明治鉱業 明治炭鉱の炭住街をめぐる(福岡県飯塚市勢田)
筑豊の歴史を語るうえで欠かせないのが、炭鉱という存在です。
明治から昭和中期にかけて、筑豊各地に炭鉱が開設され、石炭を運搬するため鉄道網が張り巡らされました。昭和40年代を過ぎると、石油エネルギーへの転換を受けて次々に閉山。その跡地は住宅地や荒野に変わりました。
しかし、現在でも炭鉱の名残は各地に残っています。その一つが、今回お届けする明治炭鉱の炭住街です。その場所は福岡県飯塚市の北部、旧頴田町の中にあります。


今回スタート地点に選んだのは、西鉄バスの明治坑バス停。このように、閉山から数十年を経た今でも、明治炭鉱の名残は地名やバス停名に残っています。
現在いる場所は、小竹町と北九州市を結ぶ県道62号線の真上です。もっとも、北九州とは言いましたが、道自体は福智町の山中で途切れています。いわゆる分断県道です。そんな62号線を離れて、これから炭住街(明治地区)に入っていきます。

▲明治坑バス停がある県道62号線

県道を外れて集落に入ると、よくある農村集落とは雰囲気が違うのを感じました。農機具を収めた納屋はないし、家の形は住宅街のそれです。

さらに進むと、見えてきました。板張りの壁に細長い形。20年前までは筑豊のどこに行っても見ることができた、炭住街長屋の風景です。このほかにも、嘉麻市旧稲築町に大規模な炭住街が残っています。

明治地区の炭住街は大きく3つ(東・南・北)に分かれています。今回散策したのは、そのうち東の炭住街にあたり、他2地区にも炭住が残っているようです。航空写真で一帯を見てみると、長屋が整然と並んでいる様子が分かるはず。

東の炭住街を離れ、少し大きな道に出ました。シャッターを下ろした酒屋が目の前に見えます。日本酒の古い自販機が壊れたまま、そこに残っていました。

▲日本酒の古い自販機

続いては階段を上がり、一段高い場所に移動します。そこから倉谷池に沿って進み、旧鉱業所の前に着いたらゴールです。

階段の頂上から振り返ると、炭住街がよく見えました。

▲倉谷池から明治炭鉱旧鉱業所を眺めて
階段を抜けてさらに進むと、右手に倉谷池が見えてきました。この池を越えた先に、ゴール地点の旧鉱業所建屋があります。建屋の錆びた外観は、遠くからでもよく見えました。

▲明治鉱業明治炭鉱跡に到着!巻揚機の台座が残る
倉谷池沿いを進むと、やがて2車線路にぶち当たりました。木浦岐集落と小峠集落を結ぶ、アップダウンの激しい道です。通ったことのある人ならわかるはず。あまりにも急坂すぎて、ジェットコースター並みの恐怖感があります。そらそうよ。谷を突っ切る形で、無理やり直線路を引いているのですから。
この道路を越えた先には、明治炭鉱跡が広がっていました。閉山後に整地され、さらに盛り土もされたことで、痕跡は大きく失われています。しかし、巻揚機台座と鉱業所建屋だけは解体されず、炭鉱がこの地にあったことを今に伝えています。

▲明治炭鉱旧鉱業所建屋を眺めて(側面部)

▲鉱業所の入口軒先には明治鉱業社紋が残る
鉱業所建屋の前に着いたところで、明治炭鉱の炭住街めぐりを終えました。今回の散策範囲は全体のごく僅かにすぎず、他にも多くの長屋が残っています。また日を改めて、散策できればと考えています。
撮影日:2021年10月9日
明治から昭和中期にかけて、筑豊各地に炭鉱が開設され、石炭を運搬するため鉄道網が張り巡らされました。昭和40年代を過ぎると、石油エネルギーへの転換を受けて次々に閉山。その跡地は住宅地や荒野に変わりました。
しかし、現在でも炭鉱の名残は各地に残っています。その一つが、今回お届けする明治炭鉱の炭住街です。その場所は福岡県飯塚市の北部、旧頴田町の中にあります。


今回スタート地点に選んだのは、西鉄バスの明治坑バス停。このように、閉山から数十年を経た今でも、明治炭鉱の名残は地名やバス停名に残っています。
現在いる場所は、小竹町と北九州市を結ぶ県道62号線の真上です。もっとも、北九州とは言いましたが、道自体は福智町の山中で途切れています。いわゆる分断県道です。そんな62号線を離れて、これから炭住街(明治地区)に入っていきます。

▲明治坑バス停がある県道62号線

県道を外れて集落に入ると、よくある農村集落とは雰囲気が違うのを感じました。農機具を収めた納屋はないし、家の形は住宅街のそれです。

さらに進むと、見えてきました。板張りの壁に細長い形。20年前までは筑豊のどこに行っても見ることができた、炭住街長屋の風景です。このほかにも、嘉麻市旧稲築町に大規模な炭住街が残っています。

明治地区の炭住街は大きく3つ(東・南・北)に分かれています。今回散策したのは、そのうち東の炭住街にあたり、他2地区にも炭住が残っているようです。航空写真で一帯を見てみると、長屋が整然と並んでいる様子が分かるはず。

東の炭住街を離れ、少し大きな道に出ました。シャッターを下ろした酒屋が目の前に見えます。日本酒の古い自販機が壊れたまま、そこに残っていました。

▲日本酒の古い自販機

続いては階段を上がり、一段高い場所に移動します。そこから倉谷池に沿って進み、旧鉱業所の前に着いたらゴールです。

階段の頂上から振り返ると、炭住街がよく見えました。

▲倉谷池から明治炭鉱旧鉱業所を眺めて
階段を抜けてさらに進むと、右手に倉谷池が見えてきました。この池を越えた先に、ゴール地点の旧鉱業所建屋があります。建屋の錆びた外観は、遠くからでもよく見えました。

▲明治鉱業明治炭鉱跡に到着!巻揚機の台座が残る
倉谷池沿いを進むと、やがて2車線路にぶち当たりました。木浦岐集落と小峠集落を結ぶ、アップダウンの激しい道です。通ったことのある人ならわかるはず。あまりにも急坂すぎて、ジェットコースター並みの恐怖感があります。そらそうよ。谷を突っ切る形で、無理やり直線路を引いているのですから。
この道路を越えた先には、明治炭鉱跡が広がっていました。閉山後に整地され、さらに盛り土もされたことで、痕跡は大きく失われています。しかし、巻揚機台座と鉱業所建屋だけは解体されず、炭鉱がこの地にあったことを今に伝えています。

▲明治炭鉱旧鉱業所建屋を眺めて(側面部)

▲鉱業所の入口軒先には明治鉱業社紋が残る
鉱業所建屋の前に着いたところで、明治炭鉱の炭住街めぐりを終えました。今回の散策範囲は全体のごく僅かにすぎず、他にも多くの長屋が残っています。また日を改めて、散策できればと考えています。
撮影日:2021年10月9日
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