釣川の旧河道をたどってみた【第1回目】―地名と地形に残る旧河道の痕跡

宗像市民ならだれもが知っているであろう釣川。今でこそ、神湊港の東側で玄界灘にそそぎますが、古くは別の場所に河口がありました。

東郷地区から北上した釣川は、海を目前に進路を変え、大きく蛇行して江口集落の横を通過。現在地よりも1キロ東側で、玄界灘に流出していました。河道が蛇行していたのは、目の前に砂丘が控えていたからです。その砂丘を掘削したうえで、河道が直線になるよう、新河口が設けられました。

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旧河道は水田に転用されましたが、今でも川だったころの痕跡を留めています。今回はどれだけ痕跡が残っているのか、上流から旧河道を辿りました。



砂山集落(字古川)~皐月橋


今回のスタート地点に選んだのは、釣川沿いに家屋が並ぶ砂山集落。旧河道はここから伸びていました。ぱっと見では分かりにくいですが、集落の南端で現河道から分かれていたようです。ここから皐月橋までの間、現河道よりも西側を流れていました。

実際の痕跡だけでなく、地名にも河川改修の名残が見られます。たとえば、砂山集落の小字は「古川」といいますし、現在の河口部には「新川先」という小字があります。

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▲旧河道から砂山集落を眺めて(奥が上流)

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▲旧河道から皐月橋を眺めて(奥が下流・玄界灘)

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▲皐月橋付近の旧河道跡

皐月橋までの旧河道は、全体的に分かりにくいです。周囲との高低差はほぼなく、耕地の境界線で辛うじて判別できました。皐月橋(国道495号)の地点で、いったん現河道を横断して、旧河道は「道の駅むなかた」の敷地に取り込まれます。

皐月橋~道の駅むなかた~江口集落


道の駅を過ぎると、旧河道はくっきりと姿を現しました。江口集落と砂丘(さつき松原)に挟まれた、細長い水田地帯がそれです。両脇の土地はいずれも一段高く、旧河道の痕跡が色濃く残っています。

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▲道の駅むなかた付近の旧河道

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▲江口集落の裏側を流れていた旧河道

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▲旧河道は水田に転用されている

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▲いくらなんでも浅すぎない?

バシャバシャバシャ!

やけに水路が騒がしい。気になって中をのぞくと、巨大な鯉がはねていました。・・・にしては浅過ぎませんか?コイってこんなに浅い水路でも、平気で泳ぐものなんでしょうか。

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▲溜池に転用された旧河道

さらに旧河道を進むと、小さな溜池が見えてきました。もしかすると、旧河道の面影が一番残っている場所かもしれません。

この場所に川が流れていた頃、江口集落のすぐ裏手には、小舟がいくつも繋がれていたでしょう。当時の光景を思い浮かべるには、もってこいの場所でした。

旧河口を見失った


光星原公園のあたりで、旧河道は再び進路を変えて海に注いでいました。

旧河口部がどうなっているのか、さつき松原の中に入ってみることに。一帯は遊歩道になっていて、けっこう整備されているのですが、途中で旧河道を見失いました。鬱蒼とした松原を進むと、やがて波音が聞こえてきます。

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▲光星原公園にやってきた(この辺りが旧河口らしい)

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▲旧河口とは別の場所に出てきた

行きついた先には、小さな河口がありました。釣川の旧河口ではなく、玄海ゴルフクラブ方面から流れてきた、小川の流出口です。

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▲さつき松原から地島を眺めて

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▲玄海ゴルフクラブ方面から流れてきた水路の出口らしい

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▲なぜかキャンプファイヤーの跡が残っていた

ここまで来たら、旧河口の位置まで移動すべきですが、松原で蚊の襲来を受けました。少し前に屋外作業で数百匹の蚊に刺され、全身にじんましんができています。ここで刺されたら、たぶん命にかかわると判断して、旧河口部の散策に入ることなく、今回の散策を終えることに。

帰宅後、写真と地図を見ながら、河口部の位置を把握しました。今回海に出た地点よりも、数十メートルほど西にあったようです。蚊のいない時期になったら、改めて旧河口部を辿ってみたいと思います。

撮影日:2021年10月
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Comment

オトーサン

おはようこざいます!

釣川って河道の付け替えが行われていたのですね。
初めて知りました・・勉強になります(^^)

道の駅の背後、自転車道の辺りは砂丘の、所謂後背湿地だと思ってました。
釣川の付け替えはいつ頃行われたのか、どんな逸話があるのか・・
続編を楽しみにしています(^^)/

2021年10月07日(木)07:04
WRA(うら)

WRA(うら)

オトーサンさんへ

コメントありがとうございます。

釣川の河道移設に関しては、小学校の頃に総合学習で扱ったことがあるのでよく覚えています。
冨永軍次郎らによって、18世紀中ごろに大規模な河川改良が行われたそうです。

さっそく河口付近を散策してみましたが、さすがに海岸線も大規模な改修を受けているせいか、痕跡を探すのはなかなか困難でした。藪ってない冬に改めて、何らかの手掛かりがないか探したいと思います。

2021年10月11日(月)22:19