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辛国神社(大阪府藤井寺市)―大連・物部氏ゆかりの鎮守

今回は大阪府藤井寺市にある辛国神社をめぐります。

由緒書きによれば、5~6世紀ころに創建されたと伝わる古い神社です。蘇我氏に圧倒されるまでの間、畿内に一大勢力を築いた豪族・物部氏によって創建され、のちに同氏の氏神となりました。

辛国神社由緒

御祭神
  • 饒速日命
  • 天児屋根命
  • 素戔嗚命
  • 市杵島姫命
  • 品陀別命


当社は、五世紀後期 第二十一代雄略天皇の御代に創建された式内社であります。

日本書紀に「雄略天皇十三年春三月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」とあり、古代餌香長野邑の地とされるこの藤井寺の地に物部目大連が、その祖神 饒速日命を奉斎したのが社の始まりです。この後、六世紀後半物部氏宗家の守屋大連の没後、一族の物部辛国連が、氏神として祭祀したことにより、辛国神社と称するようになりました。

また、平安時代に入り、六国史の三代実録には「清和天皇貞観九年二月二十六日、河内国志紀郡辛国神を官社に預る」とあり、朝廷の神祇官の神名帳に記載され、平安時代には格式ある官社に列せられています。その後室町時代に、河内守守護職の畠山基国氏が、社領二百国を寄進の上社頭を整備し、奈良春日大社から天児屋根命を勧請合祀しました。以後、庶民の信仰を集め、江戸時代の古文書や絵図には、岡村氏神・春日大明神と書かれており、江戸時代後期まで「春日大明神」「春日社」と称せられていました。

そして時代が明治へと移る頃、復古情勢の中、古来の名称である「辛国神社」に改称され、さらに明治四十一年には旧藤井寺村の村社であった長野神社のご祭神 素戔嗚命を合祀して現在に至っております。

辛国神社の祭事
  • 歳旦祭 一月一日
  • 節分祭 節分の日
  • 春日稲荷祭 春分の日
  • 水無月の大祓式 六月三十日
  • 夏祭 七月十七日
  • 御例祭 十月十七日
  • 月次祭 毎月一日

(境内看板より)


大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲一の鳥居

神社入口には木製の両部鳥居が鎮座しています。このタイプは宮島の厳島神社など、一部神社でしか見られないため貴重です。歴史ある鎮守としての風格を持っています。

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲宮島と同じ両部鳥居

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲二の鳥居

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲手水舎

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲下乗札

長い参道を抜けると、正面には社殿が、右手には手水舎・末社、左手には社務所があります。右手奥の通路に進むと、そのまま神社裏手に抜けることが可能です。

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲社務所

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲社殿

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲春日稲荷社鳥居

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲春日天満宮

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲斎館

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲辛国池田趾

大阪府藤井寺市に鎮座する辛国神社
▲裏口鳥居

撮影日:2022年10月21日
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