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岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第7回目)【閏6/1茨冨間~真知床岬】

樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。7回目となる今回は、岡本一行が北知床半島の先端部に向かうシーンから始めていきます。

細くて長い半島を延々と進み、ようやく先端部に到達しました。

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▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)

6/1茨冨間~真知床岬(野狸)


閏月初一日、天陰なり。

志那古奴に命じ前導せしめ、行くこと一里。南風 腥気を送る。

衆皆な曰く「海豹なり」と。忽ち一頭巨大の者を見る。志那古奴、伝九郎に教え、舟を捨てて陸し行く。

且つ之を銃せしめ、能く其の喉に中る者三つ。

然るに皆な一踔して海に向ひて析(わか)る。

香部(カバシベ)岬に到るに及ては、長さ三四町、広さ一町許なり。

■ 海豹の巣窟を為す。

起つ者有り、臥す者有り、跳踉して相ひ戯る者有り。

其の声の万状、方物すべからず。

志那古奴等、一槍の長さ十余丈ばかりなるを持し、蒲伏し其の傍に出て、まさに之を刺さんとす。

遅面時を移す。伝九郎 先ず之を銃すも死せず。志那古奴等も亦た、獲る所無し。

岬頭顧瞻すれば一湖有り、南より北の里許、水清洌にして飲むべし。

西方洋中の一線に礁有り。

岬頭より斜めに北し漸く遠く、潮路 河のごとし。

東南二三里の外に一小嶌を瞰(のぞ)む。囲二里ばかり。跡谷嶌と為す。

志那古奴曰く、「北面巌石にして南面沙浜なり。もと樹木多し。魯人 此に来りしより、斬伐して殆ど尽くす。」と。

余 夷等の未だ嘗て嶌に抵らず、能く其の地勢を知るを怪む。

蓋し春月の氷上に獣を刺すに、氷裂る毎に漂流して嶌傍に至るも、之を忌て、敢て語らざるなり。

申牌、真知床を過ぎ、北行すること四五町許。乃ち宿す。

香部より東北、知床に到る。地形 弓のごとし。

二里にして近し岸下に残雪あり。

落潮の知床に触れて面るに会ふ。

波 舟を撼(うご)かし、行くこと便ならず。

遠く半里の外より過ぎて、まさに知床に抵らんとす。

志那古奴曰く、「敢て喧(やかまし)くすれるなかれ。」と。

行く且つ之を瞰る。巌石の西より東、凡そ七八町ばかり、巌下十歩なり。外皆な礁石なり。

鳬鴎多く、巌穴の間に巣(すく)ふ。

母雛の大小群を成し、余地に留まらず、舟を掠めて四散すること幾千万尾を知らず。声甚だ囂(かまびす)し。

両大石の崛起交錯すること、犬の相ひ噬(か)むがごとくなる者有り。

此より東北の暗礁 一線連綿なり。

半里ばかりにして、まさに断礁の間より舟を通さんとす。志那古奴 其の不可を陳す。

乃ち五六町の外より直ぐ過ぐ。遂に野狸(ノタヌキ)に到る。

邦人の伐る所の材木を得、之を焚く。

植吉 之を識りて曰く、「此は是れ弁財の載する所なり。」と。

周吉も亦た曰く、「此は是れ蒔子谷の出す所なり。」と。


詩有り、見る所を賦め曰く、

靺鞨知る何れの処ぞ
赤狄捜るべからず
沓渺天地濶し
東南唯だ一洲
浮雲海角を蔽し
濔望人を愁へしむ
尤も聞く舟楫を通ずるを
濟(わた)らんと欲すも自由ならず
遠礁左右を分つ
宛(あたか)も池中に浮くがごとし
翻瀾しばらく論ずる無し
須らく大風の秋を戒むべし


維(こ)れ昔探討の者
周覧本州に限る
世を挙げ皆な懦弱なり
誰か此の間に向て游ばん
今吾れ此の土に来り
浩嘆す廟謨の婾するを
豈に忍ばんや千里の土
委棄荒陬に付するに
點虜巧みに蚕食し
遺民未だ柔んじ易からず
単身大胆を提し
素志何れの時にか酬ひん

■解説

旧暦5月は付きの日数が年によって異なり、30日ある場合は大月、29日の場合は小月と呼ばれます。今回の場合は小月にあたるので、5月は29日で終わりました。

6月に入り、岡本一行は北知床半島の先端部に入ろうとしています。好天とはいえない天気ですが、それでも先に進みました。

出発してから一里ほど進むと、やがて南風とともに生臭さを感じます。どうやらアザラシがいるらしく、ほどなくして一頭を見つけました。岡本と伝九郎は船を降りて陸伝いに進み、アザラシを銃で撃たせると3頭に命中し、銃声を聞くや、アザラシの群れはたちまち姿をくらませました。

北知床半島の先端部をなす香部岬は、アザラシの群生地になっています。伝九郎はまたしても銃で狩りを試みますが、うまくいきません。志那古奴らに命じ、槍で狩りをさせますが、やはり獲れないままでした。

北知床半島には小さな湖が点在していますが、やはり岬の先端部にもあります。飲用できる水質でした。

沖合に目をやると、「跡谷嶌」という小島が浮かんでいました。現在でいうところの海豹島です。志那古奴が小島について説明しました。

「北岸は岩がちで、南岸は砂浜をなしています。島内には元々、木が生い茂っていましたが、ロシア人がほぼ全て伐採しました。」と。

遠友岬(香部)から北東に進むと、ついに半島の最先端・真知床(北知床岬)に到達しました。敷香から香部岬までの海岸線も弓状ですが、先端部も弓状の海岸線になっているのが、北知床半島の特徴です。

この時期になってもなお、場所によっては残雪があるというのが凄い。それだけ気候が冷涼なのでしょう。千島列島中部よりも寒冷だと聞いています。

北知床岬に到達したところで、志那古奴は「静かに」と言いました。岬周辺は険しい岩に覆われ、その中には鳬鴎(カモメ)の巣も見られます。

さらに進むと、野狸の地に到達しました。日本人が伐ったという薪を得て、これを焚火に用いることに。植吉はこれを「弁財船で運搬したものだ」と、周吉も「蒔子谷(馬群潭)で伐採されたものだ」と言いました。

この日の分は漢詩で〆ています。前後関係からして、おそらく五言排律2首分でしょう。一つは巡検で見たところの感想を、もう一つは岡本自身の志と決意を認めたものです。


北知床岬を過ぎたところで、第7回目の解説は終わりです。しばらくの間、進みそうでなかなか進まないという、じれったい内容が続くでしょう。

縫江はまだ先か...。
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