下川端商店街の痕跡を発見!「寿通り」残存部をたどる(福岡市博多区)
福岡市博多区の下川端町一帯にはかつて、「下川端商店街」と呼ばれるアーケード式商店街が存在しました。厳密にいうと、下川端商店街・寿通り商店街の2つに分かれており、互いに交差するように延びていました。
1990年代に入ると、下川端町一帯の区画整理が行われ、それにともない2つの商店街は消滅。その跡地には博多リバレインと博多座が建ちました。
こうして、下川端商店街・寿通り商店街は跡形もなく消えたかと思いきや、しぶとく残っていました。その距離わずか60メートル。アーケードはとうに取り払われ、リバージュ通りに名を改めていますが、かつては寿通り商店街の一部分でした。

▲博多座側から寿通り残存部を一望して
寿通りの残存部は、博多座の片隅にひっそり延びていました。あまりにも地味な通りですが、他の路地とは明らかに雰囲気が異なります。

▲寿通り残存部全景
リバージュ通りにはブロック舗装の車道・歩道が整備されています。全蓋式アーケードこそ消えましたが、かろうじて商店街の風格を留めていました。
休日でも通行人は少なく、ひっそりと静まり返っています。そんな60メートルの路地も、30年前までは多くの買い物客でにぎわったのでしょうか。

▲アーケード時代の建築物が残っている
周囲を見渡すと、一風変わった形状の建物が目につきました。その形は明らかにアーケード商店街特有のものです。その多くが立て替えられ、今や数棟しか残っていませんが、寿通りの「生き証人」として立ち続けています。

▲アーケード時代の古い建築物を裏側から眺めて
厳密にいうと、60メートルの残存区間は下川端商店街ではありません。しかし、かつて下川端と一体化していたことには変わりなく、区画整理で消滅したほうも、ここと同じ建築様式だったことを想像するのは容易いことです。
90年代まで残っていたとは思えないほど、下川端・寿通り商店街の記録はあまりネット上に出回っていません。僕自身、歩いた記憶は僅かにあるものの、当然写真は残しておらず、こうして跡地を見るだけで精一杯です。
消えゆく商店街の風景を目に焼き付け、昼下がりの下川端を後にしました。
撮影日:2022年5月3日
1990年代に入ると、下川端町一帯の区画整理が行われ、それにともない2つの商店街は消滅。その跡地には博多リバレインと博多座が建ちました。
こうして、下川端商店街・寿通り商店街は跡形もなく消えたかと思いきや、しぶとく残っていました。その距離わずか60メートル。アーケードはとうに取り払われ、リバージュ通りに名を改めていますが、かつては寿通り商店街の一部分でした。

▲博多座側から寿通り残存部を一望して
寿通りの残存部は、博多座の片隅にひっそり延びていました。あまりにも地味な通りですが、他の路地とは明らかに雰囲気が異なります。

▲寿通り残存部全景
リバージュ通りにはブロック舗装の車道・歩道が整備されています。全蓋式アーケードこそ消えましたが、かろうじて商店街の風格を留めていました。
休日でも通行人は少なく、ひっそりと静まり返っています。そんな60メートルの路地も、30年前までは多くの買い物客でにぎわったのでしょうか。

▲アーケード時代の建築物が残っている
周囲を見渡すと、一風変わった形状の建物が目につきました。その形は明らかにアーケード商店街特有のものです。その多くが立て替えられ、今や数棟しか残っていませんが、寿通りの「生き証人」として立ち続けています。

▲アーケード時代の古い建築物を裏側から眺めて
厳密にいうと、60メートルの残存区間は下川端商店街ではありません。しかし、かつて下川端と一体化していたことには変わりなく、区画整理で消滅したほうも、ここと同じ建築様式だったことを想像するのは容易いことです。
90年代まで残っていたとは思えないほど、下川端・寿通り商店街の記録はあまりネット上に出回っていません。僕自身、歩いた記憶は僅かにあるものの、当然写真は残しておらず、こうして跡地を見るだけで精一杯です。
消えゆく商店街の風景を目に焼き付け、昼下がりの下川端を後にしました。
撮影日:2022年5月3日
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