西郷どんの故郷をたずねて―加治屋町をめぐる(鹿児島県鹿児島市)

幕末志士を多数輩出した鹿児島県鹿児島市。今回はその中でも、西郷隆盛や大久保利通といった下級武士が居住していた、加治屋町を散策したいと思います。



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ということでまずは、スタート地点のJR鹿児島中央駅にやってきました。ここから歩いて数分の所に、加治屋町があります。空を見ると雲一つなく、散策するにはもってこいの天気でした。でもチョット暑いかも・・・。

甲突川から大久保利通生誕地へ


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路面電車の軌道に沿って進むと、甲突川を渡る橋が見えてきました。その横に鎮座しているのが、かの有名な大久保利通像です。

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▲戦災復興記念碑

ここから甲突川に沿って加治屋町内に入りたいと思います。1945(昭和20)年、鹿児島市は米軍による無差別爆撃の被害に遭い、加治屋町を含む一帯が焼け野原と化したそうです。橋のたもとには、戦災からの復興を紀念したモニュメントが鎮座していました。

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少し進むと、大久保利通の生誕地が見えてきます。古い石碑があるそうなので、立ち寄ってみましょう。

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木が鬱蒼と生い茂る中に入ると、たくさんの石碑が林立していました。中でも一番大きなものが、ここの主たる「大久保利通君生誕地」の石碑です。

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▲「大久保利通君誕生之地」石碑

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▲「大久保利通君誕生之地」石碑の裏面

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▲西郷従道、大山巌の名が見える

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▲西郷菊次郎(台湾・宜蘭庁初代長官)の名も見える

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▲共建碑

大久保君以天保元年庚寅八月十日生於鹿児島城下下加治屋町此處即君之宅址也我輩與君同郷里得其風采徳音於見聞之際景仰欽慕不能自止恐歳月之久遺蹟成歸湮滅於是相謀建一碑以傳永遠庶幾後之生長此郷者有所感發與起焉

明治二十二年三月二十日建


薩摩藩下級武士の復元住居


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▲南洲橋と維新ふるさと館

引き続き、甲突川沿いに進んでいきます。やがて見えてきたのは、明治維新やその時期に活躍した人物を紹介する歴史博物館「維新ふるさと館」でした。ここ加治屋町で生まれ育った薩摩藩の下級武士たちが、日本近代化に大きく関与しました。

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川沿いには下級武士の住居「二つ家」を再現したものが展示されています。貧しい武士たちがどんな生活をしていたのか、少し覗いてみましょう。

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▲格式を重んじた構造の「おもて」

「二つ家」は「おもて」「なかえ」に分かれています。おもては格式を重んじた造りになっていて、客をもてなす用途などに使われていたと想像できます。どんなに貧しくても、刀と誇り高さは大切にしたということです。

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▲日常生活で用いられた「なかえ」

一方で日常生活に使われた「なかえ」という空間は、農村家屋のような構造になっています。生活に余裕がないためか、簡易な構造なのが分かります。

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▲料理の煮炊きに使われたスペース

西郷隆盛生誕地はひっそりと静まり返って


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続いては西郷隆盛生誕の地に向かいます。こちらも鬱蒼と生い茂る木々の中に、石碑が林立していました。

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▲「西郷隆盛君誕生之地」「西郷従道誕生之地」石碑

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▲共建碑

高麗橋から鹿児島中央駅に戻る


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▲休息をとる小鳥

時間の関係で、そろそろ折り返そうと思います。ちょうどすぐ目の前に高麗橋があります。あそこで引き返して、鹿児島中央駅へと戻ることに。その途中、「牛島満大将生い立ちの碑」を見つけました。

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▲沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑

沖縄戦の指揮を執り、壮絶な最期を遂げた牛島大将も鹿児島ゆかりの人物です。明治中期に東京で生まれたのち、両親の郷里である鹿児島で幼少期を過ごしました。勉強熱心でかつ温厚な人物だったようです。

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▲甲突川沿いを進む

ここで振り返ると、奥に鹿児島中央駅の観覧車が見えました。駅からそれほど離れていないようです。これなら引き返しても、駅まで15分で戻れるでしょう。

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▲高麗橋から桜島を眺めて

当初の予定通り、高麗橋で引き返します。桜島も頂上まではっきりと見えました。噴煙は上がっていないようです。

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▲観光交流センターの顔出しパネル

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▲旧日本水電本館(日本瓦斯本社ビル)

日本瓦斯本社ビルは1931(昭和6)年、日本水電株式会社本館として建築されました。当時、周辺に高い建物は無く、その近代的な容姿は通行する人たちの目を楽しませました。1941(昭和16)年、日本水電のガス部門が独立し、新たに日本瓦斯株式会社としてスタートを切りました。「ガスビル」という愛称で市民に親しまれたこの建物は、太平洋戦争中の激しい空襲にも耐え、現在も日本瓦斯株式会社の本社として使用されています。

当ビルを設計したのは、日本近代建築の先駆者として知られる渡辺節氏。彼の代表的な作品の一つである綿業会館(大阪市中央区に現存する国の重要文化財)と日本水電ビルは、ほぼ同時期に建てられたものです。街路樹と調和する落ち着いた色彩の建物は、垂直線を強調した造形や要所に組み込まれた石の装飾が特徴的です。内部には、創建当時の床タイルや人造石仕上げの階段、大理石のカウンターが現存し、応接室や金庫室はほぼ当初の姿を留めています。

規模・構造/地下一階、地上三階建て 鉄筋コンクリート造 建築面積1,793m2
設計・施工/渡辺節(1884-1967) 清水組(現 清水建設株式会社)

鹿児島市内には旧日本水電本館のように、大空襲に耐えたレトロ建造物が多く残っています。日本の近代史をぎゅっと凝縮しているのが、鹿児島の魅力といえましょう。

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▲鹿児島中央駅に到着!

そして40分近い散策を終えて、JR鹿児島中央駅に戻ってきました。あまりの暑さに、すっかり汗ばんでいます。改めて、近代史の重みを感じた鹿児島散策となりました。

撮影日:2020年9月27日
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