレビや新聞では連日のように、不安を煽る報道がなされています。終息を願うとは言いますが、その中身は真逆といっても過言ではなく、4月頃から何も変わっていないばかりか、未だにそれを鵜呑みにする人が後を絶ちません。
例のお爺さんは寝言ばかりか、イビキまで鳴らし始めました。あまりの騒音に寝られるはずがなく、あとはじっと耐えながら過ごすだけです。

▲4時20分、比田勝港に到着!
ようやく眠気が強くなってきた頃、時計を見ると4時を過ぎたところでした。そろそろ比田勝港に入る頃でしょう。甲板デッキに出ると、暗闇の奥に電灯がちらほらと見えます。あれが比田勝港の光でしょうか。
こうして日没前の4時20分、「フェリーげんかい」は比田勝港に到着しました。現地住民がぞろぞろと下船する様子を、デッキから写真に収めて船内に戻ります。
早朝4時では店もバスも動いておらず、旅行者は外に出されてもまず動けません。そこで用意されているのが、7時までの船内滞在プランです。7時まで下船できませんが、明るくなるまで船内で休息がとれます。
乗船客の大半が下船したことで、船内には僕を含む10名程度が残されました。下船開始まで再度眠りにつきます。

▲7時前に下船して「フェリーげんかい」を一枚
6時50分ごろ、最終下船開始の放送が流れました。さっと準備を済ませて船を降りると、すぐに冷たい風が吹き寄せてきました。雨こそ降っていませんが、天気は決して良くありません。太陽は雲の奥に隠れ、比田勝はどんよりとした空に覆われています。
これからフェリーターミナルで準備を整えて、バスが待つ比田勝市街地に向かいます。厳原行きが出発するまで余裕がありますから、ついでに「フェリーげんかい」をいろんな角度から撮っておきたいものです。
~つづく~
撮影日:2020年11月20日
あれだけのオンボロ船が、よくぞ今日まで活躍しているなと不思議に思うものです。それはともかく、退役するなら乗っておかねばなりません。なにせ、あの船はおろか博多~対馬航路すら一度も乗っていないのですから。
思い立ったが吉日。ちょうどGo Toトラベルキャンペーンでホテル代が安いですし、実行に移すまでそう時間はかかりませんでした。11月終盤の3連休を利用して、対馬に行く計画を立てました。

ときは11月20日の夜。僕は東郷駅ホームに立っていました。
これから博多港に向かい、比田勝行きの「フェリーげんかい」に乗るつもりです。翌朝は比田勝から路線バスで厳原に南下したのち、ここで1泊か2泊したいと思います。最後は午後発の「フェリーきずな」で博多港に戻れば、対馬旅は大成功です。

列車で博多駅に向かうと、珍しい行先に出会いました。電光掲示板には「肥前浜」と表示されています。早朝や夜の博多駅では、このような珍しい行先を見ることができます。
一般的には、博多駅からバスでベイサイドプレイスを目指すのが「王道ルート」です。さいわい、僕は地下鉄の定期券を持っています。これをうまく活用して、中洲川端から徒歩移動することにしました。

夜の博多に繰り出すのは、だいぶ久しぶりです。中洲川端駅を出ると、夜の明かりに照らされた街並みが広がっていました。所々に居酒屋があって、もつ鍋や肴をつつくサラリーマンが見えます。
そんな光景を見ながら歩くこと20分、博多港が見えてきました。

▲都市高速の下をくぐる
喧騒に包まれた中洲とは打って変わり、博多港周辺は静寂に包まれていました。聞こえてくるのは、頭上の都市高速から聞こえてくる、自動車の轟音だけです。

▲夜のベイサイドプレイスに到着
21時半、乗船地のベイサイドプレイス博多に到着しました。これから22時半に出港する「フェリーげんかい」比田勝行きに乗船するため、ターミナルで手続きを行います。
シャッターが下ろされた商業施設を進むと、一か所だけ明るい場所が現れました。乗船窓口があるフェリーターミナルです。一般窓口は階段を上がった2階にありました。

▲旅客窓口は2階にある
窓口であっさりと乗船券を手に入れ、あとは乗船時間が来るのを待つだけです。およそ30分の間、何をせずに過ごすのはもったいない。余った時間を利用して、ターミナル横のコンビニで翌朝の朝食を購入しておきます。
今回の旅には、いくつかの難関が立ちはだかりました。まず一つ目は、2日目の朝食問題です。比田勝は対馬最北部にある街で、その規模は決して大きいとは言えません。現地到着後、朝食を確保しようとしても、入手できない可能性の高さを予感しました。そこで、乗船前に朝食を買い込んだのです。

