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岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第13回目)【閏6/23縫鵜~28丁母木】

樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。13回目となる今回は、岡本一行が縫鵜を出発するシーンから読み進めていきます。

ついに北緯50度を越え、アイヌ圏の最果てに到達しました。この辺りの地形は険しく、海岸線の近くにまで山が迫っています。過酷な地形が続く中、岡本一行はどのようにして航行するのでしょうか。

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▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)

6/23 縫鵜~植子谷

二十三日、大霧ありて衣袂皆な濡る。之を冒して行く。

海畔皆な山なり。処処崩潰して枯木随て墜ち、或は立ちて或は僵(たお)るに、頗る奇観と為す。

稍く東して且つ北すること五里ばかり、一大岬を得たり。崖峭し。

巌窟の高さ五、六丈ばかり。水際の大石の角立するは八、九なり。

其の下に竅穴多し。一石の尤も巨大なるは、遠きより之を見るに、竅中の窈■怪詭にして、潮水激噴すること、雷霆の白雨を駆くるがごとし。偪視すべからず。

此より北、怪石紛錯するに、争て奇状と為す。

又た北すれば、岬尽て湾と為る。

湾中頗る濶(ひろ)し。以て繋泊し風浪を避くるべし。憾むは両傍に礁多きのみ。

岬東海面の大石の屹立するは、三、四、亦た奇観と為す。

山勢坼(さ)く、河流有りて深さ二、三尺ばかり。植子谷(ウエンコタン)と為す。

猶ほ蝦夷の地名に係る。縫鵜より此に至るまで、凡そ七里と云。

■解説

この日は朝から濃霧が立ち込めています。あまりの霧に衣服まで湿っていました。それでも舟を進め、ひたすら北を目指します。

一帯の地形はかなり険しく、山が海岸線のすぐそばに迫っています。その中には崩れた場所もあって、土砂とともに墜落した樹木が、奇妙な景色を作り上げていました。

やがて立派な岬が見えてきます。険しい崖がそびえ立ち、その中には岩窟もあります。周囲の海面からは岩塊も突き出していました。海面近くの小穴からは、時おり潮が吹きだします。かなりの絶景に違いありません。

この岬について調べてみましたが、名前すらついていない、この辺りでは比較的小さな岬のようです。すぐ北側をウェンゲリ川(Vengeri)が、少し離れた南側を石油川(Kirkyni)が流れています。

岬を通過すると、植子谷という場所に到達しました。周囲は湾になっており、河が流出しています。奇岩に囲まれているようです。

さて、この植子谷は「うえんこたん」という名からも分かるように、アイヌ語由来の地名です。あまりにも分かりやすく、アイヌ語素人の僕でも分かりました。「悪い村」という意味です。地形が悪いのか、それとも水質が悪いのか...。

もし位置が正しければ、「植子谷湾」の南には先ほどの岬が、北側にも大きな岬(Ratmanova)が聳えています。

6/24~6/27 植子谷で足止めを食らう

二十四日、北風あり。微雨の寒きこと甚だし。


二十五日、北風寒を送る。栗烈骨に泌す。

竟日、炉を擁し、薪を添て温を取り、葈(いらくさ)皮を以て緍と為し、衣を縫ふ。

因て思ふ、蝦夷の所謂「破異(ハイ)」は、即ち葈なり。

夷中以て衣を製するに、潔白なること観るべし。

もし此を以て交易せば、四方則ちその利、豈に絹・綿・諸物の下に出でんや。

農家は説く、「凡そ土の五穀を生ぜざるは、種するに葛もしくは瓜・姜の類を以てすれば、方一里ごとに歳々若干の万金を収る。況や芋・麻は民生日用の具にして、之を製するに、丘山のごときも亦た售れざるの患無きや」と。


二十六日、東南の風あり。

霧雨時に来たり、時に止み、間に日光を漏す。寒気殊に甚だし。


二十七日、陰晴なること昨のごとし。

是の夜炬を燃し、河中を上下して魚を刺すに、鱒を穫たり。

■解説

断崖に囲まれたオアシスというべき植子谷で、悪天候のため、数日の足止めを余儀なくされました。

旧暦6月(閏月)とはいえ、さすがに樺太北部ということもあって、北風が吹けばそこそこ寒いようです。一行は薪を火にくべ、麻布に似たイラクサ布で寒さしのぎの上着を作りました。

