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【旅行記】サンライズ出雲&18きっぷの旅2021春 5日目―極寒の長野から温暖な関東に抜ける

5日目はまだ夜も明けぬうちに始まりました。

これから飯山線の始発に乗って、越後川口駅を目指します。5時10分出発とあまりにも早く、正直に言うとまだ起きたくありませんが、この列車を逃すと全行程が狂ってしまいます。それだけ、飯山線は本数が少ない路線なのです。



極寒の飯山線で過剰対策に泣く


4時に目覚めた僕はさっと荷造りを済ませ、ホットコーヒーを飲んでからネカフェを出ました。夜明け前の長野は寒く、雪こそ積もっていませんが、肌を突き刺すような寒さが身に応えます。

長野駅には4時半過ぎに到着しました。駅には人一人おらず、自分の足音が響きわたります。改札口はまだ開いていません。この調子だと改札口は5時に開くでしょう。それまでの間、何をすることもなく、ただ駅コンコースでひたすら極寒に耐えました。

長野駅始発で飯山線に入る
▲飯山線始発123D(長野5:10発越後川口行き)に乗る

やがて改札口のシャッターが開き、改札業務が始まりました。まずは豊野までの切符を買い、いったん改札を抜けてから、18きっぷに判を押してもらいます。北陸新幹線の金沢延伸後、飯山線は花輪線のような状態になりました。

ホームに降りると、越後川口行きのキハ110系がエンジンを鳴らし待っていました。それにしても、やけに長編成ではありませんか。車掌曰く、戸狩野沢温泉で分割するとのこと。なるほど、この列車は飯山線の始発であると同時に、区間列車の送り込みを兼ねていたのです。

飯山線始発列車の車内
▲夜明け前の飯山線を行く

5時10分、越後川口行きは暗闇の長野駅を出発しました。飯山線の沿線は豪雪地帯で知られ、1945年には森宮野原駅で約8メートルの積雪が記録されています。おそらく、まだ相当な量の雪が残っているでしょう。

雪に覆われた飯山線沿線

豊野を過ぎて飯山線に入ると、徐々に残雪が増えてきました。飯山を過ぎると銀世界になり、外から入ってくる空気もいっそう冷えてきました。

JR飯山線戸狩野沢温泉駅駅名標
▲戸狩野沢温泉駅に到着
ここで一部車両を切り離して短編成になる


雪に覆われた飯山線沿線
▲雪に覆われた飯山線沿線

本来ならば、ドア開閉はボタン式になっているところですが、ここ最近の「過剰対策」もあって、駅停車の度にドアが開きます。列車の暖房はまだ十分とはいえず、進むたびに車内は冷蔵庫と化してきました。どんなに着込んでも寒さは取れず、国鉄型の熱々暖房が恋しくなります。

風邪対策で風邪をひいたら、それこそ本末転倒というものです。過剰を極める新型コロナ対策はもうやめにしませんか?

高い雪の壁ができた森宮野原駅
▲森宮野原駅の最高積雪7.85メートルを示す標柱

JR飯山線森宮野原駅駅名標
▲森宮野原駅に停車

森宮野原駅に到着するJR飯山線キハ111形
▲森宮野原駅で対向列車と交換

飯山線キハ110形おいこっと
▲十日町駅でキハ110系「おいこっと」に遭遇

やがて新潟県に入り、十日町で長時間停車に入りました。本来ならば改札を出て、駅周辺を散策するところですが、この寒さではとても外に出る気にはなれません。元気に動いて回る気力も、すっかりどこかに行ってしまいました。なんとか気力を振り絞り、ホームに停車中のキハ110系「おいこっと」だけは撮影しました。それだけです。

越後川口駅で並ぶ上越線E129系と飯山線キハ110系
▲越後川口駅に到着

車窓を楽しむ余裕は消え失せ、ただ寒さに凍えながら、終点越後川口に到着しました。これから越後湯沢行きに乗って、上越線を上っていきます。

越後川口駅に到着する上越線E129系
▲越後川口駅にて(写真はE129系)

先ほどのキハ110とは打って変わり、E129系の車内は一定の温度が保たれていました。もちろん、到着の度にドアは開きますが、これならまだ耐えられます。ボックスシートにへたり込み、越後湯沢までの時間を過ごしました。