▲福江・厳原・比田勝行の乗船客で賑わう待合室
22時15分ごろ、いよいよ比田勝行きの乗船時間になりました。これからボーディングブリッジを通り、オンボロ船に乗り込みます。列は意外にも長く、中には犬が入ったケージを持つ客もいました。
それでも列に並ばない客は、厳原行きの「フェリーちくし」か、福江に向かう野母商船「太古」の乗船客です。野母商船には過去二回、先代「太古」のときに乗船したことがあります。いずれも片道しか寄港しない奈留で下船しました。

▲フェリーげんかいに乗船!
ボーディングブリッジをしばらくすすむと、やけに丸みを帯びた船が佇んでいました。これから乗船する「フェリーげんかい」です。1983年に製造されて以来、玄界灘の荒波にもまれながら、九州と壱岐・対馬を結んできました。
乗船後、切符の半分を回収されて半券を渡されます。残る半券も下船時に回収されるため、くれぐれも無くさないように気を付けましょう。

▲乗船券は下船時に回収されるので紛失しないように!
船内を撮っているうちに、いつの間にか桟敷席の大半が埋まっていました。決して大きな船ではなく、客席スペースは桟敷席4区画とデッキのベンチしかありません。なんとか空きスペースを見つけ、そこに寝転がりました。
寝床を確保したら、あとは出港を待つだけですが、その前に毛布の貸し出しが始まりました。九州郵船では50円で毛布貸出が行われます。席の座面は硬いですし、借りたほうがよかろうと思い、さっそく列に並びました。

▲病院待合室のような「フェリーげんかい」窓口
結果として、毛布を借りて正解でした。なにせ毛布を挟んでも腰が痛かったのですから。
それはともかく、「フェリーげんかい」は定刻通り、22時半に出港しました。船内放送が終わると、ほどなくして減光されます。到着時間は4時20分と早く、航行時間のすべてが夜間帯という「完全夜行便」です。
あまり武漢熱(新型コロナウイルス)の話題に触れたくありませんが、ここで一つ気味の悪い光景に出会いました。僕の2つ隣に寝ていたお爺さんが、おもむろに寝言を口にしたのです。
「む・・・三密・・・うぐぐ・・・」
寝ているときもそれかい!このお爺さんの頭の中は、常に武漢熱で支配されているのでしょう。
テレビや新聞では連日のように、不安を煽る報道がなされています。終息を願うとは言いますが、その中身は真逆といっても過言ではなく、4月頃から何も変わっていないばかりか、未だにそれを鵜呑みにする人が後を絶ちません。
例のお爺さんは寝言ばかりか、イビキまで鳴らし始めました。あまりの騒音に寝られるはずがなく、あとはじっと耐えながら過ごすだけです。

▲4時20分、比田勝港に到着!
ようやく眠気が強くなってきた頃、時計を見ると4時を過ぎたところでした。そろそろ比田勝港に入る頃でしょう。甲板デッキに出ると、暗闇の奥に電灯がちらほらと見えます。あれが比田勝港の光でしょうか。
こうして日没前の4時20分、「フェリーげんかい」は比田勝港に到着しました。現地住民がぞろぞろと下船する様子を、デッキから写真に収めて船内に戻ります。
早朝4時では店もバスも動いておらず、旅行者は外に出されてもまず動けません。そこで用意されているのが、7時までの船内滞在プランです。7時まで下船できませんが、明るくなるまで船内で休息がとれます。
乗船客の大半が下船したことで、船内には僕を含む10名程度が残されました。下船開始まで再度眠りにつきます。

▲7時前に下船して「フェリーげんかい」を一枚
6時50分ごろ、最終下船開始の放送が流れました。さっと準備を済ませて船を降りると、すぐに冷たい風が吹き寄せてきました。雨こそ降っていませんが、天気は決して良くありません。太陽は雲の奥に隠れ、比田勝はどんよりとした空に覆われています。
これからフェリーターミナルで準備を整えて、バスが待つ比田勝市街地に向かいます。厳原行きが出発するまで余裕がありますから、ついでに「フェリーげんかい」をいろんな角度から撮っておきたいものです。
~つづく~
撮影日:2020年11月20日
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