結局、植子谷で4日の足止めを余儀なくされ、その間に川で鱒を取ることもありました。

6/28 海水で荷を濡らし丁母木に到達する

二十八日、南風ありて澄霽なり。

早に河中より発せんとするも浅瀬の舟膠す。

河水、潮と闘激坌躍するに、舟殆ど覆らんとす。

愛呂呂佐豆■、其の圧する所と為り、後顧して声を挙ぐ。

余羅針盤を失ひ、周吉酒壺を堕す。百物淋漉に余無く、之を乾かす。

時を移し、乃ち亦た行く。乱石海面に離立す。

凡そ二里ばかりに一石有り。穹隆なること屋のごとし。

鳬鴎、巣を構ふに、復た隙地無し。

海豹多く、石辺に偃曝す。首を矯げて四顧す。状態甚だ鈍なり。

伝九郎、之を銃するに三発三中す。乃ち去る。

仰ぎ視るに、山雲の澄靄、人を撩(おさ)めんと欲す。半嶺より上、五葉松多し。

遂に西して折れ、又た北に向ひて走る。

海を距ること二、三里の山、尤も高く、澗道の積雪皚然たり。

山下より海に至るは、尽く是れ平陸なり。風景、南方と■かに別なり。

指顧して行く。

三里ばかりに二河有りて肉分夷の魚を刺すを見る。

之に就きて地名及び戸の有無を問ふに、南嚮し海豹の啼く状を為し、過ぎし所を前に指て曰く、鵞柴(ガシバ)と。之を指て曰く、丁母木(チャモキ)と。因て命じ導き帰らしむ。

戸二つ有りて、男女六、七口、皆な弁髪す。身に銀環を穿ち、率て水豹の皮を着、間に唐木綿の類を服す。敷香に在る者と異なるは無し。

戸を造るに木を用ひ、方に斲(けず)り、之を累(かさ)ぬること数尺。広さ約五、六間、長さ之に称ふ。中央に炉有り。上に■皮を覆ふ。

之を敷香にて見る所に比すれば、頗る堅固と為す。

夷童炉を窺ひ、煨(うずみび)せる延胡索を探り、之を食はしむ。

帰の比(ころおい)に又た齎し、来て贈る。因て与ふるに米及び煙草を以てす。

煙草の土に落ちたるは、童に命じて之を拾はしむるに、微塵を遺する無し。

此処四方二、三里、山有りて横立すること屏障のごとし。

東北の岡陵頗る高く、中央平昿にして開豁なり。

土性極めて膏腴にして耕すべし。

■解説

ついに南風・晴れという良コンディションを迎え、一行は植子谷を発ちました。

出発早々、河口部でトラブルが起きます。川の水流とオホーツク海の波がぶつかり、舟がその中で「揉み洗い」になったのです。エロロサッテは叫びました。岡本は羅針盤を失い、周吉は酒壺を堕としました。

結局、荷物を乾かす羽目になり、出発は予定よりも遅れました。海岸沿いに岩が立ち並び、そこにカモメ・アザラシが生息しています。ここでもやはり、西村はアザラシを銃で撃ちました。

しばらく進むと、あれだけ海岸に迫っていた山が後退し、平地が見えてきました。漁をしていたニブフに地名を聞くと、現在地を丁母木といい、先ほど通って来た場所を指して、鵞柴といいました。ここで登場する「二河」とはすなわち、Nampi川とChamgu川のことでしょう。

ここで地図を確認します。丁母木の場所はすぐに分かりました。つい先ほど言及したチャムグ川(Chamgu)の河口部です。一方の鵞柴は、露名:delil'-de-la-kroyyera岬のすぐ南側ではないかと考えています。

丁母木に着いたところで、岡本は村民と住居を観察しました。彼らは敷香のニブフと似た格好をしており、アザラシ皮の衣をまとい、唐木綿の服を着こんでいます。髪型は弁髪でした。木材を重ねた頑丈な家に住んでいます。

子供がエンゴサクの煮たものを取り出し、一行にふるまいました。このように、樺太先住民の食文化もよく記されているのが、窮北日誌の特に面白いところです。岡本は村人たちに米・煙草を与えました。


...といったところで、13回目の解説を終えたいと思います。アイヌ圏を出て、いよいよ「辺境色」が強まりました。北樺太東岸部には、ニブフとウィルタ、両民族が混住しています。

現時点で弁連戸まで読み進めていますが、かなり内容が濃いです。
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