越後湯沢で駅併設の温泉に入る


JR上越線越後湯沢駅
▲越後湯沢駅に到着

越後湯沢駅ホームに降り立つと、若干暖かいのを感じました。

体力を元に戻そうと、まずは駅併設の温泉施設「ぽんしゅ館 酒風呂 湯の沢」に向かいます。いかにも米どころ新潟らしい、日本酒が配合されているという変わり種温泉です。あいにく営業時間前らしく、開館するまでの間、越後湯沢駅周辺をめぐることにしました。

雪国らしいアーケードを通り、路地に入ると雪がまだ残っています。とけた雪が滴り、川に溶け込んでいく様子が、ここ湯沢では見られます。雪国の春を実感しながら、散策を終えて駅に戻りました。

温泉が開くまで時間が残っています。朝食のパンだけでは満足できず、立ち食いうどんでカレーうどんを食べてから、温泉に入りました。日本酒配合といいますが、実際にはそれほど香りはせず、ちょうどよい湯加減で入りやすい温泉でした。開館直後に来たのが良かったのか、ほぼ貸切状態で過ごせました。

雪に覆われたJR上越線
▲越後湯沢駅から県境の長い峠に入る

元気になったところで越後湯沢を離れ、水上に向かいます。コンビニで軽食を買ってから、やってきたE129に乗車。トンネルを抜けた先には、どんな風景が待っているでしょうか?

JR上越線水上駅
▲水上駅に到着(写真はE129系)

211系で吾妻線に入る


水上駅で乗り換えて目指すは渋川です。これから吾妻線の完乗を目指して、万座・鹿沢口行きに乗車します。終点大前への到達はまた後程考えることにして、とりあえず行けるところまで行ってみようではありませんか。

渋川では20分以上の待ち時間があります。この時間を利用して、駅周辺を散策したいと思います。地図を見ると、近くに「渋川児童公園」という聞き覚えのある公園を見つけました。たしか、その公園にはSLが保存されていますよね。

やはり思った通り、渋川児童公園にはD51-724号機が保存されていました。保存状態は良く、屋根をかけられ大切に管理されています。短い渋川滞在を終え、やってきた211系で吾妻線に入ります。

渋川駅に到着する211系
▲渋川駅にて(写真は211系)

吾妻線は風光明媚な地域を走る、やや長めのローカル線ですが、使用車両はそれに不釣り合いな211系が使われています。高崎線から都落ちした211系といえば、ロングシートであることを忘れてはいけません。ただし、例外的にトイレ横の区画だけは、枕木方向に座席が配置されています。これをうまく活用すれば、ロングシートの辛さは半減するでしょう。

運よく、トイレ横の席は空いていました。窓際にお茶を置き、ゆったりモードで吾妻線に入ります。さすがに特急も走るだけあって、線路はよく整備されています。

小野上駅に留置されているホッパ車
▲小野上駅にて

中之条駅に停車中のJR吾妻線211系
▲中之条駅に停車
四万・沢渡温泉口の副駅名が付与されている


八ッ場ダムが近づくと、長いトンネル区間に入りました。かつてはひなびた温泉があったという川原湯温泉も、移転されたことで整然と区画されています。台湾の盧山温泉も移転したら、このようになってしまうのでしょうか。

国鉄長野原線のガーダー橋
▲長野原線太子支線のガーダー橋が残る

ダム移設区間を過ぎると、長野原草津口に到着。1971年に廃止された太子支線のガーダー橋を横目に、さらに山奥深くへと分け入っていきます。いくつかの駅を抜け、終点の万座・鹿沢口駅に到着。

万座・鹿沢口で草軽電気鉄道の廃線跡を探す


残念ながら、乗ってきた列車は万座・鹿沢口止まりでした。吾妻線の終点はあと一駅先の大前ですが、そこまで行く列車は1時間後までやってきません。この待ち時間を利用して、駅周辺を散策したいと思います。

群馬県嬬恋村を旅するうらたつき
▲万座・鹿沢口駅に到着

吾妻線がまだ嬬恋村に到達していなかった頃、草軽電気鉄道という軽便鉄道がこの地を走っていました。廃止からすでに半世紀になりますが、今でも随所に名残を見ることができます。万座・鹿沢口駅周辺にも遺構があるというので、早速見に行きました。

まずは上州三原駅横にあった、吾妻川の橋梁跡に向かいます。吾妻川橋梁の流失が、路線廃止の決定打になったとされています。今でも上州三原側(吾妻線の対岸部)に橋台が残され、この地に軽便鉄道があったことを今に伝えています。

