八幡宮神社(長崎県対馬市)―対馬の歴史が詰まった社

今回は長崎県対馬市厳原町にある、八幡宮神社をめぐります。

社号 八幡宮神社
(厳原八幡宮神社旧県社

祭神
神功皇后
仲哀天皇
応神天皇
姫大神
武内宿禰

例祭日
旧盆八月十三日 前夜祭
〃八月十四日 前夜祭
〃八月十五日 本祭
〃神幸式放生会

本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬国に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて永く異国の寇を守り給へと祈り給ひて神籤磐境を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ 大正五年十一月二十六日県社に昇格す。

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八幡宮神社は国道沿いという、開けていてかつ目立つ場所に鎮座しています。


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▲一の鳥居

一の鳥居の背後は駐車場として整備されています。

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▲二の鳥居・末社の鳥居

二の鳥居までは平坦地ですが、そこから奥は緑深い神苑となっています。

ここでふと、両脇に同じような鳥居が並んでいることに気づきました。どうやら右側が八幡宮の、左側が末社の鳥居みたいです。まずは右側の鳥居をくぐり抜け、八幡宮神社に行ってみましょう。

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▲慰霊碑

一の鳥居後方の平坦地にあるのは、駐車場だけではありません。慰霊碑や土俵といった、神社によくある構造物も並んでいました。

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▲土俵

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▲境内側から二の鳥居・一の鳥居を振り返って

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▲神門の手前から拝殿を眺めて

二の鳥居を抜けて階段を上がると、神門や社務所が見えてきました。旧社格が県社というだけあって、大きな神社ですね。

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▲年季が入った社務所

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▲神馬

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▲石造物がズラリと並んだ参道

ここまで八幡宮神社についてみてきました。続いては、境内に付属する末社を2か所、簡単にお伝えします。

冒頭部でご紹介した、「右側の鳥居」をくぐり抜けると、その先にはやや大きめの祠が2つあります。それが宇努刀神社と天神神社です。うち天神神社には、今宮・若宮神社が合祀されています。

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▲末社宇努刀神社
社号 宇努刀神社
(祇園社トモ云フ)旧村社

祭神 須佐男命
例祭日 旧暦六月十五日


神功皇后新羅征伐畢ラセ給ヒ凱還ノ時上県郡豊村ニ着セ給ヒテ島大国魂神社ヲ拝シ夫ヨリ佐賀村着御セラレ此地ニ島大国魂神社ノ神霊ヲ分ツテ皇后親カラ祭リ給フ

是延喜式神名帳ニ載ル上県郡宇努刀神社是ナルヲ延徳三年六月佐賀村ヨリ下県郡厳原清水山鎮座八幡宮境内ニ遷シ祭ル

明治十三年十一月十二日
社格村社ニ列セラル

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▲末社天神神社(今宮・若宮神社)

社号 天神神社

祭神 安徳天皇 菅原道真公
例祭日 旧八月十四日


本社 安徳天皇文治の乱を避け都を出させ給ひて筑紫に須らく潜ませ給い筑紫の吉井より当州に下り給ひて久根村大内山皇家の地に遷居し給ふ。

是を信御所と稱す。帝終に対馬に崩す。因って八幡宮神社境内に神祠を造り祭りし。天神神社と稱す。

貞治元年 菅原道真公の霊を加へ祭る。


社号 今宮 若宮神社

祭神 小西夫人マリア
例祭日 八月十四日(旧暦)


小西夫人マリアは小西行長の長女として生れ、天正十八年(一五九〇)十五才で宗義智夫人として金石城に入った。

マリアは信仰心厚く義智をも入信させた。関ヶ原の戦後小西家滅亡と共に慶長六年(一六〇一)十月追われて長崎に行き五年後清い信仰生活のうちに死んだ。元和五年(一六一九)霊魂を鎮めるためマリアとその子を祭り今宮・若宮神社と称した。後天神神社に合祀された。

天神神社に合祀されている今宮・若宮神社は、小西行長の娘マリアと、その子を祭神としています。マリアは15歳で宗義智の正室として対馬に入り、その後も信仰を守りました。のち小西家が滅亡すると、長崎に追われて5年後に死没しました。その霊魂を鎮めるため、ここに祠が建立されたと伝えられています。

このように、八幡宮神社には対馬の歴史が、一か所に凝縮されています。九州と大陸の中間にあたるこの場所で、改めて日本史の重みを知ることになりました。

撮影日:2020年11月21・23日
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