ブログヘッダー画像
(当ブログにはプロモーションが含まれています)

遺構残る山城「烏帽子形城址」にのぼる(大阪府河内長野市)

度重なる戦乱に見舞われた近畿地方には、今も多くの山城が眠っています。今回はその一つ、大阪府河内長野市にある「烏帽子形城」にやってきました。

元弘の頃、楠木正成が上赤坂城の支城として築いたのがその起源です。当初は南朝方の要塞となり、16世紀まで山城としての役目を担いました。現在、城址は多くの遺構を残したまま、歴史公園として整備されています。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲黄色線が今回のルート

今回は北麓の「さいなみ広場」から城址に入り、頂上をへて南側に抜けました。それほど大きな広場ではありませんが、トイレやベンチ等が設置されており、ここで散策準備ができます。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲今回のスタート地点「さいなみ広場」

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲さいなみ広場から城址に入る

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲一直線に伸びる谷状地形(横堀)

散策路は登山道のようになっています。歩き出すと、たちまち鬱蒼とした森に入りました。緩やかな坂道が一直線に伸び、斜面がそれを両側から挟み込んでいます。谷間というよりむしろ「切通し」のようになっていました。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲等高線と垂直に伸びる堀切

「切通し」を上り詰めると、土塁や堀切が現れました。それにしても現存遺構が多く、しかも、ハッキリと目視できるほど保存状態が良いのには驚かされます。土塁上の散策路をさらに進むと、曲輪に到達しました。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲土塁に沿って本丸へ

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲頂上(本丸址)付近の曲輪

曲輪はいくつかに区分けされていました。もう一段上がると頂上に到達です。

ここは俗に「本丸址」と呼ばれ、発掘調査にともない建造物の礎石が見つかりました。保存処理のため、建物跡は舗装材で覆われています。遺構の位置を目視できるよう、礎石の場所には石が置かれていました。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲地神碑・仏塔のような構造物

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲頂上に残る遺構(保護のため舗装材で覆われている)

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲頂上に残る遺構

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲掘割に沿って山を下る

最後は掘割に沿い、山を下っていきます。視界が開けてくると、荒れたプールが見えてきました。「烏帽子形プール」というその施設は、閉鎖からずいぶん経っているのか、隅々に至るまで荒廃しています。

大阪府河内長野市の烏帽子形城址
▲東側の入口に到着!

廃墟然として一角を過ぎると、今度は駐車場が見えてきました。ようやくゴール地点に到着です。なお、烏帽子形神社はこの東隣に鎮座しています。

撮影日:2022年10月21日

(参考文献)
長谷川弥栄『河南の枝折』、南河内郡、1921年


あとがき:不惑の大砲逝く...門田博光氏を悼む

南海ホークスなどでプレーし、ホームランバッターとして活躍した門田博光さんがお亡くなりになりました。現役晩年から闘病生活を続けていたとはいえ、少し前に村田兆治氏の追悼記事でインタビューを受けていましたし、突然の訃報に驚きました。

門田さんの代名詞といえば、指名打者とあの豪快なホームランでしょう。僕が生まれた翌年に引退(1992年)でしたから、もちろん現役時代をリアルタイムでは知りません。しかし、ホークスファンを長年やっている中で、その名に触れる機会はけして少なくありませんでした。

また一人、昭和のプロ野球を代表する偉人が逝きました。
関連記事
ホークス

COMMENT