上杉神社(山形県米沢市)―藩祖上杉謙信をまつる社
上杉一族は米沢藩主として、幕末までこの地を治めていました。米沢城址には藩祖・謙信をまつる上杉神社が鎮座しています。これは明治初期に建立されたもので、かつては別格官幣社に指定されていました。

▲上杉神社参道を眺めて
参道沿いには、謙信が用いた「毘」「龍」の軍旗がなびきます。なお、謙信は生涯にわたり妻帯せず、養子として迎えたのが初代藩主・景勝です。

▲松岬神社
内堀の手前には、中興の祖・上杉鷹山や功臣をまつる松岬神社が鎮座しています。

▲上杉鷹山像
上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られる。十四歳の時から、折衷学派の儒者細井平洲に師事し十七歳で藩主となるや、大倹令・産業開発・藩校興譲館の創立・綱紀の粛正などを断行する。凶作に備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、天明の飢饉には領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
十一代治広公に家督を譲るとき民主主義の原点を示した「伝国の辞」を与えた。
米国第三十五代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は、上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である。
鷹山公が家臣に示した和歌
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり
は、万事についての可能性を示す遺訓である。
平成六年(一九九四年)五月吉日
米沢松岬ライオンズクラブ

▲草木塔
草木塔は、江戸時代中期の安永九年(一七八〇)に現在の米沢市田沢地区に建てられたものが最古とされ、「草木供養塔」「一佛成道観見法界草木国土悉皆成佛」「草木塔」などと刻まれた石碑の総称です。全国で三四基確認されている江戸期の草木塔のうち、三二基が山形県南部の置賜地方に分布し、米沢市には一七基が建てられています。中でも一〇基が集中している田沢地区は、「草木塔の里」と呼ばれています。
山林伐採や木流し(川を利用した木材・薪の流送)などに関わった山里の人々が、草や木にも魂があることを感じ取り自然への畏敬や感謝、供養の気持ちを込めて草木塔を建立したと考えられています。
近年、「自然との共生」という観点で改めて注目されるようになり、草木塔の精神に共感する人々によって、全国各地や海外にも新たな草木塔が建立されています。
なお、米沢市にある江戸期の草木塔は、全て市指定有形民俗文化財となっています。
建立 平成二五年八月吉日
米沢市

▲米沢城内堀

▲除雪中の参道
内堀を渡り、米沢城址の中心部に入ります。

▲上杉神社一の鳥居

▲手水舎

▲上杉神社二の鳥居

▲授与所

▲上杉神社社殿
ちょうど大晦日ということもあって、初詣に向けた準備が施されていました。とにかく雪だらけで寒い年末だったのを思い出します。

▲福徳稲荷大明神

▲稽照殿
御祭神上杉謙信公の遺品を主として二代景勝公、直江兼続公、中興の祖鷹山公の遺品遺墨等がほとんどで、平安より江戸期に亘る絵画、書跡、刀剣、甲冑、武具、仏器、陶漆器、服飾類等多種多様で重要文化財、重要美術品、県文化財を含む収蔵品は優秀な美術工芸品或は貴重な史料として往時を語り伝え、燦然たる光輝を放っている。
上杉神社再建に当りその宝物殿として創設されたもので、神殿と調和を保つ日本風の外観をみせた重層建築である、名づけて稽照殿という。
開館午前九時から午後四時まで
上杉神社社務所
撮影日:2020年12月31日
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