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岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第14回目)【閏6/29丁母木~30女侶区隖】

樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。14回目となる今回は、岡本一行が丁母木を出発するシーンから読み進めていきます。

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▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)

6/29 丁母木~盧碁隖(呂郷沼)

二十九日、朗晴なること昨のごとし。

行くに長崖の、二里の外に連亘するを見る。高さ三丈ばかり。

一河有り、甚だ深からず。此より北、土地平衍・極目なること際無し。唯だ落葉松を見るのみ。

行くこと八里ばかりに湖有りて海に注ぐ。

肉分夷の沙上に立つを見る。柁を転じて之に就く。

夷等湖口に趨(おもむ)き舟を導く。

夷中、人の至ると聞けば則ち競ひ出て之を観る。

女子は則ち断岡上に踞し、敢て近づかず。

岡上に九家有るを盧碁隖(ロゴオ)と為し、北は湖に枕(のぞ)む。

湖北更に一家有りて相ひ望む。

湖の幅員里許なり。中に二嶼有りて樹木叢生す。

風景畫くがごとし。

湖南の山脉一転す。婉秀にして愛すべし。

申牌、戸を行くも甚だ腥穢にして、前に見る所と頓(とみ)に殊なり。

戸傍に罾を晒す。皆な葈皮の製する所にして頗る強靭なり。

鰊を見る。湖中に獲る所と云。

■解説

出発後、海岸沿いを見ると、7~8キロにわたり、高さ10メートル程度の崖が続いています。縫鵜~植子谷の海岸線ほど険しくはなく、砂浜が続いているようです。

ある川を一つ過ぎると、再び開けてきました。砂浜を挟んで奥に湖があります。ここでニブフの村人を見つけ、彼らに誘導されて上陸。盧碁隖の村に入りました。

ここでついに、ニブフ語で「村」を示す「隖」の登場です。以後頻繁に出てくるので、暇な方は数えてみてください。

盧碁隖の位置はちょうど湖口南岸部にあたり、地図によってはMoskalvoやマスカリウォと表記されることもあります。『大日本地名辞書』には呂郷と記されており、さらに『北海道風土記』を引用して、湖が文献上で呂郷沼と記されたことも示されています。その一方で、ロシア人はこの呂郷沼を湖ではなく、湾として認識しているのか、ロシア語での表記はZaliv Lunskiyです。

上陸後、岡本は村人の住居をたずねました。生臭さが漂い、入口には麻製の漁網が置かれています。湖で獲れたという鰊もありました。

6/30 盧碁隖~女侶区隖(弥勒翁湖)

三十日、頗る暑し。

行くこと十二、三里。沙渚平遠なり。蓬蒿、芽を抽(ぬき)んず。

二、三里の外より之を望むに、水天一色にして涯涘無きがごとし。

其の間、断岡の二、三処有りて、岡上に往往として五葉松を生す。

十二、三里中、一滴の水を見ず。

湖有りて海に注ぐ。広さ約(おおよ)そ三百間なり。

南岸の草茆、稀疎なるも、北岸に五葉松を生ず。

湖勢、東南に漸く広く、濶(ひろ)さ六、七里ばかり。海を距ること二、三町に過ぎず。

中に数小嶼有り、鮭・鱒・水豹多く、間に鯨鯢有り。

肉分夷の八宇、小六子夷の七宇を見る。是を女侶区隖(メロクオ)と為す。

南望すること数里、屏嶂横立し、紫翠掩映す。真に神仙の境中を往くがごとし。

まさに陸せんとするに、夷等の湖口に立つもの、男女六、七人、奔り来て舟を扶く。

是より前、周吉舟を舎てて旋す。

湖傍の戸を見て之に赴く。

夷等、両独木舟に駕し、倶に至る。

雑還諠譁なるに、之を逐すも去らず。

茶江の夷、志理玖那(シリクナ)と云ふ。頗る蝦夷語に達す。之に地いはしむ。

始めは則ち曰く、「某より已に北するもの、吾、之を知らず」と。

再び至るに及ては則ち曰く、「極北の尽頭の処、潮水沸騰し、舟常に之が為に覆没す」と。蓋し植吉之を教へ、行を沮するなり。

■解説

いよいよ暑くなってきました。海岸沿いを進むこと40キロ。ほぼ平坦な海岸線が続き、ヨモギが生えています。河川の流出はない模様。

やがて湖口に到達しました。湖中には鮭・鱒・アザラシが多く、さらにはクジラも泳いでいます。この地を女侶区隖といい、ニブフ・ウィルタ両民族が混住しているようです。村人たちが駆け寄り、一行の舟を曳いて上陸を手助けしました。先に周吉が上陸して、村人に到着を知らせていたようです。

シリクナという、アイヌ語を解する住民がいました。彼に樺太北部の事情を聞くと、「北の最果てには海水の沸騰する場所があり、そこを通る船は沈没する」と答えました。これを聞いた植吉は尻込みするのでした...。

話を女侶区隖の地理に戻します。ここまで来ると縫江はもう間近と言ってもよく、すぐ北側は対毛川(Tym)の河口部です。『大日本地名辞書』には弥勒翁(みろくお)弥勒翁湾と表記されています。


...といったところで、14回目の解説を終えたいと思います。

次回、ついに縫江到達です!真知床編が長かっただけに、どれだけかかるのかと不安でしたが、50度線を過ぎればあっという間でした。

(参考文献)
吉田東伍『大日本地名辞書』続編、冨山房、1909年
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