続いては、嬬恋駅そばに残る橋台を見るため、少し長い距離を歩きます。吾妻線をまたいで嬬恋駅があった芦生田集落に入るも、駅跡らしきものはどこにもありません。かつての敷地は大方民家に飲み込まれ、廃止からの年月の長さを感じさせられます。

集落の端まで来ると、そこにあったのはレンガの残骸でした。風化が進みすぎて、橋台としての形を失いかけています。軽便鉄道の名残を見たところで、もと来た道を戻りました。

時代劇でおなじみ津川雅彦さん
▲葵徳川三代で家康役を演じた津川雅彦さんのポスター
今回の旅は何かと家康に触れる機会が多かった


万座・鹿沢口駅に戻った僕は、駅舎内に津川雅彦さんのポスターを見つけました。大河ドラマ『葵徳川三代』で家康役を演じておられた、昭和の名優です。家康といえば翌日、日光東照宮に行くつもりでいます。日光に着いたら、爪をかじる「津川家康」を思い出すことになるでしょう。

わ鉄の古めかしいレールバスに出会う


ようやく大前行きがやってきました。この電車で一駅先の大前に行けば、はれて吾妻線を完乗したことになります。

吾妻線の終点大前駅は、川のほとりにひっそり建っていました。その雰囲気はどことなく、写真でしか見たことのない国鉄白糠線北進駅を思わせます。ホームと小さな待合室、そして線路が一本延びているだけです。特急が走る路線の終点とは、とても思えないほどコンパクトな駅でした。

大前駅を旅するうらたつき
▲大前駅に到着

乗ってきた電車でそのまま、渋川方面に戻っていきます。新前橋駅で両毛線からの列車に乗り換え、高崎駅に到着したことには、すでに夜を迎えていました。ここで夕食にしたいと思います。

麻婆豆腐麺
▲高崎駅の華龍飯店で麻婆豆腐麺を食べる

時間が時間なだけに、ほとんどのレストランが店を閉じていました。まだかろうじて、数店舗が営業しています。今はちょうど中華が食べたい、とくに麻婆豆腐!よし、華龍飯店で麻婆豆腐麺をいただきましょう。本格的な味付けに大満足。

この日は栃木市が最終目的地です。翌日は18きっぷを使わず、東武で日光・鬼怒川温泉に向かいます。今回栃木を選んだのは、日光まで複雑な乗り換えなしで行けるからです。ただ一つ、お手頃価格のホテルがありませんでした。さいわい、東武新栃木駅の近くに快活クラブがあるので、そこを寝床にしたいと思います。ブースしかない店ですが・・・。

やってきた列車は桐生止まりでした。小山行きが来るまであと30分以上もあるため、暇つぶしに桐生まで行ってみることに。運が良ければ、わたらせ渓谷鉄道の車両が見られるでしょう。

桐生駅に到着すると、わ鉄乗り場はガランドウとしていました。時刻表を見ると、これから足尾行きの最終列車が来るみたいです。どんな車両が来るか、楽しみにしながら待つこと10分。やってきたのは三セク第一世代の車体を持つ、わ89-314でした。

桐生駅で出発を待つわたらせ渓谷鉄道わ89-314
▲桐生駅に停車中のわ89-314足尾行き

わたらせ渓谷鉄道わ89-314
▲わ89-314乗降扉

わたらせ渓谷鉄道わ89-314
▲わ89-314の車体は老朽化が目立つ

車体は経年劣化でボロボロになり、塗装はひび割れています。部品の一つ一つに、90年代の懐かしい雰囲気が漂っていました。真っ暗闇の中ですが、なんとか車体を記録に収め、長いようで短い桐生駅滞在を終えました。

両毛線をさらにひた走り、栃木で東武日光線に乗り換えます。新栃木駅に着いたところで、この日の電車移動は終了。あとは駅近くにあるという快活クラブに向かうだけです。

う~ん、この日の移動は長かった!

すでに夜遅いため、昼間は観光客でにぎわう栃木市内は、暗く静まり返っていました。ろくに明かりがない中、心細さと寒さに震えながら歩き続けます。なぜか、とち介の頭身が気になりました。あれって2頭身よりも小さいような・・・。

色々考えながら歩くこと15分。今晩の寝床に到着しました。栃木の快活クラブにはブースしかありませんが、思った以上に快適すぎて、よく眠れそうです。
~つづく~

撮影日:2021年3月18日

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