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岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第2回目)【5/10輪荒~チカヒルウシナイ】

樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。2回目となる今回は、岡本一行がシラオロ(白浦)に到着したところから始まります。

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▲今回読む箇所の移動経路(赤矢印)
チカヒルウシナイは突岨のやや下あたり


4月9日にシラオロ(白浦)入りした岡本一行は、ここに長期間とどまり、アイヌ人同行者を雇いました。異言語が飛び交う中を巡検するわけですから、現地事情に詳しい人間を同行させることが必要不可欠です。彼らは荷物運搬や船の操縦だけでなく、ときには通訳として数々の交渉を担ったはず。

そして5月10日。シラオロに近い輪荒の地から、岡本一行は旅立ちました。ここからが本格的な樺太巡検と言ってもいいでしょう。

5人のアイヌを雇い同行せしむ

五月初十日、晴て南風あり。

輪荒(ワアレ)を発す。

此の行 強壮なる土人を募り、五人を得る。

曰く植吉と。白漘の人なり。邑長の為めに口才あり。定役水上某 余に勧めて伴なひ行かしむ。

曰く刀破袁(トハオ)と。纏間(マトマナイ)の人なり。嘗て在住の士 栗山太平に従て奥土を経歴し縫江に到る者なり。

曰く周吉と。安居(アイ)の人なり。敏捷にして炊爨を善くす。

曰く気志喩理駕(ケシユリカ)と。

曰く愛古呂佐■(エロロサツテ)と。皆栄浜の人なり。彊力にして労に服す。

■解説

5月10日に関する記述は、まずアイヌ同行者5名の紹介から始まります。

シラオロ出身の植吉は、口の巧さから酋長に重用されおり、それを知った水上重太夫が岡本に推薦する形で、同行することになりました。

樺太の事情を知っている人物も外せません。纏間出身のトハオは栗山太平に従い、北樺太の縫江(≒ノグリキ)まで到達した実績を持ちます。

安居出身の周吉はフットワークが軽く、さらに炊事が得意という、長旅の同行者にはもってこいの人物といえましょう。宿泊地での生活時に活躍したはず。

栄浜出身のケシユリカ・エロロサッテは忍耐力があり、力仕事に従事しました。

松前商人の船に装備品を載せて敷香に送ってもらう

会~(たまたま)松前商人伊達某の船も亦た、まさに敷香に赴かんとするに、水上某等 議して粮食雑物を其の舟に寄載せんとす。

余 二人をして独木舟に駕し先行せしめ、余 不便を以て辞す。

■解説

偶然にも、松前商人伊達氏の船が敷香への出発を待っていました。装備品や食料の一部を船に乗せ、先に敷香まで送り届けてもらうことに。

巨大な樺太を一周するわけですから、装備品はそれなりの量だったでしょう。その一部から解放されたことで、ずいぶん楽になったかもしれません。

濃霧と大しけに遭う

(判別できない文字は■で表示しています)

更に蝦夷三人を僦(やと)ひ、独木舟二隻にて行きて里許、風 東北より蓬蓬然とし至る。

大霧 忽ち作(おこ)りて咫尺弁ぜず、舟 飄蕩して覆らんと欲す。

余 嘗て凌牀の此を過ぎしに氷碎け水に墜ち、幾(ほと)んど■せんとするは、再次今又た此の厄に逢ふ。

因て罵て曰く「余 境界を経略し、以て国家万世の基を立てんと欲す。汝悪神 何為(なす)れぞ屡しば志士を窘(くるし)むるや!」と。

午牌鮇拾間(チカヒルウシナイ)に到る。

風雨 交(こも)ごも至る。

波涛 岸を拍ちて鞺鞳 声有り。

伝九郎曰く「已に地獄を脱す。唯だ風波の難を免るのみならずや。明日の晴、卜すべし。」と。

是の夜 土人の廬に宿す。

■解説

キャラクター紹介はありませんが、さらにアイヌを3人雇い、2隻の丸木舟で進むこと数里。北東風が吹き荒れてきました。おまけに濃霧まで現れ、たちまち舟は転覆しそうになります。

ここで岡本はふと、湖氷が割れて水中に落下したときを思い出しました。「日本のために強い志を持つ人間に対して、なぜこうも邪魔ばかりするんだ!」と怒りつつも、なんとか地獄を乗り越え、正午、チカヒルウシナイに到着します。

悪天候は収まる気配を見せず、この日は同地で一泊することに。西村は「明日はしけが収まり、天気も良くなるように願おう」と口にしました。

このチカヒルウシナイは、のちの近幌(帆寄村)にあたる地名です。出発地の輪荒からはそれほど離れておらず、5月10日の旅路が短距離に終わったことが見て取れます。それだけ悪天候だったのでしょう。


次回はチカヒルウシナイから敷香に到るまでの数日間を読み進めたいと思います。いよいよアイヌ以外の民族も登場しますよ!

(参考文献)
樺太敷香時報社編『昭和十四年 樺太年鑑』、樺太敷香時報社、1939年
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